第3話
「トオル……。あぁ、いきててよかった」
ぼくの顔をみるなり、母さんは破顔した。
ぼくは森で迷子になったことを話した。
「そう……。でも、無事で何よりよ。最近は森でキマイラがでるというでしょう? 食べられちゃったんじゃないかって」
「ぼくは痩せているから食べてもおいしくないだろうね」
キマイラにあったことは伝えなかった。
「家には誰もこなかった?」
母さんは首をふった。
「皆、うつるのが怖いのよ」
『灰色の金縛り』が伝染病でないことは、町の多くの人はしっている。皆、ぼくたちとかかわりたくないだけだ。
ぼくは薬缶に火をつけ、お湯を沸かすことにした。森で採取した薬草を使って、鎮静剤を作るためだった。水の残りが少ない。あとで町の中央の井戸まで汲みに行く必要がある。
「母さん、お腹すいてない?」
「大丈夫。うごかないから、体力を使わないのよ」
母さんは布団に横たわったままいった。
湯が沸くまでの間、ぼくは戸棚をあけてパンをとりだし、サンドイッチを作ることにした。
「でも、食べないのはよくないよ」
部屋には濁った空気が充満しており、ぼくがいない間、換気をしてないことがわかった。窓をあけると、町の中央から市場のよびこみがきこえた。
「ぼくの鎮静剤が余ってる。これを飲んで、食事にしよう」
トマトとベーコンとレタスを食べやすいサイズに切る。それをパンの間にはさみ、簡易的なサンドイッチができあがった。
ぼくはお皿にサンドイッチを置き、水の入ったコップと共に母さんの布団へもっていった。母さんに鎮静剤を手渡す。
「飲んで」
これを飲まないと食事をするのも苦行になる。
「ありがとう」
母さんが薬を飲んだのを確認し、ぼくはサンドイッチをてわたした。
「昔、母さんが作ったサンドイッチはもっと見た目がかわいかったよね」
「トオルのもかわいいわよ」
母さんはサンドイッチを食べながら、微笑みをうかべた。
「おいしい。トオルも食べなさい」
途中、母さんはせき込んだ。ぼくはコップに水をつぎ、母さんにわたした。
「ありがとう」
「薬、もうすこししたらできるから」
母さんは胸をおさえていた。
『灰化』がもう肺のあたりまで進行しているのだ。
最初は足が、その次に股が、お腹が、……下半身から徐々に蝕まれていく。ぼくも当事者であるから、その恐怖はよくしっていた。
最後は脳を灰に乗っ取られるのだ。
ぼくは母さんの背中をさすった。
「トオル……、あなたは、大丈夫?」
「ぼく?」
「この頃、あなたも咳をしているでしょう?」
深夜のことだろう。
ぼくは母さんとちがって、夜の方が灰化の痛みが激しかった。
「ぼくは大丈夫だよ。安心して」
空笑いをうかべる。
『灰色の金縛り』は遺伝する可能性のある病気だ。衰弱が酷な時、母さんはぼくにむかって嘆いた――「産んでごめんね」と。
出産は生物の力だ。
だが、ぼくの下半身はすでに生物としての役目がない。
――自然に近い存在なのね。
アサナギの無邪気なことばをおもいだす。
それであるなら、ぼくは果たして生物なのだろうか?
水を汲みにいく途中、カゼユキにであった。
「よぉ、トオル。きいたか? 今度、キマイラ討伐部隊ってのができるんだって」
「無謀だろ……。食われるにきまってる」
カゼユキの話では、最近、キタトリの町近辺にまでキマイラがきていたらしい。近日、隣町と外政をするらしくその時に脅威にならないよう、駆除するようだ。
「王の国から散弾銃が届いたらしいんだよ。キマイラ討伐のためにって」
「本当か?」
キタトリの町はよその町とくらべて技術が未発達であった。
そのため、銃がなかった。弓と竹槍を用いた、歩兵戦術が主であった。
「昨日、酒場でガナードのオッサンが偉そうに撃つマネしてたぜ。『これでキマイラを討伐して、ワシは町の英雄となる』とかいってた。あのデカい指でトリガー引けるのかね」
「キマイラがいなくなれば、すこしは薬草探しが楽になるね」
キマイラになぜか襲われなかったことは、カゼユキにもいえない。
カゼユキはあたりをみわたし、声をおとした。
「なぁ……トオル。今晩、保政官の方が酒場にくるんだと。おまえもどうだ?」
「ふふん」
保政官になれば、兵役を逃れることができる。カゼユキとしては名を売りたいのだろう。
「ぼくがいくと皆が嫌がるだろう。水汲みにいく途中なんだ。また、訓練の時に」
「あ、そう」
カゼユキと手をふってわかれる。
広場で冷たい視線をあびながら、水を汲んだ。
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