第2話  いつもの朝

〇 いつもの朝

 カーテンの隙間から、こぼれた朝日がベッドの上に光の柱を作る。

 ちゃんと掃除をしてるはずの部屋にホコリが舞って光を反射して輝いているようにも見える。

 朝…ねむい……

 コンコン。

 いつものように部屋の扉がノックされる。朝の始まりの合図。

「おちびちゃん、朝よ」

 優しいお姉様方の声。

 本当なら高等部に入学しないとは入れない富士見女学園学生寮。

 中等部二年生のわたしは、一人ベッドの上で身じろぎ。

 昨日の夜、夜更かししてお話を書いていたから、ねむくてお姉様への返事をあくびで飲み込んでしまう。

 …お返事しないと……また……

「あら、返事がありませんわ」

「またお寝坊なのでしょう。起こしてさしあげなくてはいけませんわ」

 扉の向こうで声がして、もう一度ノックの後にわたしが返事をするより早く三人のお姉様方が入って来た。

「お早う、おちびちゃん」

「おはよ…うござい…ます、お姉様方…」

 ベッドから半身を起こして挨拶を返したもののねむくてねむくて、わたしはかくっと頭を落としてはっとなって顔を上げる。

「今日はいつにも増して眠そうやね。またホームシック?」

 わたしの頬を冷たい両手で挟みながらお姉さまが顔を覗き込む。

 この方は小夜子さよこさま。寮に住んでないのに毎朝寮に住むお姉様方――綾小路あやのこうじ様と五賀島いつがしま様――とわたしの様子を見に来る。

 小夜子さまは切れ長の目をして鼻筋の通った純和風美人。別嬪さんと言う言葉が良く似合う高等部二年生。

「…ちょっと夜更かしを……」

「あらまぁ、また映画見とったん?」

 机の上のポータブルDVDをチラッと見る小夜子さまにいたずらっ子のような笑みが浮かぶ。

「夜はちゃんと寝なあかんよぉ。まぁだ眠そうやし、お着換え手伝ぉてあげましょね」

 ぼぉっとしているわたしの頬にあった手が下がって、ぷちぷち…パジャマのボタンが外されて――わぁ!

「だっ、大丈夫です。もう目が覚めましたから!」

 胸元を押さえて小夜子さまの両手から逃れるために後ろに下がってベッドのヘッドパーツにしがみつく。

「そう? 残念やわぁ」

 言葉通りに残念そうに立ち上がる小百合さまとわたしを見て、他のお姉様方が楽しそうにくすくす笑う。

「着替えさせて頂けば良いのに」

 と綾小路様。綾小路様は、肩のあたりで髪を揃えて見た目はきつい感じ。でもとっても優しい美人の高等部三年生。寮長さんでもある。

「もう中学生ですから自分で着替えられます」

「そうですの? わたくしの実家では着替えもお風呂もお付きのメイドがしてくれますわ」

 そう言って笑うのは五賀島様。天然のウェーブがかかった薄茶色の髪が綺麗で、いつも笑顔の高等部二年生。小夜子さまの同級生。

 実は、毎朝様子を見に来てくださるお姉様方は、小夜子さま以外のお名前をわたしは知らなかったりする。

 一度、聞いてみたけれど

「ひ・み・つ」

 と、まるで示し合わせたかのように三人が三人とも片目をつぶり口元に人差し指を当てて、笑顔でごまかされてしまった。

 小夜子さまの名前を知っているのは他のお姉様が口を滑らせたからと言うただそれだけ。だからか小夜子さまは、その逆で苗字を教えてくれない。

 そして、わたしは小夜子さまが怖い。

 柔らかい物腰に西方のイントネーション。見た目もお人形のように美しい。艶のある黒髪に白い肌、瞳は黒曜石のようと言われている。

 なのに、何故かその目で見つめられると恐怖心が沸き上がる。

 みんなの言う黒曜石の瞳が、時々色が変わって紫水晶のような輝きを見せるから。

 最初は気のせいだと思った。でも…何度も色が変わるのを見た。だから気のせいじゃないと思う。ううん、そう思ってる。

「遅れないように、きちんと身支度して食堂に来るのですよ」

「はい」

 部屋を出ていくお姉様方を見送って、頭のところの出窓の棚に置いたメガネを取る。メガネをかけると世界が微妙に小さくなって、でもハッキリとした視界になんとなくほっとする。

 着替えようと立ち上がって、パジャマを見ると小夜子さまに中途半端に脱がされて開いた隙間から健康的とは言えない白い――灰色かなぁ――肌が覗いている。

 なんでか小夜子さまは、すぐにわたしを…脱がし魔って噂があるから誰彼かまわずかな。脱がそうとする。全裸にされたことは無いけれど、きっと小夜子さまは反応を面白がっているに違いない。うん。

 でもまあ、お腹の傷は見られたくないから止めてくれないかなぁ。

「おはよう、カメカメ」

 首を巡らせて机の上のカメの怪獣のソフトビニール人形にご挨拶。

 小さい頃に遊びに行ったおじーちゃん――父方の祖父――ちのつづらから見つけた古いお人形。下あごから大きな牙が突き出して緑に黄土色が乗った怪獣。足の裏に大映って書いてある。

 一目で気に入って一緒に帰るって泣いって駄々をこねて自分のものにしたそう。

 それ以来、学校以外は一緒にいるわたしの大事なライナスの毛布。

 本当の名前はガメラ。『大怪獣ガメラ』の主役だっておじいちゃんから聞いても、ずっとそう呼んでいたから呼び名は変わらない。

 このカメカメと少しの着替えを持って、わたしは富士見女学園中等部に入学した。

 だからクローゼットを開けても支給された制服三着と夏服三着に体操服二着。吊るすようなちゃんとした私服は無いから、あとは下の二段の引き出しに全部入ってる。

 着替えの前になんとなくシャワーを浴びたいけど時間的に余裕ないな。

 時計を見て、残念あきらめよう。

 下の引き出しから洗濯されたスリップと下着を出して着替えて、吊してある黒のセーラー服を取って袖を通す。

 校章の入った胸当てをパチンととめて、赤い大きなリボンをフックで固定。スカートを履けば登校準備完了……裸足だった。

 冬のしもやけ――ひどいと凍傷――を防ぐために履く以外は裸足だったからついつい靴下を忘れてしまう。

 だいたいは、食堂に行った時にお姉様方が注意してくださるから大丈夫。

 なのにお姉様方の親切な警戒網を潜り抜けて登校して何度か注意されていたりも、する。

「わざとじゃないんだよ~♪」

 床に座って白いコットンのソックス――防汚、防臭、抗菌だそう――に足を通しながら歌うように呟く。

 シワになるのを気にしてスカートを広げて直接床に座ったお尻が冷たくてベッドに座れば良かったかな、と思う。

 昨日の晩のうちに授業の準備はしてあるから二段目の引き出しを開けていくつかのノートの中から人型シールの付いたノートを出して鞄に追加。これは、今書いているちょっと残酷なアンドロイドの女の子が主役のお話。

 昨日夜更かしして書いていたのは剣と魔法の世界。ノートには剣と盾のマーク。

 忘れ物が無いか確認して登校準備を終えたわたしは朝食を取りに鞄を持って部屋を出た。食べ終わったらそのまま登校。

 お姉様方は、少し早めに起こしに来てくださるので余裕を持って食堂に行ける。

「おはようございます」

 立ち止って寮生のお姉さま方にお辞儀でご挨拶。お辞儀の角度は十五度。

「ごきげんよう」

 と、にこやかにおへそのあたりに両手を当てながら綺麗なお辞儀でご挨拶を返してくれるお姉様方。

 中等部は、おはようございます。高等部になると色々規則も厳しくなって、ごきげんようになる……らしい。

「おはよう、ちびちゃん」

 食堂でもわたしの呼び名はちびちゃん。この寮では一番年下で背が低いから、じゃなくて本当の意味で背が低いから。同じ年齢の平均身長よりも一〇センチ近く……以上低い。

「おはようございます」

 厨房内に朝の挨拶をしてぺこりと頭と下げる。

「はい、朝食。今日も頑張って食べられるだけ食べなさい」

 カウンターに置かれたわたし用の朝ご飯を見て、もうごちそうさまをしたくなる。

 栄養計算されて出される毎回のご飯はおかずからなにから全部の量が多くて、残したくないのに食べられないからいつも残すことになっちゃう。

 もったいないから量を減らすように、最初は厨房のコックさんにお願いしてみた。でもコックさんは上から言われているから無理って。最終的に主治医のおじいちゃん先生に言っても

「子供はたくさん食べて大きくならんとな」

 カカカと笑って終わり。だからもう言うのをやめて、いやだけどお残しする。

 ずっしりと重い朝ご飯の載ったトレイを持ってお姉様方のお座りになるテーブルの間をいくつか抜けてわたし専用テーブルへ。

 定数外の寮生だからわたしの席は一人用ですみっこ。だけど見晴らしがいい場所にある。

 高等部のお姉様方は席が決まっていて一緒に食べられないから、せめてと寮長の綾小路様が場所を決めたと、内緒で五賀島様が教えて下さった。

 今日もいい天気だなぁ……

「一口でも食べなあかんよ」

 外から視線を戻すとどこから椅子を持ってきたのか小夜子さまがわたしの前に座った。寮生じゃない小夜子さまは席が無いから邪魔にならないよう適当に座っていて、ちょくちょくわたしのテーブルに遊びに来る。

 せっかく外の景色を見て朝食から意識をそらしていたのに……

「そう言う小夜子さまは朝食を食べたんですか?」

「わし…こほん、わたくしは寮生やないから、ここに来る前に食べとるよ」

 小夜子さまは、時々ぽろっと一人称が“わし”になる。誰もいないところでしか変わらないからわざと間違えてるんじゃないのかな。

「お着換えだけやのぉっておまんまも食べさしてあげよかぁ?」

「自分で食べますよぉ」

 朝は食欲ないのに。小夜子さまが前に座るとこうやって食べることを強要されてしまう。

「たぁんとおあがり」

 頬杖を突く小夜子様は目を細めて、薄らと笑みを浮かべた。

 その美しさに見とれて、わたしのお箸を持つ手が止まってしまう。

「くふふ。わたくしが綺麗で見とれてまう?」

「そっ、そんなことはありませんよっ」

 おかずを食べてご飯を食べてお味噌汁を飲んでと三角食べをするわたしを眺めながら、小夜子さまはやっぱり目を細めて笑ってる。

 その視線があまり気にならないのは、小夜子さまが見ているのはわたしじゃなくてもっと遠くを見ているようだから。

「前も言うたけど、お箸の持ち方ぁ直さへんの?」

「いいんです。直らないから」

 口の中のものを飲み込んだタイミングでわたしは答えた。

 わたしのお箸の持ち方は礼儀正しい持ち方じゃなくってほとんど握り箸。違うのは指五本ではなく人差し指と中指でお箸を握るようにして持つこと。

「小豆だって持てるし不自由ありませんから」

「あらまっ! そっか、そんならねぇ」

 もう何回このやりとりしただろう。答えるわたしもわたしだけどリアクションも同じな小夜子さまは何がしたいのかな。

 いつどおりに食べられるだけ食べて、お残ししてごちそうさま。

「お盆はわたくしが下げとくさかい。はよぉ学校お行き」

「あっ、はい。ありがとうございます」

 基本的には小夜子さまはとっても優しい。

 時々脱がそうとすることとわたしが一方的に得体の知れなさを怖がっているだけで。

 小夜子さまの背中を見ながら立ち上がり椅子の位置を揃えたら鞄を持って歩き出す。

 玄関で革靴に履き替えて

「いってきます」

 寮母さんに挨拶をして外に出る。

 今日もいい天気。

 高等部寮の門を出て、お姉様方は敷地内を右へ。わたしは左に曲がって中等部に向かう。

 お嬢様学校と名高い名門校の中等部に入学して一年とちょっと。

 どこにでもいるようなわたしがお嬢様学校にいること自体がおかしい。だから慣れないこともたくさんあるけど、それでもやっと富士見女学園と寮生活にも慣れた気がする。

 さあ、今日が始まる。

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