第10話 ニセ信長、猿芝居おじょうずの巻

 秀吉の猿軍団は、備中高松城をあとにしてから、五日後には摂津せっつ尼崎あまがさきに着いた。距離にして約四十五里、百七十五キロ余を必死に駆け抜けたのである。当時、大軍での進軍は、一日あたり通常十五キロで、二十キロも進めば早いほうと言われた。

 それに反し、猿軍団は一日あたり三十五キロ進んだことになる。もちろん、驚異的なスピードだけに落伍者もいっぱい出た。しかし、どの兵も置いてきぼりにされるわけにはいかない。荷駄隊をひきいた本軍に追いつかないと、おまんまが食えず、最悪、飢え死にするのだ。

 秀吉は尼崎の禅寺に陣所を置き、自軍の兵が集まってくるのを待った。

 この尼崎の禅寺に、畿内の武将たちが噂の真偽を確かめるために顔を出した。当然、秀吉は信長に扮装ふんそうさせた足利義昭を最上段に据え、面会させた。

 最初にやってきたのは、高槻たかつき城主高山右近たかやまうこんである。

 右近はニセ信長の前に平伏し、その無事をことほいだ。

「さすが上様でございまする。明智一万余の兵に囲まれながら、これを斬りやぶるとはなんともはや信じられぬこと。いやはやご立派」

 そうヘラヘラ笑いながら、右近はへつらいの言葉を並べ立て、上目づかいでニセ信長を疑わしそうに見た。だが、寺の内部はふだんから薄暗い。しかも、上段の間をいちばん奥まったところに設けているから、顔がはっきりとはわからない。

 やむなく右近は、ためにしに一発、をかけてみた。誘導尋問をすれば、相手がなにかヘマをして、正体見たり枯れ尾花おばなになるやもしれない。

 右近は「ウオッホン」と咳払いしてから、わけ知り顔で言った。

「噂によれば、上様の脇差、薬研藤四郎やげんとうしろうが、本能寺の本殿跡あたりから焼けただれて発見されたとか。また、森蘭丸殿の短刀、不動国行ふどうくにゆきがそのすぐそばで見つかっておりまする……」

 その言葉が終わらぬうちに、信長とおぼしき人物が、薄暗がりから世にもおそろしげな声を出した。

「右近、なにが言いたいのじゃ。余が死んだのではないかと疑っておるのか。余が死んだとしたら、そちはうれしいのか。なんじゃ、そのヘラヘラ笑いは!」

 ニセ信長たる義昭の声は、やや甲高い。頭のテッペンからでるような信長そっくりの声音こわねに、右近はションベンをチビるほどビビッた。

「め、めっ、滅相もございませぬ。ヘラヘラ笑いなんか、しておりませぬ。これは生まれつきのヘラヘラ顔。それがし特有のアホ顔にござりまする」

「で、あるか」

 次にやってきたのは、茨木いばらき城主の中川瀬兵衛なかがわせべえであった。

 瀬兵衛は「ほんまに信長は生きておるんやろうか」と内心疑いながらも、手まわしのいいことに、臣従しんじゅうの証に人質ひとじちをつれてきていた。一人娘の愛姫まなひめである。

 ニセ信長の義昭は、ひと目見て、愛姫が気に入った。まだ十四、五とおぼしき少女で、花にたとえれば牡丹ぼたんつぼみ眉目みめうるわしい容貌かんばせから、初々しくも清らかなかがやきが放たれている。

 スケベな義昭は、ゴクリと唾を飲み込んだ。鞆の浦ではゼッタイにお目にかかれない美形であった。

 義昭の声が上ずる。

「瀬兵衛とやら、愛姫は未通女おぼこであろうの。ウヒッ」

「もちろんでございますとも。見たところ、陣中はむさい男ばかり、上様のお世話をする女がおりませぬ。もし、お気に召せば、愛姫おつきの女中も呼びよせ、上から下までお世話させるつもりでございまする」

「ウヒッ、上から下までとな。よいよい。愛姫はおいていけ。おつきの女中も美女をよりすぐって寄こすのじゃ。よいなっ」

 さすが、ショーグン義昭。堂々たる感じでエバるのはなれている。

「ハハッ。裏切り者の光秀を討ち、めでたくご上洛じょうらくのあかつきには、この瀬兵衛にご加増たまわりたく、伏してお願い申しあげまする」

 この瀬兵衛と入れ違いになる形で現れたのが、伊丹いたみ城主の池田勝入斎いけだしょうにゅうさいであった。

 勝入斎とて、若干の疑惑は抱いていたが、ニセ信長の前に銭箱ぜにばこを山と積んだ。もし、モノホン信長でなくても、とりあえずゴマをすっておくほうが安全と考えたのである。

 勝入斎はもみ手しながら、追従ついしょう笑いを浮かべた。

「これなる銭は当座の軍資金。伊丹城には先祖代々ケチケチと蓄えた金がうなっておりまする。こんなの序のクチー」

 ビンボーな流れ公方、義昭はそれを見て内心歓喜したが、必死に信長の声音をマネて、重々しい言葉をノドから絞り出した。

「で、あるか」

「上様あっての、この勝入斎。ジャンジャン使って、謀叛者の光秀をたたきつぶし、キンカ頭をぶち割って、脳みそで味噌汁を作りましょうぞ」

 義昭は「ウウッ、気味が悪いことを申す」と思ったが、信長ならなんと言うであろうと即座に考え、なんとか言葉をひねり出した。

「よくぞ申した。その残虐さ、余の趣味にピッタリマッチング~。♡マーク、ぽちり~!」

「で、げしょう。その代わり、光秀を平らげ、天下ふぶ~のあかつきには、銭に利子つけて二倍、いや三倍返しでお願いたてまつるゥ~」

 

 そうこうするうちに、忍びの者が秀吉の陣所に駆けこんできた。

「明智惟任これとう殿、山崎にて布陣。その軍勢一万五千余にふくらんでおりまする」

 秀吉がオドオドした声でたずねる。

「あのね、鉄砲隊もおるんじゃろ。わしは光秀の鉄砲隊がいちばんこわいんよ。当たったら、シムー」

「無論、鉄砲隊ウジャウジャにございます。寄らば、バンバン撃つって感じ~」

 山崎の地は、天王山てんのうざんと淀川にはさまれた狭隘きょうあいな地形である。要するにヒョータン中央にあるくびれたところと思えばよい。そこにある街道の出口をふさぐ形で布陣しているしいうのだ。

 官兵衛が「それはヤバい!」とビックリするような声を出した。

「せまい道に大軍を進ませば、わが軍はありのごとくタテ長の行列となり、先頭の兵から順次、弓矢、鉄砲で狙い撃ちされ、撃破されること必至」

「エッ、わしも狙われるの?」

「当然ではありませぬか。むしろ、大将なら真っ先に狙い撃ちされましょう」

「オミャー、人ごとのように言うなっ。わしが死にとうないんよ。死んで花実が咲くものか。第一、ねねを泣かしとうない」

「ホントに泣きましょうか。この前、ねね様がこっそりマッチングアプリを使っていたという噂にございます」

「ハァ、マッチングアプリってなんよ。スマホがこの時代にあるわけないでしょー

。どえりゃーいい加減なことを言わんでチョーよ。オミャーは軍師。そんなことを言うより、わしがなんとか死なぬ方策を考えてチョー」

「わかり申した」

 そう官兵衛が渋々答えて引き下がると、秀吉は小六を呼んだ。

「小六殿、鉄砲で狙われるとすれぱ、どこからじゃろ?」

 小六は酒臭い息を吐き出すように言った。

「アホなことを聞くもんじゃぁーニャー。上からに決まっておる。上からが鉄砲玉をジャンジャンそそがれれば、一隊全滅の憂き身よ」

 秀吉は右手の山を指差した。

「ほんじゃ、あの天王山をとりあえず占領してくれぬか。占領後は、中川瀬兵衛にまかせよ。あいつの隊も鉄砲上手がそろっておる」

「おうっ、わかった。山を占拠するのは、野武士の得意技よ。まかせておけ」

 小六が大炊助らと天王山占拠に出かけたあと、官兵衛があらわれた。なにやら黒々とした駕籠かごを力士みたいな大男複数人にかつがせている。かなり重いのであろう。前三人、うしろ三人の六人かつぎである。

 官兵衛がニヤリと笑って、

「これで、いかがでござろう。さわってみなされ」

 と、得意げに小鼻をふくらませた。

「なんとも武骨な駕籠よ。どれどれ」

 秀吉は言われるとおり、駕籠の表面に手をふれて、スットンキョーな声をあげた。

「こっ、これは黒鉄くろがね造りではないか。どこもかしこも鉄でおおわれておる」

「フッフッフ、鉄甲てっこう駕籠でござるよ。これなら、鉄砲玉がビュンビュン飛び交う前線へ出てもヘイッチャラ。まず討死にすることはありますまい」

「でかした。官兵衛。はは~ん。オミャー、これは信長様がつくった手甲船のマネじゃろ。ほれ、でっかい安宅船の手甲船で毛利水軍を討ちやぶったアレよ。アレのマネじゃろ」

「ヘヘッ、バレたか」

 秀吉は手甲駕籠を見て、急に気が大きくなり、

「ほんじゃ、ヤルか」

 と、全軍に総攻撃を下した。

 法螺貝が鳴り響いた。太鼓が打ち鳴らされた。猿軍団の全員が黄色い歯を剥いて、雄叫おたけびをあげた。出撃である。







 

 


 



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