4月10日(水) 奪われた紬希の相棒

4月10日(水) 天気…曇り/雨



 六時限目が終わった放課後。僕が帰り支度をして玄関に向かうと、なぜか今日も紬希と鉢合わせしてしまった。


 しかも、今日の紬希はどこか様子が違う。いつも無口で感情を表に出さない彼女だが、今日は何時になく不機嫌そうであることが、漂う雰囲気から伝わった。何かあったのだろうか?


「……今朝、先生に怒られた」


「え? なんで?」


 出合い頭での突然の告白に、僕は戸惑う。


「今日、朝のホームルームで、持ち物検査の時」


 そこまで言われて、僕は全てを悟った。


 今日、朝のホームルームで、新島先生が教室に入ってきた途端、「抜き打ちで持ち物検査やるぞ」なんて言い出して、クラス内は騒然とした。


 この高校は校則が比較的緩いことで有名だったから、どうして今になって突然取り締まりが厳しくなったのだろうと、クラスメイトの誰もが不思議に思ったに違いない。


 しかし、後々噂で聞いたところによると、持ち物検査は僕らのクラスだけでしか行われなかったらしい。


 つまり、今回行われた唐突な持ちもの検査は、僕らのクラス担任である新島先生が、高校生に進級した僕らにけじめを付けさせるため、独断で敢行かんこうした検査だったのだ。


 先生は良かれと思ってやったのだろうが、僕らにとっては全くもって余計なお世話でしかなかった。

 この一件のおかげで、担任に対する僕の評価はだだ下がり。クラスメイトたちの評価もさぞかし暴落したことだろう。


 しかし、その時僕は幸いにも先生に見られて困るものなんて何一つも持って来ていなかったから、どうにか難を逃れることができた。


 ――ところが、紬希の方はあるものを見つけられ、没収されてしまっていたのである。


「……クマッパチか」


 僕がそう答えると、紬希はむすっとした表情のまま頷いた。


「先生、私からクマッパチを奪い取って、『こんなゴミを学校に持ってくるな』って。放課後になってようやく返してくれた」


「本来持ってくる必要のないものを見つけられたら、そりゃ没収されるよ」


 当たり前だろ、と思わず言いたくなる。それなのに彼女は、放課後になってようやく返されたボロボロの縫いぐるみを、性懲しょうこりもなくまた制服の胸ポケットに差し込んでいた。


「クマッパチを『ゴミ』扱いするなんて、許せない。……うん、絶対復讐する」


 この時、紬希が何気なく放った最後の言葉に、僕は戦慄を覚えた。


(あれ? こいつ今サラッと、とんでもないこと言わなかったか?)


 いつも物静かな彼女の口から、「復讐」などという物騒きわまりない言葉が出てくるなんて思ってもみなくて、僕はうろたえた。


「あの……そんなことしても、君の中にある不満はえないと思うんだけど……」


 ひょっとして気持ちが高ぶっているだけなのかもしれないと思い、僕は紬希の怒りを鎮めるべく、おずおずとそう意見する。しかし、彼女はかたくなに首を横に振った。


「私のためじゃなくて、クマッパチがそう望んでるの。礼儀知らずの先生に、お仕置きをしてやれって」


「…………は?」


 突拍子の無い発言に、僕の思考は一瞬停止する。


「……クマッパチって、その縫いぐるみが?」


「縫いぐるみじゃない。クマッパチなの」


 頭が混乱してきた。正直言って、僕はもう紬希の話についていけなかった。

 もうどうぞ勝手にやってくれと投げやりになって、僕は彼女と距離を置く。


 ……こいつ、やっぱり変だ。あまり関わらない方が良い。

 そう直感した。面倒事はなるべく避けてやり過ごしたい僕にとって、彼女は僕の高校生活に害をなす悪玉菌のような存在になるのかもしれない。


 僕は、どうかあいつが出過ぎた真似をしないよう、居もしない神様に祈ることしかできなかった。


 それにしても、あのクマッパチとかいう縫いぐるみは、紬希にとって一体どのような存在なのだろう?

 あんなにボロボロで、薄汚くて、ツギハギだらけで見るからに臭そうなあの縫いぐるみのために、どうしてそこまで躍起やっきにならなければいけないんだ?


 次々と湧き上がる疑問にさいなまれたまま紬希の隣を歩き続けていると、いつの間にかもう自分の家の前までやって来てしまっていることに気付く。


「――ところで、凪咲君は明日、行くの?」


「へっ?」


 紬希から唐突にそう問いかけられて、僕はふと我に帰った。


「明日から始まる一年生の研修合宿。行くの?」


 そこまで言われて、僕はようやく思い出した。


 ――明日から三日間、高校生活が始まって最初の行事でもある、新一年生全員参加の研修合宿が始まるのだ。

 学校の校則や高校生活の過ごし方、校歌の練習や制服の着こなし等々、これから始まる高校生活に必要な知識を身に付けさせるために、毎年一学年だけで行われている定例行事、ということらしい。


 けれど、この学校の先輩方がささやく噂によれば、二泊三日の四六時中、監獄のような部屋に幽閉されて、ずっと勉強漬けの時間を過ごすのだとか。

 高校生という青春時代を早々から勉強に費やしてしまうことに嘆き、不満を抱いた新入生たちが次々と合宿をボイコットしているという噂も聞く。


「そりゃ、もちろん合宿には行くよ。だってあれ、一年生は基本全員参加だし」


「そう。……なら、また明日」


 紬希はそう言って、僕に背を向けて颯爽さっそうと立ち去ってゆく。小さくなってゆく彼女の背中に、僕は何か不穏な空気を感じていた。


 ただでさえ不安の種である紬希のことが気になって落ち着かない中で、勉強に精を出せるはずもない。


 引越し先での平穏な高校生活の日々は、まだまだ遠い先であるように感じられた。

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