第21話 不穏

 花琳が倒れてから二か月経った。

 彼女は脅威的な快復力によって快復し、医師から驚かれながらも「もう大丈夫」のお墨付きをもらえ、花琳はようやく元の生活に戻れたのだった。


「花琳、ふっかーーーーーつ!」

「花琳さま、お声が大きいですよ。それにしてもお早い快復で」

「元気だけが取り柄だもの。ずっと寝たきりはつまらなかったし」

「よく言いますよ。隠れて戦術書や帝王学の書や各国の地理や歴史書をご覧になってたのは存じておりますよ」

「だって、何もしないままじゃつまらないのだもの」


 結局身体を動かすことは控えたものの、峰葵に隠れてコソコソと書物類を読み漁り、大体の書物は頭に入ったと豪語できるほど花琳は朝から晩まで読み耽った。

 できることから着実にしなければ、と完璧主義な主人に良蘭は気を揉んでいたが、こうして火がついてしまった花琳を止めるすべを持ち合わせておらず、彼女はただただ見守るしかできなかった。


「今日からご公務にお戻りですか?」

「そのつもり。だいぶ峰葵にも迷惑かけちゃったし、上層部も私不在の間やりたい放題だっただろうから。そういえば、明龍は?」

「明龍ですか? 先程までいたのですが……」


 先んじて今までの議事録などと合わせて話が聞きたかったのに、肝心なときに見当たらない。

 先程までそばに控えていたはずなのにおかしい、と思っていると「ですから、入らないでくださいと……!」と明龍の荒げた声が聞こえてきた。


「おやおやおやおや、ただ儂は陛下にご挨拶にと参上しただけですのに。このような手荒な歓迎とは悲しいですな」

「……仲考」


 明龍が必死に止めようとしたようだが、仲考は強引に部屋に入ってくる。良蘭がすかさず警戒して花琳の前に立つが、「問題ない。良蘭も明龍も下がれ」と指示を出した。


「で、何の用だ?」

「陛下の御身が心配でして。峰葵殿は一切入室するなと近づけさえしてくれませんでしたから、お見舞いすることすらできず。儂はずっと気を揉んでおりましたのですよ。陛下の安否が気になっておりましたが、今見る限り全快のご様子で、この仲考安心致しました」

「そうか。心配をかけさせて申し訳ない。だが、貴様の見立て通り全快している。そんなわけだから、本日より公務に戻らせてもらうぞ」

「左様でしたか。さすがは陛下、仕事熱心でいらっしゃる」


 ニヤニヤと何が楽しいのか値踏みするような眼差しで見つめられて不快感を催す花琳。久々にそのような視線を感じるからか、全快したとはいえ、病み上がりの身体には厭わしかった。


「わざわざ我に挨拶するためだけに来たのか? であれば、すぐさままた朝議で顔を合わせるぞ?」

「えぇ、挨拶もですが……先に陛下のお耳に入れておきたいことがございまして」

「何だ、遠回しに。さっさと要件を……」

「陛下にはご婚姻をしていただくことになりました」

「……は?」


 あまりに突拍子のない言葉のせいで理解できず、つい素の反応をしてしまう。

 花琳はすぐさま気づいてこほんっと一つ咳払いをすると慌てて取り繕った。


「突然何を言い出すのだ? どういうことだ。そんな話聞いていないぞ」

「詳しいお話は朝議の際に致しますので。あくまで先にお話しておこうと思っただけで立ち寄りましただけでして、あまり身構えないで結構です。……あぁ、ご安心を。あくまで表向きはということでございますので」

「だから、一体どういうことだと……!」

「では、儂はこれで。このあとの朝議ではよろしく頼みまする」


 言いたいことだけ言うと、仲考は部屋を出て行く。

 何がなんだかわけがわからなくて、花琳が良蘭を見るも彼女も困惑しているようだった。

 しかし、今度は明龍を見ると、彼は既に何かを知っていたのか青褪めた様子であわあわとしている。


「明龍。何か知っているの?」

「へぁ!? い、いえ、僕は、何も……っ」

「じゃあ、何でそんなに慌ててるの?」

「そうよ。ずっと峰葵さまと一緒にいたのだから、貴方は知っていたのではなくて?」


 女二人から凄まれて萎縮する明龍。普段であれば逃げ足が速い明龍も、二人に同時に責められては逃げようがなかった。


「ほ、峰葵さまがまだ言うな、と……」

「ってことは、前から知ってたの!? どういうことなの、聞いてないわよ!」


 峰葵はたびたび花琳の部屋に訪れていたのにそんな話など欠片もしていなかった。それなのに急に婚姻だなんだと言われて、混乱するなというほうが無理だ。


「申し訳ありません。口止めされてまして……っ!」

「はぁ、いいわよ。どうせ明龍に怒ったところでどうしようもないものね。とにかく、朝議に出ればいいということでしょ? わかったわよ、行けばいいんでしょ」

「陛下……」

「花琳さま、全快されたとはいえ、まだ病み上がりなのですからあまり興奮されるのは」

「わかってるわよ。わかってるけど……」


 こうして峰葵が隠し立てするときは大体花琳にとってよからぬことが多い。その経験則から嫌な予感がしていてならなかった。


(わざわざ仲考が言いにくるというのもおかしいし、絶対動揺する私を嘲笑いに来たのだわ)


 そして、まんまとその通りになってしまった。

 行く前から憂鬱というのは精神的によろしくない。だからこそ、仲考は花琳のところに来たのだろうことはわかっていたが、気が重い。

 まるで重い石を飲み込んだかのような蟠りが胃の中で重く花琳を苦しめた。


「はぁ。……してやられたわね」

「花琳さま。お気をつけくださいね」

「わかってる。死にぞこなったのだもの、何があってもなすべきことをなすまでよ」


 口では達者なことを言いつつも、内容が気になって仕方がない。ザワザワと騒めく胸騒ぎを抱えながら、花琳は明龍を引き連れて朝議へと向かうのだった。

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