第18話:眠り姫の居ぬ間に

 時は遡り、瘴気の森のハプニングから無事城に帰ってきたシンファエル王子。魔導士団長にスカイを引き渡し、途中で落とされたことを告げたものの、瘴気の森についてはなんとなく言ってはいけないような気がして口を噤んだ。そのことが後々問題になってしまうのだが、シンファエルは大事無いと考えた。


「振り落とされたって、殿下!お怪我は!?」

「エヴァンが治してくれた」

「そ、そうなんですか…?彼、治癒魔法も使えたんですね?」

「ああ、そうだな。問題ない。スカイにもあまりひどい罰は与えないでくれ。私の唯一の交通手段だから」


 魔導士団長は目を向いた。王子が情けをかけるなど滅多にないことだからだ。すくに「不敬罪だ」と言って首を切るか「国外追放だ!」と喚くかする王子がここまで成長したとは、と心中でエヴァンを拝んだ。


「わ、わかりました。では、一週間の外出禁止と食事抜きで」

「食事はちゃんと与えてくれ。死なれると困るからな。あと手入れは怠らないように」

「はっ、はい。寛大なお言葉、感謝します」

「うむ」


 色々あって疲れてしまったし、魔導士団長から感謝されるのは悪くない。部屋に戻って乾布摩擦をしたい一心で、王子は早々に引っ込んだのだった。ここで風呂に入っていれば、その後の事件は起こらなかったかもしれないが、その地点では誰も知る由はなかった。頭はガンガン痛むし、気持ちが悪い。これはエヴァンが食わせたまずい物のせいかもしれない。


 自分の体から魔虫が生まれようと瘴気が沸き起ころうと気がつかなかったシンファエルだったが、内臓は確実に侵されていたのだ。その機能しない内臓の代わりに、体の中で何かが起こっていた。喉が粉っぽいし、胸がつかえる。


 王子は伯爵領から帰って来て死んだように眠りにつき、食事もせず次の日になった。



***



 私はいつものように朝の乾布摩擦の後、鏡の前に立ち我が麗しの金髪を撫でた。エヴァンがくれたドライシャンプーからこの方、頭皮の痒みも無くなったし、金髪も艶が良く天使の輪ができている。美しい。


 今朝もきちんとシャンプーはしたが、なんとなくまだ泥くさいような気がしないでもない。あんな瘴気の混ざった泥沼に落ちたのだから仕方がないが……。


 これは、一体なんだろうか。


 鏡に映る自分の頭の天辺から、若葉が生えている。


 引っこ抜こうとしたのだが、激痛が走りそれは無理だと知った。


 エヴァンが来たら聞いてみよう、と思っているうちに若葉がグングン大きくなり、頭が重くなり床に押し付けられた。


「ぐぅ、エヴァン……」


 意識が朦朧とし…。目を覚ますと、エヴァンが覗き込んでいた。


「はれ?」

「気分はどうですか?」

「……悪くはないが、なんか忘れているような気がするな」

「頭から木が生えてました」

「何?」

「一応退治しましたが、ヤドリギに寄生されてました」

「そういえば…。若葉が頭から生えておったな。それは、魔物か」

「そうですね。どこで拾って来たのかわかりませんが、もうちょっとで脳みそ吸い取られてるとこでしたよ。記憶がおかしいとか、思い出せないこととかありますかね?」

「どうかな。今のところ、私の名もお前の名も覚えているし、立場もわかっているが」

「訓練の内容も覚えてますか?」

「朝の乾布摩擦は終えたし、朝練の内容は……大体覚えていると思うが、」

「午後の座学は?」

「マナーとバイオリン」

「歴史と帝王学は?」

「なんだったかな」

「サバイバルは?」

「泥は傷口に塗ると血が止まる。森で迷ったら森に入る、だな」

「……正常運転ですが、間違いです。泥は傷口に塗ったら感染症を起こすのでやめてください。そこで野垂れ死ぬならまだしも、破傷風やら魔物やらになったら色々厄介ですからね」

「そうか…。ところで、今日の朝食はパレオグラノーラとかいうものだったかな」

「食いもんはよく覚えてますね」


 食事は大事だからな。朝パレオを食べた時は、朝のおやつでハイカカオ・チョコチップクッキーが食べれるのだ。忘れるわけがない。今週のメニューも空で言えるぞ。


 だが寄生植物に襲われた事もあって、その日は大事をとって朝練は中止になり、午後の座学は復習のみになった。


 復習と言ったが、本当に学んだのかと不思議になるほど覚えがない。だが、ノートを見ると確かに過去に学んだことだったらしい。宿木の魔物に記憶を吸い取られたのに違いない。魔物め。


「エヴァンはなんか元気がないな?どうしたんだ?」

「昨日からアルヴィーナがまだ目覚めていないので、ちょっと心配なだけです」

「ああ……。女のくせに森になんか出かけて魔獣討伐などするからだな。これに懲りたら家でおとなしく花でも愛でていればいいのだ」


 黙って座っていればちょっとは可愛げがあるものを。あいつは口を開けば文句ばかりで太々しい。しかし、森か。沼に落ちたのは覚えているが、それ以降があやふやだ。何かあったような気がするが、森で何が起こったんだったか。何か見たような。


「……アルヴィーナがいなければ、殿下も生きていませんでしたよ?」

「うん?」


 そうなのか?まあ、だが王子を守るのも婚約者の役目だしな。それだけはよくやったというべきか。何をしたのかは分からんが。目が覚めないのに関係してるのはなんとなくわかる。私は鈍いわけではないからな。下手なことを聞くと、エヴァンの奴はまたうるさいことを言ってくるから、適当に躱しておこう。


「では、褒めて使わそう」

「……」

「なんだ、褒美でも欲しいのか?」

「……婚約破棄ができれば、それが一番の褒美でしょうね」

「うん?何か言ったか?」


 ボソボソと言うから聞こえなかった。こいつは淡白なようでいて、アルヴィーナが関わるとやたらうるさく噛みつくからな。どうせもっと誉めろとかなんとか言っているのだろう。こういうやつをブラコンというのだったかな。私には兄弟姉妹がいないからちょっと分からないが。羨ましいなんてことはない。別にエヴァンが兄だったらいいななどと思ったこともない。


「とにかく、今日は様子を見ましょう。何かおかしなことがあったらすぐに連絡してくださいね。明日来てみたら虫になってたとか、木になってたとか聞きたくありませんから」

「わかった、わかった。じゃあ、今日はもう帰ってもいいぞ」

「ありがとうございます」




◇◇◇




 朝になり、いつも通り王子の部屋に行くと王子の頭から若木が生えていた。ヤドリトレントだ。俺をみて慌てて逃げ出そうとしたところで幹を伐採、結界で包んで焼却した。


 根が頭蓋骨を守るように包み、耳から脳内に根を伸ばそうと蠢いていたところで頭に除草剤を撒いて退治した。脳天ハゲになってしまったが仕方がない。またしても白目を剥いて倒れていた王子に回復魔法をかけ、様子を見ること1時間、いつもと変わりなく王子は目を覚ました。


 どうでもいいけど、こいつマジで生命力が強いと思う。魔物化の心配はまだあるし、その上トレントにまで体を奪われそうになっていたなんて、ちょっと笑えない。瘴気の森で一体何を拾ってきたんだか。


 記憶の確認をしてみたが、まあ、これと言って忘れていることもなく(というか、覚えていることの方が少ないんだろうな)、ひとまず名前と自分の立場さえ覚えていてくれればオッケーだったので、よしとした。これも宰相には報告案件だが。


 正直、まだまだ拾って育ててる魔物が体内にいそうな気がする。このまま何も起こらなければいいんだが、まあ、何かしら問題は起こすんだろうな、王子のことだから。はあ。


 ひとまず今日は安静にということで暇をもらったので、早速ハイベック伯爵領の瘴気の森と隣接する山脈付近をレベル5の危険地帯レッドゾーンにし、領地の分割書類を作成した。これで緑竜の森は、俺の管轄ものになり、親父様の管理下から外れることになる。一先ずこれですぐさま緑竜に殺されることはない。


 そういえば名前も考えないといけなかったな。ドラゴとかゴンタでいいかな。


 俺は今の所、書類上は伯爵家の養子だし、事実上王宮でもハイベック伯爵領は俺が領主代行運営していると知っているので、書類選考も手続きもすぐにできた。昨夜のうちにサインをもらっておいてよかった。まずは領土の分割を提出して、それに紛れ込ませるように、俺の養子縁組の解消の書類も混ぜる。今はアルヴィーナが休んでいるせいで、官吏も文官もてんてこ舞いのはず。どさくさに紛れて承認をもらい、無事承認された。これで俺は平民にして、領地持ちとなった。


 それから俺は、アルヴィーナの伯爵家の離縁手続きの書類に進んだ。これに関してはちょっと慎重にしなければならない。何せアルヴィーナは未成年だから、親の承認もいる。今すぐ提出する書類ではないので、機を見て提出する予定だ。アルヴィーナにも相談しなくちゃいけないし、アルヴィーナの目が覚めないうちは無理がある。もしアルヴィーナが俺についてくるとなったら、婚姻手続きも準備しておかないと。そのためには宰相と王妃を納得させ、シンファエルとの魔法契約を解消させなければ、俺たちに自由はない。


 宰相は現国王の兄で、実質国を握っているのも奴だ。どういう理由があったのか、能力は十分にある兄のくせに、王に向かない弟に国王の座を譲り自分は裏から操っている。そんな面倒なことなどせず、国王になればよかったのに。そうすれば、こんなボンクラが王子になることもなかっただろうし、アルヴィーナも俺もこんな苦労はしなかった。


「俺はいつも片手落ちだな」


 とはいえ、10歳からアルヴィーナは王妃に拉致されて、王宮住まいだったから俺がどうこうできる立場にはなかった。できれば留学もさせたかったし、外国に一緒に行こうと昔は話していたのにそれすらできなかった。俺は領地のためにあちこちの他領にも飛んだし、なんなら隣国にも島国にも出向いた。でもアルヴィーナの人生は狭い王宮と学園の中だけだったんだ。


「目が覚めたら、やっぱり旅行に連れて行こう。緑竜に乗せて貰えば案外簡単かもしれないな。それまでに例の大富豪の婚約者いきおくれの話もなんとかしないといけないし、王族との魔法契約の解消も進めていかないと…」


 もし、アルヴィーナが全てを捨ててでも俺についてくると言うのなら、アルヴィーナを養うことぐらいはできると思う。そうでなければ、兄妹としていろんな世界を見て歩いて、自分に似合った男性を見つけて結婚すれば、幸せにもなれるだろう。何せアルヴィーナはまだ16歳だし、平民になっても生きていく能力は十分ある。独り立ちするまで俺が保護者としてそばにいれば良いだけのことだ……と、自分で言ってて落ち込むけど。


 ただし、この国にはいられないかもしれないから、それなりの準備は必要か。あとは、緑竜の森に転移はいつでもできるようにしておけば、契約を違えることもないし…。なんならあの森に住んでもいいか。俺とアルヴィーナなら多分問題ないし、誰も近寄れないと思うし。アルの好きなリンゴの木も植えて、畑を作れば自炊できる。俺のもらった領土には地下湖水がある。例のサラマンダーの住処のアレだ。あそこから水路を引けば、森でも十分綺麗な飲水が手に入るし、俺とアルヴィーナの魔力があればなんでも出来る。


 ……そうすれば、他のやつに会う事もなくアルヴィーナと二人でずっと…。いや、そりゃ選択肢はあげるけど。シンファエルか俺かって言ったら、地位がなくても俺、だよな?


 早く目覚ましてくれないかな。


 ちゃんと謝るから、機嫌直してくれよ、俺の可愛いアルヴィーナ。



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