運命の人を踏んだ娘の話

三角ケイ

第1話

 ミアは自分の住んでいるところは田舎だと思っている。


 何故なら、家の周りは田んぼや畑ばかりで、村の回覧板を隣の家に渡しに行くのに、徒歩10分かかるところとか、犬や猫、山羊や牛や、馬、羊の他に四季毎に渡ってくる渡り鳥とか、家の屋根ところで顎が外れるんじゃないかって位、大きく口をあけてアクビしているワシ……祖父はトンビだと後で教えてくれた……とか、日常的に目にするし、朝ゴミ出しをしようとしたら、サルとバッタリ顔を合わせちゃったりするからだ。


 村の若い人は、ここにいたら仕事も結婚相手も見つからないからと年頃になったら皆、都会に出てしまうが、ミアは年老いた祖父を心配し、都会に出たいとは考えたこともなく、家事をする傍ら、村の寺子屋を卒業後は、村に一軒しかない仕立屋の下請けの仕事をさせてもらっていた。


 祖父はミアの将来を心配し都会に行くようにと再三勧めてくるが、ミアは流行病で相次いで亡くなった両親の代わりに、物心つく前からずっと一人で育ててくれた祖父を一人置いていくなど出来ないと、それを固辞した。


 毎日毎日、何の変化もなく、同じ事が繰り返されるような日々は、面白みはないかもしれないが、心穏やかに過ごせるのが何より幸せだとミアは思っていた。村にはミアと同年代の者は誰もいなかったけれど、皆、顔見知りで親戚みたいに優しくて、ミアは毎日楽しく生活を送っていた。


 ミアは恋はしたことがなかったけれど、恋をしたいとも思ったことがなかったので、今の穏やかな生活をとても気に入っていた。そんな穏やかだけど、代わり映えしない日常を送るミアの17才の誕生日の日の朝に、ちょっとした事件が起きた。


 ~~~~~


 いつもミアは4時半に起きて、洗濯や食事の用意をしている。その日もミアは、いつも通りの時間に起きて、顔を洗い、身支度を調えると真っ先に雨戸を開けた。目の前に広がる水を張った田んぼが朝の眩しい光りを反射させて、一瞬ミアの目を眩ませることも、この季節ならではの日常だったので、ミアは片手で光りを遮ろうとし……、左足に違和感を感じた。


 ピチッ。ピチピチッ、ピチピチピチッ、ピタン、ピタンピタン。


(え?)


 何の痛みも伴わない、その刺激は、弱すぎる力でミアの左足小指を軽く叩いているようだったが、ミアは足裏に感じるはずもない刺激を感じて、強い衝撃を受けた。


(一体、私の足の下には、何がいるのだろう?)


 朝日で目が眩み、視界が真っ白であるミアには、その正体がわからない。足裏に……正確には、左足の小指の下の辺りに感じる感触は、柔らかい何かだとミアの触感が伝えてくる。ピタンピタンと動くことから、その柔らかい何かは生き物だと窺えた。


(生き物!?もしかして蛇かしら?)


 ミアは村でよく見かける蛇を思い浮かべて、冷や汗が出てきた。何故ならミアは田舎暮らしだが、長くて手足がない蛇が好きではなかったからだ。小さい頃、祖父と散歩中に木の枝が落ちているから拾おうとして、間違えて蛇を掴んでしまったことがあり、その時に強い力で腕に巻き付かれてしまったのだ。


 幸い、すぐに祖父が助けてくれて、事なきを得たし、元はと言えば、ミアが見間違えたのが原因で蛇を驚かせたのが悪かったとわかってはいるのだが、それ以来、ミアは蛇も蛇を連想させるものも苦手としていた。その蛇に似た何かが、自分の足の小指の下にいる……。


 ミアは視界が元に戻っても、自分の足下を見るのが怖くてたまらなかった。


(どうしよう、怖くてたまらない。今すぐに大声を出して、おじいさんを起こして、来てもらおうかしら?……ううん、疲れて眠っているおじいさんを起こすのなんて出来ない。そうよ、私が足を上げればいいだけなんだから、おじいさんを呼ぶ必要はないわ)


 そう、足を上げればいいだけなのだが、ミアはそれをするのも怖かった。


(どうしよう、わざと踏んだわけではないけど、きっと私の足下にいる何かは、私に踏まれて驚いているはずだし、怒ってもいるわよね、きっと……)


 また、あの時みたいに腕に巻き付かれたらと思うとミアは体が思うように動かせなかった。


 ピ……タン、ピタン……、ピチッ。


 そう悩んでいる内に、ミアの左足小指の下にいる何かの叩く力が弱まっていく。


(ハッ!このままじゃ、いけない!)


 左足の小指には、ミアの体重は殆ど乗っていないけれど、ミアの足の触感で感じる何かは、人間とは比べようもないほど小さかった。ミアは怖くて、まだ足下を見ていないが、足に感じる全体像は卵から孵化したばかりの蛇の赤ちゃんではないだろうかと思えるほど小さな存在だった。ミアは覚悟を決めて、恐る恐る自分の足下を見た。


「っ!?」


 人間は本当に驚くと、悲鳴なんて出ないということをミアは、その時に初めて知った。


 ピタ、ピタ……ピタンと弱々しい力でミアの足を叩くのは緑色の蛇ではなく、とても細くて、スベスベして柔らかい、桜色の……触手にしか見えない何かだった。


(え?嘘?し、……触手!?そんな馬鹿な!?)


 ミアは戻って来た視力でそれを見ても、その正体がわからなかったので激しく動揺した。蛇だったら鱗があるはずだろうし、蛇の次にミアが苦手な黒い虫だったら、想像したくはないが、こんなにスベスベした感触ではないだろう。かといって、ネズミの類いとも考えにくいともミアは思った。


(ネズミだったら、毛があるはず。私の足下には毛の感触は伝わってこないから、ネズミとも違う。もしかして、本当に触手?……でも触手って、お話の中に出てくるだけの架空のものではないの?)


 ミアは都会に行った友人からもらった怪奇小説を思い出し、震え上がった。その友人は村には貸本屋しかないからと、一人田舎に残ったミアを気の毒に思って、都会で流行っているという本を贈ってくれたのだが、その内容が、とても怖くて、ミアは途中までしか読めなかった。


(確か、人間よりも大きな触手だけで出来ているお化けが、何人もの女性に巻き付いて、その血液を吸い取っていくっていうお話だった!……ううっ、怖い、怖すぎる!)


 ミアは自分の足下を見て、出血していないかを確認することにした。ミアの素足には何の怪我もない。何度も触手みたいな何かで、ピタンピタンされているのにも関わらず、その場所は痛みも炎症も起きてはいないし、出血だって、もちろんなかった。……ただ、ミアが悩んでいる間に叩く力が弱くなっていくだけだ。


(あっ!早く、どかさなきゃ!)


 ミアは、そう思い、足を思い切って上げてみた。


「あっ、触手じゃない?手?ああ!前足がある!後ろ足も!」


 ミアの左足の小指の下にいたのは触手でもなく、蛇でもない、桜色の爬虫類だった。


「蛇じゃないわね。手足があるもの。トカゲかな?それともヤモリの赤ちゃん?」


 蛇でもなければ、触手でもない。そうわかったミアは、グッタリしている桜色の爬虫類を即座に両手で、そっと持ち上げた。


「ごめんね、すぐに助けなくて!わざと踏んだのではなかったのよ!」


 ミアの家は田んぼのすぐ近くだから、カエルやトカゲやヤモリなどは、よく家の外壁をよじ登っているのを見かけることがあったのでミアは、これらの生き物については、恐怖心はなかった。


 今、ミアの両手の中にいる桜色のトカゲ……もしくはヤモリは、恐らくは夜の間に雨戸をよじ登って、へばりついていたものが、ミアが雨戸を開けた際に、ミアの足下に落ちてしまったに違いないとミアは推測し、そう言いながら、両手の中の生き物に謝罪した。


 その後、ミアは柔らかいタオルの上に、その生き物を置き、怪我がないかを目視で確認してみたが、どこも外傷がないようだったのでホッと安堵の息を吐いた。ミアの足下にいた生き物は、ミアが足をどけてからは、大人しくミアを見つめるだけで、噛みついたりすることもなかった。


「本当にごめんなさい。怒ってない?……そう、優しいのね。ありがとう」


「おはよう、ミア。何をしとるんだ?」


「あっ、おじいさん!おはよう、あのね……」


 ミアはようやく起きてきた祖父の声に、後ろを振り向いて、挨拶した後、桜色の生き物を祖父に見せながら、先ほどの話しをしようとして……目を丸くした。


「あら?いなくなってる……逃げちゃったんだ」


「?一体、何があったんだ?」


「あのね、実はさっきね……」


 ミアの話を聞いた祖父は、それは多分、ヤモリの赤ちゃんだろうと言い、ミアが触手だと思い込んだことを大笑いし、その三年後に祖父が老衰で亡くなるまで、祖父の一番のお気に入りの笑い話として、最期の瞬間まで彼を笑わせることとなった。

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