唯一の友達が死んだ。自殺だった。自宅で首を吊ったらしい。享年十六歳。

 秋の雨が傘に叩きつける。喪服の集団が一人の死を弔うため一堂に会した。もちろんのことだが彼女らは来ない。当然である。いじめた張本人達がぬけぬけと葬式に顔を出すはずもない。この件について学校側は「いじめは無かった」と結論づけた。どこで握りつぶしたかは知る由もない。担任なのか、それとも管理職か。はたまた教育委員会かもしれない。私はいじめの実態を知っていた。しかし彼女に手を差し伸べることは出来なかったのだ。この世の不利益は全て当人の能力不足、まさにその通りである。私のせいで彼女が死んだと言っても過言ではない。

 いじめっ子三人組の標的は彼女から私へと変わった。自然の成り行きである。一人の死も意に介さない悪魔共に抵抗しないことこそが賢い選択だろう。


 十四組担任、田中哲也。紺のスーツを身に纏い、トレードマークは黒縁メガネ。生徒に人気があり「てっつー」と呼ばれ慕われている。その彼が人気のない廊下に私を呼び出してこう告げた。

「アンケートには何も書かないでくださいね。厄介事は増やしたくないので」一応の笑顔を顔に貼り付けているが細い目の奥は決して笑っていない。

 我が高校では定期的にいじめアンケートが行われる。どうやら田中は私がいじめを受けていることを隠したいようだ。表向きでは「良いクラス」そして「良い担任」でありたいのだろう。隠蔽すれば、後々問題になりかねない。

「分かりました」そう笑顔で返す。

 期待などとうにしていない。期待すれば裏切られる、これが摂理である。諦めてしまえば辛い気持ちにもならない。ロングホームルームの時間になってアンケート用紙を渡されてもいじめについて書くことはなかった。


 放課後になって三人組に捕まった。

「また身体に傷増やしてる。自分可哀想アピールかよ」

「マジキモイわ」

「それなー」

 校舎裏でいじめが起きるのは物語の中だけではないらしい。これぞテンプレート。

「なぁ聞いてんのか、よっ」突然一人の打撃が腹へと決まる。

 視界が真っ白になり、意識が一瞬途絶えた。吸っても吸っても酸素が身体に入って来ない。肺に穴でも空いているみたいだ。全身から力が抜け、地面に蹲る。

 だがここは心を殺して成り行きに身を任せるしかない。人類は自然災害に太刀打ち出来ない。それと同様である。嵐が来たら過ぎ去るのを指をくわえて待つしかないのだ。

 殴った奴と別のが髪を掴んで私の身体を起こす。彼女の顔は快楽に歪んでいた。

「何か言ったらどぉ?」

 そして蹴りが腹へと吸い込まれる。何度も何度も何度も何度も。抵抗しようなんて考えは捨て去った。諦めてしまえば辛くはない。蹴っているのは意志の通わないただの肉塊である。

 三人目がそばにあった雨水入りのバケツを手に取り私の頭上でひっくり返した。もちろん私は汚水でずぶ濡れである。その姿が滑稽だったのだろう。彼女達の甲高い嗤い声が校舎裏に響き渡っていた。


「コンビニよってこ」

「おけ」

 何をしても反応が返ってこないものだから飽きたのだろう。三人は横にあった小豆色の鞄を手に取りその場を後にした。

「私はどうやら登場人物じゃないらしい」

 三人が行ってから五分ほど経った。制服の端を絞り、リュックを背負う。バイトの時間が迫っているから急がなくてはならない。バイト禁止の我が校だが生きるためには隠れてするしかない。危険を犯すか、死ぬかの二択なら今は前者をとる。いつか死を選ぶ日が来るかもしれない。それまで、それまでは幾ら惨めでも生きてみようと思う。


 四時間バイトをした後、家路に着いた。ボロボロの賃貸の扉を開けるとタバコとアルコールの臭いが鼻をつく。

「おいてめぇ、何時らと思ってんらぁ」

 相当酔いが回っているようだ。畳に寝転がるは私の父、長澤大輔。テーブルには灰皿と何本も並び立つ銀の缶。輪っか状の蛍光灯からは紐がぶら下がっている。父は私の胸ぐらを掴んで数回顔を殴った。殴られる程度ならどうということはない。ただ痛いだけ。私はここにいない、そう自分に言い聞かせる他なかった。

「早く飯作れ」胸ぐらから手を話したあと父はそう言った。こんなのでも私の父親である。立ち上がってキッチンへ向かった。料理は小さな頃から私の担当だったので包丁の扱いもお手の物である。手早く二人分の晩御飯の用意をした。母親はいない。私が小さい頃に離婚したそうだ。今は父の給料と私のバイト代で食いつないでいる。高校に通えているのも奇跡だと言うしかない。だが流石に厳しいところも生活の端々に現れてくる。いっそバイトを掛け持ちした方が良いのだろうか。部活には入ってないため放課後は(何もない限り)時間があるのだ。

 寝るまで古本屋で買った小説を読むのことが最近の習慣だ。心の拠り所はいつも現実ではなく物語の中。果たして私はどこにいるのだろうか。物語の中に生きているのはその登場人物。幾ら自分と重ねようと、器にしかなり得ない。かといって現実に私が生きているかと問われれば素直に首を縦に振れるほどこの世界は優しくなかった。


 目が覚めると父は私の上に跨っていた。それも包丁を両手で握って。

「お前さえ、お前さえいなければ…っ」

 今にも振り下ろそうとする手を何とか止める。だが流石に父に力で勝てるわけもない。嫌だ、死にたくない……


 その後はどうなったのだろうか。いつの間にか動かなくなったそれが私を覆っていた。身体を横にずらす。父の腹には包丁が突き刺さっていた。部屋に充満している鉄の臭い。ピクリとも動かない外れた枷を見下ろす。

「はぁ……はは」

 ドーパミンというドーパミンが縦横無尽に脳内を駆け巡る。未だかつて経験したことが無い程の興奮である。今まで私を繋いでいた枷が外れた……いや、外したと表現するべきか。あの時確実に刃先を腹へ押し込んだ感触があった。臓物を刃が滑る感触。正当防衛ではない、間違いなく私が殺めたのだ。

 洗面所で服を脱ぎ、シャワーを浴びた。身体に血の跡が残っていたら不審がられるに違いない。学校へ向かうまで残り十二分ほど。

 制服に着替え、男に刺さっている包丁を抜いた。血が滴るそれをタオルで包むと教科書と一緒に鞄へ入れた。

 転がる男を横目に靴を履き、扉を開ける。

「行ってきます、お父さん」


 紳士淑女の皆様、これからお目にかかりますは天衣無縫の復讐劇、見て見ぬふりの担任も悪逆非道のいじめっ子も、包丁一本で地獄へご招待……なんて話はあるわけもなかった。そんなのは物語の中に限られている。包丁を家から持ち出したくせにそれを振るう勇気がないという矛盾。あの時はどうかしていたのだろう。私は一人の人間を殺してしまった。それがどんな人間であろうとも、殺人には変わりない。償いきれないほどの罪。

「……そうだ、死のう」――

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