微熱

夜明一

1章

*1

 吸い込んだ息が独特の冷たさをまとっていた。


 冷えた空気がゆっくりと喉の奥に流れ、縮んでいた肺を広げる。体内に侵入してくる風に棘を感じつつも、t歯車が回るように血が巡りはじめ指先の感覚がゆっくり戻ってくる。


 目がよく見えなかった。

 光が強すぎる。自分が今どんな状態でどこにいるのか確認したいのに、飛び込んでくるものすべてが目に染みた。


 肌触りの良い布に滑らせていた指がふと何かに触れる。


「ナツキ!」


 脈打つ音しか聞こえなかった耳に声が届いた。言葉を発した相手に手を握られ、持ち上げられる。鉛のように重かった体が嘘みたいだった。両手で包むように握られた手から優しい体温が伝わる。なんとか瞼を開けて目を動かす。声の主を探すとぼやけた視界に影が降りた。


「俺のことわかる?」


 視界は晴れないままだけど、のぞき込んできたその顔になんとなく見覚えがあった。はっきりとわからなくとも、その声は知っている。何度も名前を呼んでくれた。ずっと前から一緒にいる。断片的な思い出は次々と出てくるのに、どれだけ待ってもその相手の名前は出てこなかった。


 期待に応えたい思いで口を開くが、結局空っぽの息を吐くだけだった。


「いいよ、無理しないで」


 その「無理」は喋ろうとしたことに対してだろうか。それとも名前を言おうとしたことか。答え合わせをしないまま、その人は「おやすみ」と言って瞼を閉じさせた。

 頭を優しく撫でられる。さっきまで眠っていたはずなのに、暗闇に戻った瞬間、眠気が襲ってくる。ぼんやりとまどろむ頭でふと思い出した。


 明生拓巳あきおたくみ


 そうだ、拓巳。名前を呼んでこの手を握ったのは拓巳だ。


 体が痛くなるほど長く眠っていたこのベッドも、消毒液独特の冷たい空気も全部知っている。何度も通って世話になった病院だ。


 どうしてこんな簡単なことを思い出せなかったんだろう。

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