三日月の園

菜凪亥 める

第1話

 新年度を迎えたとある夜。太陽と見間違えてしまいそうなくらい煌々としていて不気味なほど蒼い満月。周りの星々の輝きを諸ともせず大地を照らしていた。


 戦前から建っている古き良き日本庭園の家に住む少年は、丁寧に部屋の壁に掛けてある真新しい制服を眺めて考え事をしていた。

 少年の黒髪のマッシュヘアはきれいに整えられていて、窓の外に浮かぶ月に念を送っているようなその目は神秘的と称するに値するくらい明るい茶色である。


「学級委員は絶対ならなきゃいけないだなんて……。先生のご機嫌取りなんて御免だよ……。陽が一緒なら別だけど、アイツはきっと『お前がやりたくないものは俺もやりたくない』って言うんだろうな」


 スマホに映し出されるは少し首元のよれた紺色のブレザーを着た少年二人。中学時代の三日月涙と、彼の友人である日比谷陽。茶髪のアップバンクはいつだってぼさぼさで清潔感が薄い。だが笑顔は涙よりもいっそう輝いていて、まるで太陽の様だった。

 二人は月と太陽のような相対的な性格をしている。それでも二人は中学に入学したころから息が合っていた。お互い何か気がかりなことがあればいつだってチャットアプリで話をした。


 涙の家は日本でも有数の金持ち家庭で生活に困るようなことはあまりない。

 一方の陽は、涙が公家だとすれば武家の育ちとでも言おう。いつだって努力と戦略でコミュニティを広げていった。

 二人は中学の定期テストでも、校内模試でも、全国模試でも、あらゆる競い合いで常に和気あいあいとしながら真剣にトップ争いをしていた。当時の教師たちはその様を楽しんでいたらしい。涙が勝つと日食、陽が勝つと月食といった。天体に知識がない人間は「いや逆だろ」と総ツッコミするだろうが、ちゃんと意味が分かっている博識少年たちはそれを聞いて大笑いをかましたこともある。


ポロリン。マリンバの短くて軽快な音が端末から流れる。画面を覗くと陽からチャットが届いたようだ。指紋認証でロックを解除してメッセージを読む。


『明日のクラス組織決め、結局どうする?』


『さぁ。陽は何かしたいことあるの?』


『いやとくに。ただお前が学校からいい意味で目ぇ付けられてるからさ。抗うのか従うのかだけ気になって』


 涙は陽からのメッセージを見て項垂れた。どうせ自分が抗っても従っても周りから心配される。最初から自分には選択肢がなく、敷かれた道だけを歩いているのだと自負している。


 関西地方はおろか日本でもトップレベルの私立高校に、圧倒的な入試成績を収めて入学した。五教科の成績は合わせても指折り数えきれるほどしか誤りがなく記述問題も完璧にこなされていた。こればかりは陽も驚きを隠せず、彼は自分の友人が入学式の代表スピーチに出ることも知らなかった。陽の性格上、オフレコの情報でも直ぐに誰かにバラすと見て涙は教えなかった。


『どうせ最後には僕が折れて委員長になるわけだ。余程の理由が出来ない限り』


『余程の理由? 例えば?』


『世界の半分の人口が一夜にして消滅、僕または僕以外の家族が消えてしまう。とか』


 すると陽は爆笑しているトリのスタンプを連投してきた。そしてその後の文章には『消える時は俺も一緒だといいな』と書かれていた。


 どこまでもお人好しな男。涙はそんな彼が友人として大好きだ。彼は入学式を迎える前に誕生日を迎えた涙に対していち早く誕生日プレゼントをわざわざ家まで届けに来た。出会ってから毎年そうだ。身分や家柄のことなんて気にも留めず、日比谷陽という硬派な自由人は大事な友人の家のドアを叩きに来る。


 そんな彼から今年、涙はジャズのCDを三枚貰った。涙は家柄上、持つ才能は全て開花させられた。芸術のセンスもある。クラシックの演奏もできる。涙の親はクラシックを弾いている涙しか見たことがないせいで、勝手に好きな音楽のジャンルを決めつけた。彼はクラシックよりもジャズが好き。ジャズもまた硬派でありつつ自由といった面があると涙は思っている。まるでいつも横に居てくれる男のような。


「涙。夕飯の用意が出来ましたよ」


「ありがとう。今行くよ、母さん」


 少し気だるさを感じる身体を机から無理やり剥がして立ち上がる。


 今晩はこれから入学祝いと誕生祝いの宴だ。このために最近少しバラバラになった姉弟が集結してきた。


 三日月家の最初の子にして、最もまっとうな生活を送っている七つ上の長女、咲。

 東京で男と遊ぶのがやめられないホステスに就いた四つ上の次女、秋。

 涙はこんな姉の元に生まれてきた三人姉弟の末っ子で唯一の男だ。


広間に行かないでこのまま陽と話していたい涙だが、年上に歯向かうと酷いことになるのは目に見えているため、画面越しの彼に『ごめん、ご飯食べてくる。また数時間後』とだけ送って、返事も待たず部屋を後にした。

 


群青の空に不気味な色で輝き咲く飴玉は涙に何かを伝令したそうな光をぼぉっと放つのだった。

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