堕落騎士

沢井

序章

第0話 忌王

 この世界は大きく分けて6の陸に分かれている。

世界の中央に小さな島の様にあるのが『聖地エーレス』。ここに立ち入った者は知られている人類史上2人だけだ。

北東に雪と氷の大陸『マドン』がある。非常に寒く、陸に接する海は凍るほどだ。この地は特に瘴気が酷い。それもそのはず元々魔王といわれていた者が居城を構えていた土地でもあるからだ。


南東にはある宗教が広まっていた大陸『マーサ』がある。信仰心は世界を飲み込むほどだったが、今は薄れて無いに等しい。

南には『ラーンクルバ』という陸がある。以前は水も植物も豊富だったが、今はほとんどが砂漠と化している。50年ほど前から資源をめぐる戦争が起きているが、資源といっても特別な鉱石や力のある遺物なんていう物ではなく、水と食料だ。


南西には『レースカイン』という大陸がある。近年この大陸のある国で革命が起き、いくつかの噂が飛び交っている。「魔王は生きている」などと。

北西には緑が豊かだった『ブラーダ』と呼ばれる大陸がある。90年前に魔王と対抗すべく多くの兵を募り、多くの兵器を所有していた国がこの大陸の中にある。それが『ヘンス』と呼ばれる国だ。今は見る影もない、堕落した者が王であり続ける限り。


【ヘンス国城内】


(勇者レイダ、目を覚ますのです。)

「黙れエイル。……黙れ。」

(勇者レイダ、あなたは闇に心を冒されてはいけな――)

「黙れ!! 」


 大きなベッドから、男は叫びながら上半身を勢いよく起こした。

男は端麗であり、若々しくたくましい肉体を持つ立派な青年のようだが、冷や汗を出して鳥肌が全身に現れている。震える体を力ずくで止めようとするが、どうにも止まらない。するとどうか、男はその美しい見た目からは想像ができぬほどおぞましく下品に笑った。


あわただしく部屋に走り寄る音が聞こえる時には、すっかり笑う男の体からは震えが止まっていた。


「レイダ王! いかがされましたか! 」


 扉の向こうから男の老けてかすれた声が聞こえる。この声を聴いた『レイダ王』と呼ばれた男は昔のことを思い出して苛立ち、だが老いたその声を再度思い返すとまた下品に歯をむき出して笑みを浮かべた。


「今すぐ風呂の用意と出かけの用意をしろ。」

「はッ! 直ちに! 」


 レイダはいつものように大きなベッドから身をよじり出して履物をはくと、武器掛けにかかっている大きな剣を一振り持って廊下へと続く扉の方を見た。すると扉が独りでに開き、レイダが出るとまた独りでに閉まるのだ。


 レイダはある時からヘンス国の国王となった。しかし国王としての威厳は外見からは欠片もなく、見るに堪えないほどだらしがない。髪は乱れて就寝時のローブのままで城内を歩き回ることは、他国ではありえないことだろう。しかしそれだけならいいが、ローブははだけてもはや上半身は丸見えである。


だらしがない姿ではあるが元の姿が美しいので、その肉体に男女ともども一度は釘付けになるのだ。


「おはようございますレイダ王。本日も麗しく……」

「……」


 挨拶を無視する国王がはだけた寝間着のローブを着て、一応鞘に納まっている大きな剣をズリズリ引きずる姿を見た反応が男女ともにこんな感じなのだから、城内の者たちは慣れたものである。


 レイダが浴室前に着くと、先ほど寝室の前で応答していた老人と何人かの女性がひざまずいていた。老人はその声からは想像ができないほどの巨漢で、成人男性の平均より少し高いレイダより、頭が2つは背が高いのである。


「顔をあげろドレッド。」

「はッ! 」

「頭が高い。」

「はッ! 」

「それでいい。」


 ドレッドと呼ばれるこの老人は、若いころからレイダのそばにいた人物で、その異名が『黒塗りのドレッド』である。そのいわれは魔物の返り血である。


「レイダ王、今日はどの者に洗わせましょう。若く美しい女を用意しております」

「興味ない。貴様が洗え。」

「はッ! ……」


 ドレッドは顔色は変えないが、一瞬の沈黙があった。そしてそっと目を閉じて立ち上がると、浴室にいる女性たちに顔を振って見せて去らせた。

レイダは寝間着のローブのかろうじて結ばれていた帯ひもを軽く引きほどくとあっという間に全裸になり、浴室の扉を一目見るとまた独りでに扉が開いた。

あいも変わらず大きな剣をズリズリと引きずりながら浴室に入っていく。


 さすがは王の浴室だろうか、けんらん豪華で金の細工までしてある。だが不思議なことに、金以外の細工は一切ない。最近の上流階級では清く美しい銀細工や宝石が流行りものであるのにだ。

レイダはそんな美しい浴室に入ると、美しく金細工のされた椅子に腰かけた。


「おいドレッド。早く洗えよ。」

「はッ! 」


 ドレッドは何年も何十年もいつもこの調子である。女性に洗わせようとしたのは、若き頃にともに入った遊び宿の思い出をレイダに思い出させようとしたからだ。なぜなら、まだそのころのレイダは光を帯びていたからだ。

 そのころのレイダは非常に純粋で、魔王を討伐することや、騎士の仲間の幸せ、世界の幸せを願うのが彼の全てだったのだ。

女性に対しては疎いとかではなく女性の顔や肌を直視できぬほどであり、結局赤面するだけで遊び宿では何をするわけでもなく普通に宿に泊まっただけとなるほどだった。


そんなことを顔には表さないが思い浮かべるドレッドは、レイダの体を洗い始めた。


「悪くないな赤塗のドレッド。」


 ドレッドはこのあだ名が聞こえた瞬間、手は止めないが顔を濁らせた。


「いえ、レイダ王。私のあだ名は黒塗――」

「そうだな、返り血だよな。それには俺のもあったよな。赤かったな。」

「……は。」


 ドレッドはいつもこの、こうだ。何も言えない。なぜなら――


「俺はお前が赤塗になったのをよく覚えている。特等席だったからな。」


 ドレッドは若き頃、レイダを裏切り刺したのだ。


「レイダ王、いや。レイダ。俺は……」

「わかるよ。俺ももう終わらせたい。あのふざけた神共も魔王も、俺らの知ったこっちゃなかったもんな」


  ドレッドはレイダを洗う手が止まっていた。そのことをわかっていたレイダは立ち上がって湯をかぶり、ついでにドレッドにも湯を頭からかけた。


「もういい。でかけるぞ。」

「……おう。いや、はッ! 」


 浴室をでた2人はいつもの調子に戻っていた。家臣もいつものレイダ王と騎士ドレッドだと確認するやひざまずき、身支度の整いがある部屋に入るとドレッドと数人の家臣がレイダを着替えさせる。

そのうち家臣はレイダの持つ剣を見ると、少し顔を曇らせて1つ提案をした。


「レイダ王。職人に鞘を直させましょうか」

「いらん。これでいい。」

「ははッ。」


 一蹴されることは分かっていたが、どうもいけない。なぜならレイダの持つこの大きな剣こそかつての伝説の剣であり、今では忌者の証だからだ。


 「レイダ王、本日もその剣をお持ちで? どうか、これでは国民を装っても効果がありません。」

「何度も言わせるな。これは片時も離せんものだ。」


 家臣は斬られる覚悟で言った言葉をいまさらになって後悔したが、どうやら無事だったようで胸を撫でおろす思いだった。


「では出かける。今日も余は1人だ。ついてくれば斬ろう。」


 国民になじむ服装でありながらその恰好に似合わない剣を担ぐレイダから出るその言葉は、残念ながら本音だ。前例がある。


フードを顔が隠れるほど大きくかぶり、家臣に見向きもせずにレイダはその場から消え去った。

かつての勇者しか使えなかった転移魔法である。


【ヘンス城下町下層】


 街に活気は一切ない。城下の者たちは皆うつろな目をしている。

行きかう民は石畳に座り込んで酒を飲んだり、何やらを取引したりして不気味にさまようばかりだ。

しかし店はやっている。いや、これでやっているといっていいかはわからないが、少なくとも開いてはいる。

ただ店主は寝ていたり、店の奥で何か楽し気に男女の声がするばかりだ。


 他の国王ならば心が痛むところではあるが、レイダはいつものように歩いている。服屋を通り過ぎ、道具屋を通り過ぎ、防具屋を通り過ぎ、武器屋を通り過ぎる。香水屋から香るのは以前は清い香りであったが、今では香水の瓶がいくつも割れてこぼれているのか、混ざりに混ざったきつ過ぎる臭いが通りにまで漂うのだ。

一瞬レイダが透明なベールに包まれたのは自動的に何かの魔法がかかったのか、何事もなかったように顔色一つ変えずに通り過ぎる。


 昼過ぎ、行きついた先は酒場。

レイダは最近酒を多くとるようになった。城下町の酒場にいかなくとも城内では高級な酒を楽しめるのだが、レイダはこの場所で飲むことを好んだ。

酒場はこの時間でも人が多い。

皆ここで過ごすのだ、何をするわけでもなく。


席が一つ空いているので、レイダはそこに座った。するとけだるそうな店員が寄ってきた。


「なんにしますー? 」

「酒と揚げ魚をもら――」

「酒はあるけど魚はないよー。」

「……では肉とパンと酒だ」

「……あんた、金はあんのかい? 」


 フードをかぶった男は周りからどんな風に見えているのだろう。レイダは家臣の選んだ服の袖を改めて見て鼻で笑った。

ボロボロなのだ。それは金も持っていなさそうなほどに。


「金はある」

「前金だよ。出しな。」


 レイダは言われるがままポケットから金貨ではなく銀貨を5枚取り出すと、店員に見せて渡した。


「あたしとやりたいのかい? ボロはお断りだよ。あと釣りはないからね。ちょっと待ってなー、飯と酒用意するから。」


 店員は上質な銀貨を3枚ポケットにそっと入れると、残りの2枚を店主に渡して注文を伝えた。店主はここいらでは珍しい人で、しっかり者の様子だ。上質な銀貨2枚に対してお釣りの銀貨を1枚渡してしっかり客に渡すように言うのだ。店員はそれに対してけだるそうに頷いて、またレイダのもとへやってきた。


「あいよ、……釣りだよ。」

「いらん。とっておけ。」

「ふーん。」


 店員は何やら意味深な笑みを浮かべると、レイダの顔を覗こうとフードの下に顔を近づけたが、レイダに止められた。


「腹が減った。早く頼むぞ。」

「ふーん、あいよー。」


 何食わぬ顔でレイダのもとを離れた店員は、キッチンカウンターから酒を注いで、ついでにそろった注文の食事をもって再びレイダのもとへやってきた。


「あいよフードのおにいさん。飯と酒だよ。」

「おう。」


 何やら気になる様子の店員だったが、レイダに手を払われたので少し顔を膨らましてキッチンカウンターへと寄りかかるために戻っていく。


 持ってこられた肉はボロボロで、パンもカスカスなのだが、この国の城下町の食事はこれが平均的な食べ物の質だ。

食事をする前になみなみ注がれた酒を飲み干すと、上等な銀貨1枚渡して酒を3杯頼んだ。味はうまくはないが気分の問題である。ある神の加護のために、レイダは酒に酔うことはない。

 レイダがパンに手を付けて一口モゾッっとかじったところ、本当に貧相な男が1人会釈をして話しかけてきた。


「あ、あぁ。あの。こ、ここ。座っていいですか? 」

「ああ。構わん。」


 貧相で体臭かおる男に相席を申し込またレイダは、フードの中の表情も口調も一切変えずに許可した。


「あ、ありがとうございま、ます。」


 レイダはこの男がなぜ寄ってきたのかがわかった。今までさんざん見てきたからわかるのだ。上等な銀貨で料理を頼む奴は、このような者に目を付けられる。

そして食べ物を分けてほしい、ついでに酒も。と、こんな感じで願うんだ。


「う、うまそうですね。いいにおいで、す。」

「食うか? 」


 食うか?などと言われたのはこの男には初めてのことだったので、驚きのあまり目を丸くして口を開けてフードで顔の隠れたレイダを見つめていた。


「え、い、いいんですか? ほんとうに? 食っちまいますよ? 」

「食えよ。酒はこれをやる。」


 目を丸くして黙っている男を無視してレイダはパンを半分ちぎって肉の入った皿に戻し、肉は手つかず、酒も3つのうち口をつけていない1つを男に渡して勧めた。


「遠慮すんな。」

「え、へへへ。いただきますよ旦那。」


 男はパン半分と肉のはいった皿をそれは嬉しそうに引き寄せると、フォークで肉を刺して食べ、パンを食べ、また肉を食べ、貪るように食べていた。決して量は多くない。だが美味しそうに食べるのだ。

レイダはそんな男をしり目に席を離れ、店員のもとに行くと追加でパンを10個と干し肉5切れ、少しの野菜と4杯の酒を追加で注文した。そして、何か空いている袋に買ったパンと干し肉と野菜を入れて持ってくるように言う。


 何食わぬ顔で席に戻ると、皿に残った肉と少しのパンを大事そうに食べる男があった。酒を飲みながらレイダはしばらくその様子を見ていると昔のことを思い出して男をあわれみ、昔見た辛いながらにも見える人々の笑顔を思い出すと微笑みたくなる。

だが、徐々にそれは苦痛になり、見えないながらに顔はゆがんで怒りにも似た感情が表をかすめた。そして笑った、この男がこうなっているのは、全てとは言わないが自分のせいであることを知っているからだ。


 男は皿に残った肉のカスを残りの一口のパンで綺麗にふき取って食べると、満足そうに一息ついた。


「うま、うまかったです旦那。どうも、あ、ありがとう、ございました。」

「かまわん。酒も飲めよ」

「こ、これはど、どうも。」


 男はちらちらとレイダを見たが、ついには酒をつかんで少しずつ飲み始めた。

レイダはそんな姿を見て自分でもわからぬ感情になったが、ニタニタと邪悪な笑みを浮かべながら男を見て酒をあおる。

 店員が少し大きい何かが入った様なボロ袋をもってやってきた。

他の客や居座ってる者たちは不思議そうにその袋を目で追っている。

レイダにその袋を渡すと店員は少し色気のあるような目でレイダを見たが、レイダに手を払われたので、またムスッとして戻っていく。


「旦那、そ、それなんです? 」


 男は不思議そうにレイダが受け取ったボロ袋を見ると、レイダは何食わぬ顔と変わらぬ口調で言う。


「ゴミだ。貴様に食い物をやったんだ、代わりにこの店のゴミを持って帰る仕事をしろよ」

「そ、それくらいなら、お、お安い御用です。」

「ほら。ドロドロに腐った肉と野菜だから臭いも酷いが、片付けろ。食い物食ったんだ、それくらいできるはずだ。」


 ドロドロに腐った肉と野菜。そういわれて男や周囲の袋を見ていた人々も顔をゆがませて目を背けたが、渡された男は異変に気が付いた。

少し袋を開けると、肉の腐った臭いどころかパンや肉のいい匂いがしている。だが男はレイダのフード越しの視線を感じ、演技して見せる。


「おえぇ。こ、これですかぁ? ま、で、でも飯食えたし、そ、それくらいは……。」


 顔をゆがませて鼻を覆った男を見た周囲の人たちは、完全にその袋から興味を失せさせた。男は袋の本当の匂いが漏れないように急いでひもで括ると、テーブルの下にその袋を置いた。

店員も少しいたずらな笑みで笑うと追加の酒をもってきて、鼻をわざと覆ってそそくさと戻っていく。

レイダは酒を置くと、男に呼びかける。ただの気まぐれだ。


「貴様名前は? 」

「お、俺の名前? 無い、です。」


 そんな気はしていたが、一応別のことを問い始める。


「どこから来た。」

「俺、俺は、レ、レースカイ、ンのソルドモで、す。」


 レースカインの『ソルドモ』という国は、3年前に革命が起きた。根強く思われていた思想に反発した者たちが結束し、統治者や王を奴隷ともども殺して現在では異端とされる思想の教会が統治する国となった。

男の身の上はソルドモの前王の奴隷であり、他の奴隷はほとんど殺されて命からがら海を渡って逃げ延びたということだ。

そのことを知ったレイダは思い当たりがあるのか、少し笑みを浮かべて一言相づちをして聞いていた。


 どれくらい話をしているのだろう、いや、話をしているのはこの男だけだ。レイダは静かにそれを聞いていた。自分に責任があるのを知っているから、聞くしかないとも思っているのかもしれない。

レイダが真剣に話を聞いてくれているように見えるので、つい男も嬉しくて話し続けるのだ。


 追加に追加した酒をあらかた飲み終えたころ、時間がたつのは早いようで外は暗くなっている。客の顔は昼間と比べて同じ顔もいるが新しい顔とも入れ変わっている。


「今日は、ご、ごちそうになっちゃいまし、た。旦那! 話、もできて、楽しいです」

「あぁ。余もだ。」


 レイダは全く変わりないが、男が酔って気持ちがよさそうにテーブルに突っ伏そうとしているころ、1人の身なりが整った者が近づいてきた。

一目見てわかるその装いと紋章。神エイルを崇める教父だ。

 神エイルを崇める思想だが、現在では異端であり、革命があってからは『ソルドモ』を中心としている。

そして旧思想の残党狩りをしていることも、近年では有名である。

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