第34話 秀英

「もしかして、君ってお姫さま?」

「違います」

「あぁ、じゃあ女官さんかな? 最近後宮に美人な妃が来たんだってね。そこの女官さんでしょ」

「まぁ、そんなものです」

「どうりで。随分と別嬪だと思ったんだ。さすが美しい妃の女官さんは美しいね」


 道中、明龍を背負いながら足早に城へと向かっているはずなのに重そうな素振りも見せずにペラペラと喋る男。だが、嫌な軽薄さはなかった。

 花琳も身の内を明かすわけにはいかないので適当に事実とは違うことを言っているが、それに対しても別に深掘りするわけでもなく、しつこく聞いてくるわけでもなくて内心ホッとする。


「いやぁ、でもまさかこんなに可愛い子ちゃんに会えるとは。オレも運がいい。余計なことに首を突っ込んでみるもんだ」

「あの、あまりこのことは……」

「もちろん。こういうのは他言しないで秘密にするんだろ? オレと君の秘密ね。いいね、二人だけの秘密って。あ、そういえば名前は何て言うの?」

「えーっと、花琳です」


 名前を聞かれて本名を言うのはどうかとも逡巡したが、この名前は一般には知られてないため言ったところで支障はないだろうと判断した。


「花琳! 可愛い名前だね。うん、君の美貌に合った素敵な名前だ」

「どうも」


(嫌な気はしないけど、調子が狂う)


 こんなに褒められることなどなく、花琳は動揺した。今まで容姿で褒められたことなど良蘭くらいにしかなく、それもいつも世辞だと思っていた花琳は本気にしてないとはいえ、何度も可愛いだの綺麗だのと言われて満更でもない。

 とはいえ、早く明龍を連れ帰らなければ、という焦りの気持ちもあって、気持ちが落ち着かなかった。


「貴方の名前は?」

「ん? あぁ、名乗りそびれてたね。オレは秀英シゥインだよ」


(あれ、その名前どこかで……)


 何かの報告書で読んだ記憶があると花琳は思い出す。秀の字は確か、どこかの国で継承する字ではなかったかと思いつつも、気が急いている状態ではすぐには思い出せそうにない。

 そもそも同一人物ではないかもしれないが、花琳の中で何かが引っかかっていた。


「秀英さまですね。助けていただき、どうもありがとうございます」


 しかし、そんな気持ちを表には出さずに何もないフリをして笑顔で取り繕う。秋王として、顔に出すわけにはいかなかった。


「いやいや。花琳の助けになれてよかったよ。おや、彼女は知り合いかな? では、この辺りでいいかい?」

「あ、はい。彼を運んでくださり、ありがとうございました」


 案内した城の裏門までやってくると、良蘭が血相を変えてこちらに駆け寄ってくる。


「花琳さま!? ご無事ですか……って明龍!??」

「良蘭。私は無事だから明龍を早く連れていって処置してあげて」

「わかりました。えっと、その方は……?」

「オレはただの行商人さ。じゃあ、オレはここにいたら邪魔だろうからこれで。もし機会があったらぜひ声をかけてくれ」

「すみません、助けていただいたのに何もお礼ができず。後日改めてお礼を」

「花琳は義理深いね。お声がかかるのを楽しみにしてるよ。では」


 秀英はそのまま立ち去り、花琳は明龍のあとを追うように城の中へ入っていった。



 ◇



 明龍を医師に預け治療をお願いしたあと、花琳は私室へと戻って手早く着替えを済ませようと身支度をする。だが、部屋についた途端、先程まで張っていた気が抜けると、身体が震え出した。


(あぁ、どうしよう。明龍に何かあったら私)


 自分のせいで明龍が死んでしまうかもしれないと思うと恐怖で身体が震える。自分が市井に行くと言わなければ、と後悔しても遅く、涙が溢れてきた。

 すると、良蘭が優しく花琳を包み込むように抱きしめる。


「大丈夫ですから。花琳さま」

「でも、私が……っ」

「明龍は貴女を守ることが仕事ですから。それに、明龍はこのくらいで死ぬような柔な男ではありませんよ。ですから、ご自分を責めないでください」

「良蘭……」


 本来なら責められて然るべきなのに、と思いつつも良蘭の優しさが身に沁みる。それと同時に、常に命を狙われているのだと確信し、花琳は身の危険をヒシヒシと感じた。


「それで、何があったんです?」

「諜報したあと城に戻ろうとしたら……刺客に襲われたの」

「それは、見張られていたということですか」

「恐らく」


 あの刺客の口ぶり的に前々から誰かに依頼されていたことはわかる。目的は花琳の殺害。そして遂行したら謝礼がたんまりと出るらしいということも口にしていた。


「それで、刺客は?」

「さっきの行商人を名乗る秀英が追い払ってくれた。それぞれ矢傷を負っているはずだけど」

「そうですか。念のため探させますが、任務失敗となると恐らくその刺客は……」

「えぇ、始末されていると思う」


 情報を持った彼らは任務を遂行しようが失敗しようがきっと殺されているだろう。仲考はそういう部分に余念のない男だ。


「それと、女将さんに秘密裏に護衛をつけておいて。情報源だと恐らくバレただろうから、彼女にも身の危険があるかも」

「承知しました」

「それと、先程の秀英についても調べておいて。行商人とのことだけど、身なりもいいし佇まいも綺麗だったからちょっと気になるのよ」

「はい。早急に調べるよう手配します」


 良蘭が足早に部屋を出て行く。部屋に残された花琳は胸につかえていた息をゆっくりと吐き出した。


(はぁ、本当何やってるんだか)


 後悔したって仕方ない。だが、後悔しかない。あれだけ言われていたのに、この不甲斐ない結果に自分で自分が嫌になってくる。


(考えても仕方ない、私は私にできることをしなくては)


 気持ちを切り替えるようの自分を叱咤する。まずは服を着替えねばと服に手をかけたとき、部屋の外から足音が聞こえ、てっきり良蘭が忘れ物でも取りに戻ってきたのかと顔を上げると、そこには予想外の人物が立っていた。

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