桃の花が咲くころに 🌺

上月くるを

第1話 プロローグ



 湖のほうから乾いた風が吹いて来ました。🍃


 たらいにしゃがみこんでいたおばあさんは、首をすくめて湖を振り返りました。

 数日前から、見慣れない白鳥が4羽、湖面に舞い降りているのです。🐥🐥🐥🐥


 まばゆいばかりに真っ白な羽、あざやかに黄色いくちばしをした大人の白鳥が2羽。

 やわらかそうな灰色の柔毛にこげ、うすいピンクのくちばしをした子どもの白鳥が2羽。


 毎年、秋になると、たくさんの白鳥が湖に飛来します。

 けれど、今年のおばあさんはなぜか、その家族が気になって仕方がないのです。


 そして、たくさんの白鳥たちにするのと同じように、朝に夕べに「ホイ、ホーイ」と呼びかけて餌の籾殻もみがらを撒いてやりながら「ねえ、おまえさんたち。わたしの大切な人たちをどこかで見かけなかったかい?」と訊ねてみずにいられないのでした。


      *

 

 山奥の小さな湖のほとりにある、1軒の古びた雑貨店。


 かつては店の前を行き交う旅行客や、日用品を求める村の人たちでにぎわっていたのですが、山のふもとに新しい道ができたり、山奥の不便な暮らしに見きりをつけた人たちが少しずつ町へ移って行ってから、めったにお客さんが来なくなりました。


 それでも、おばあさんは、毎日、店を開けつづけています。

 埃だらけの棚に並んでいるのは、いつ仕入れたか分からないような品物ばかり。


 むかし懐かしい「龍角散りゅうかくさん」や「仁丹じんたん」の看板、歳月に色あせて、うっすら「みず飴あり〼」と読み取れる張り紙などが、ささくれ立った板戸にへばりついています。


 人影がない湖面からは、ときどき、ぽちゃんと魚が跳ねる音がするばかり。


 かつてボートが浮かんで家族連れや若者でにぎわい、釣り人が糸を垂れていた時代がたしかにあったことなど幻想だったかのような……侘しい風景が広がっています。


 けれども、よく見てみますと、丈高く茂る葦の草むらには、浮袋やボートの残骸、釣りおもりやリール、それにビニールやプラスチック製のひも類やレジ袋などが、皮肉にも長年の風雪に朽ちもせず、もとのすがたを保ったままで絡みついているのです。

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