瞳のさき

夜明一

1章

1 桜と白

 上本雪帆かみもとゆきほは高校生活2年目の春を迎えた。


 生活リズムや周りの環境が大きく変わる年もあれば、なにも変わらない年もある。


 それでもいい。春にはきっとなにかいいことがある、そう雪帆は思っていた。


「いってきまーす」


 明るい声を出して玄関の戸を開けた。


 少し浮かれた足取りで歩き慣れた通学路を進む。


 桜が咲いて華やかになった校門を通り抜けて、二年生の下駄箱に迷わず向かう。


 新しいクラスと出席番号は進級前に元担任の先生から知らされていて、クラス分けの表を見に行く必要がない。念のためにと忘れた人用に作られてはいるけれど、人混みにもまれながら1つの数字と自分の名前を探すなんて、そんなの高校受験で経験した合格発表だけで十分だ。


 人気のない下駄箱。


 春風に乗った桜が足元で踊っている。


 ローファーを脱いだ雪帆はそのまま立ちつくした。


 いつから始まったのか知らないけれど、出席番号順に割り振られた下駄箱のスペースは自由に変えられるようになっている。


 誰かが身長の問題でも挙げたんだろうか。


 雪帆自身が貼り変えることはないけれど、自由ならと周りがよく変わる。日替わりかと思うくらい。


 正直言って自分の場所が見つけにくいから変更可能期間を決めるか、場所を固定する決まりを作ってほしい。


 ただ、一つ上のスペースは一年前からずっと同じ。


 夏目香なつめかおり。彼女の名前がいつも上にある。


 夏目さんは人気者だ。きれいで優しくて頭もいい。教師から信用されて、生徒からは学年関係なく憧れのまなざしを注がれている。そんな彼女の下駄箱にはラブレターなんて毎日のように入っている。


 こんなにも携帯を使った連絡が、当たり前になった今でも。


 夏目さんの所に入りきらなかったのか間違えたのか知らないけれど、雪帆のスペースを浸食していることがある。わざとなんじゃないかと雪帆が不満を抱くほど、毎日ラブレターが詰め込まれていた。


 夏目さんへのラブレター専用ボックスとかを作った方がいいんじゃないかなあ、と思ったりするけれど、それもそれで管理とか大変そう。そもそもそんなもをつくったとして誰が管理するんだろうか。


 どうにかしてほしいなと毎回思いながら手紙を夏目さんの所に押し込む。隙間を見つけてぎちぎちに詰める。それが朝と夕方の日課になるくらい、雪帆の生活にしみ込んだ。春休み明けの今日もか、と夏目さんと自分のスペースを見ながら思う。新学期早々忙しそう。


 最後の一枚、宛名と差出人を一応確認する。


 白かった。


 それは言葉そのもので、封筒も白ければ書いてあるはずの宛名も差出人も書かれてない。


 これは挑戦なんだろうか。


 いや、なし、今のなし。


 ただの書き忘れだ。


 もし万が一これが夏目さん宛じゃなくても、差出人には悪いけどこのまま夏目さんに届くよう置いておくしか雪帆にはできない。


 だって中身を見るわけにもいかないし。


 夏目さんは優しいからきっと読んでくれる。


 ……多分。


 雪帆がどうしようかと悩んでいるとばたばたと廊下をかけてくる足音が聞こえた。


 忘れ物に気づいた生徒だろうか。もしかしたらこの手紙の差出人かもしれない。


 雪帆は白い手紙をかろうじて空いている隙間に押し込んで見つからないようにすぐその場を離れた。


「あの! ちょ、ちょっとまって」


 声を掛けられた。


 聞き覚えのない声だったけれど、そこには雪帆しかいないから矛先は決まっているわけで。


 振り返った先に雪帆を見つめる男の子。切らした息を整えつつ、ずんずんと大股で歩いてくると、夏目さんの下駄箱に入れた真っ白の手紙をむしるように取る。


「話があるんですけど」


 そんなこと言われたら大人しくその男の子についていくしかない。


 ホントはついていきたくなかったけど。


 勝手に手紙を触っていたのは事実だ。


 けれど、自分あてに送られたものじゃないものを、多分だけど送り先の夏目さんのところに入れておくのは当然のことだと思う。それを言ってその場を去ればよかったのかなあ、でもあんな真剣な顔で言われたら断れないし。もやもやと頭の中で言い訳を考え続ける雪帆。


 彼が足を止めたのは旧校舎に続く渡り廊下。


 今はもう夏休みに行われる肝試しや、文化祭の生徒用休憩所としてしか使われないからめったに人が来ることはない。


「えっと、これ……」


 ひら、と真っ白な手紙を差し出される。


「あ、大丈夫です。中身見てないので!」


「いや、そうじゃなくて!」


 そうじゃない、そう否定した。ならなにになるんだろう。


 どうしよう、と言って口をつぐむ。


 目の前にいる相手がなにを言いたいのか雪帆にはわからない。ここに連れてこられた理由さえも。


 男の子は意を決したようにふっと息を吐き、雪帆を真っ直ぐ見つめた。


「回りくどいことした俺が悪かったです。ごめんなさい」


「いえ、そんな」


 頭を下げられ、雪帆もつられて下げる。


「好きです」


 まるで横を通り抜けていくような言葉だと思った。雪帆にじゃなく、他の誰かに伝えるような。それくらい縁のない言葉だったんだ。


 ゆっくり姿勢を戻して男の子を見る雪帆。照れた顔をしつつも、その瞳は雪帆をとらえていた。まっすぐに、それ以外見ていないようなまなざし。


 少し照れながら雪帆は浮かんだ疑問を口にする。


「夏目さんじゃ、ないことは」


「わかっています。好きな人は間違えないので」


 さらりと言った好きな人という言葉が、雪帆の頬をじわじわ赤く染めていく。


「去年はクラスが隣だっただけで、あんまり話したこともないし、多分俺のことなんか覚えてないんだろうけど。でも、俺はずっと上本さんのこと見て、ました……」


 ぶわ、と強い風が吹いて桜が舞う。


 視界がピンクに染まり、男の子の赤く染まった頬がぼやける。


「今すぐどうこうしたいってわけじゃないけれど、でもやっぱり好きだから、付き合ってほしいと思っています」


 恥じらいが混ざった真っ直ぐな視線と気持ちを、真正面から向けられた。


 どきどきと心拍数が上がる。


 ああどうしよう。


 なにか新しいことが起きればいいな、なんてのんきなこと思っていた。


 けれど、こんなこと予想もできやしない。

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