第6話 地主の息子に蹴り上げられる
運転席から降りて来たのは、外国製のジャケットを着た、小太りの若い男でした。
きついオーデコロンの香りが、清らかな山の気をまったりと甘く染めていきます。
虹色のサングラスの男は湖のように青ざめているおばあさんの前に立つと、おばあさんの頭のてっぺんから足の先までねめまわし、乱暴な言葉で凄みをきかせました。
「おい、ばあさん。まだ立ち退く気にならねえのかよ。期限は今月いっぱいだと承知しているんだろうな。それ以上は1日、いや1時間だって待ってやらんからな。裏山の桃の花が咲いてもなお居座っていやがったら、丸はだかで放り出してやるからな」
かわいそうにおばあさんは、籾殻の入った鍋を抱え、ブルブルふるえています。
そんなおばあさんのまわりを、卑劣な若い男はわざとゆっくり歩きまわりながら「舐めてもらっちゃ困るぜ。親父の一喝で、こんな店ひとたまりもねえんだからな」粗暴な
*
半年ほど前、とつぜん森のなかに温泉が見つかったのだそうで、ずいぶん前に観光ブームが去ってから見捨てられていた湖畔の土地も、にわかに高級リゾート地として再開発されることになり、外国資本による高層ホテルの建設も決まったとか……。
何十年間も住みなじんで来た自宅兼店舗からの立ち退きを迫られたおばあさんは、
「わたしにはどこにも行くところがないのです。どうかここに住まわせてください」
神さまを拝むようにして頼みましたが、棚ぼたの温泉発見でひと儲けもふた儲けも企む地主が、元手にもならないおばあさんの願いなど聞き入れるはずもありません。
今月いっぱいに出て行ってもらうの一点張りで、冷たくあしらわれて来たのです。
*
3月の終わりといえば、雑貨店のうしろの雑木林に何本か混じっている桃の木が、冬のあいだ堅く閉じていたつぼみを、ようやくほころばせ始めるころのことです。
――ここを出て、どこへ?……。
おばあさんは悲しい気持ちで裏の雑木林を見やりました。
すると、気のせいでしょうか、セピア一色に枯れきっている雑木林のなかで、数本の桃の木のまわりだけ、うっすらピンク色の霞がかかっているように見えるのです。
――今年は暖冬だったから、いつもより早く桃が咲き始めるのじゃろうか。
梅や桜より紅色が濃い花は、冬枯れの森に灯りをともすのじゃが……。
目の前のことも忘れて幻想に浸っていると、ふたたび男が喚きちらしました。
はっとわれにかえったおばあさんは、もう一度ていねいに頼んでみましたが、鷲のような目を尖らせた地主の息子は、短い足を上げておばあさんを思いきり蹴り上げ、ことさら乱暴なエンジン音をひびかせながら、峠道を猛スピードで走り去りました。
その一部始終を、湖面の4羽の白鳥家族が、じっと見詰めています。🐥🐥🐥🐥
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