煙に巻かれて

草臥 箔処

第1話 呪縛の女

 私は、呪われている。

 どうしようもなくおかしくなっちまったこの世界にて、それでも私は呪われていると、そう断言出来る。いつ頃からか常識ってもののタカが外れちまったみたいだ。

 凄惨な血を見せられた。

 同僚の血肉が飛散した現場に居合わせた。

 救いようのない狂人に殺されかけた。

 引き金一つで人間だったそれを殺した。

 殺した。殺した。殺した。殺した。殺した――――――。

 この世界は、やはり、おかしくなっちまったみたいだ。

 私たち職員は、それら異常現象を『胚芽はいが』と、そう呼ぶ。

 そして私は、その『胚芽はいが』に愛されてしまった。火傷をしてしまいそうな愛、真珠のように純粋な愛、この世において比類ない寵愛をこの身に受けてしまった。

 私は、呪われている。


 ***


 特に定まったモーニングルーティンなど無かった。

 ぼさぼさに乱れた髪を掻きむしり、木造軋むベッドから腰を下ろす。コーヒーでも一杯注ごうか、いや、二度寝した後だ。そう時間も残っていまい。

 案の定、手元の懐中時計の短針が『きゅう』、漢数字の九を指している。

 はぁ、遅刻だ。一時間余り奴を家の前で待たせてしまっているかもしれない。

「……まぁ、いいか。部下だし」

 部下だからいい、とは我ながらハラスメントの過ぎる上司だとウンザリする。この際だ。死ねないだろうか。そろそろ死にたい、そう思っていたところだ。

「……あぁ、無理だ。部下居るし」

 それだったら仕方がない。家着のシャツを床に脱ぎ捨て、くたびれたスーツに腕を通す。腰元のホルダーには鉛入りの拳銃、そして護身用の眼晦まし。あぁ、かったるい。やっぱり死のうかな。

「……そういや、なんでこんな死にたいんだっけ」

 はぁ、そんなこと、もうとっくに忘れてしまった。特段思い出したくも無い記憶だった気もする。なら、いいや。たった今、支度も済んだところだ。

 さっさと出掛けよう。

 これまたギシギシ軋むドアを開錠、錆びた鉄筋の階段を下りる。途中、大家さんが掃除をしていたものだから、おはようございます、と挨拶する。返ってくる挨拶なんてものは無かったが、まぁ、いつも通りだ。

「あぁ、いい朝だ。晴れだ。晴れってのは良い。ちゃんと煙が立つ」

 そうだ。煙を焚いても雨ってんならすぐに落ち着いてしまう。これじゃ、煙草を吹かす意味がなくなってしまうではないか。

 時間を確認、『きゅう』に短針、『』に長針。

 大遅刻だ。先を急ごう。ここに居ないってことはアイツ、近くのカフェにでも居着いているのだろう。詫びの印だ。一杯ぐらいなら私の分と合わせて奢ってやろう。丁度、私の舌もあの苦みに飢えていたところだ。

 そうして、私はいつも通りの日々に溶け込む。

 狭いアパートの一人暮らし。ボロいこと、臭いこと、法外に家賃を取られることを除けばそれなりの寝床だ。職業柄、みだりに住所を選べる身分でないためこれは助かる。金さえ払えば後は放置、向こうも弁えていらっしゃるようだ。

 欲を言えば風呂ぐらい設備しておいて欲しかったのだが、それは贅沢ってもんか。

 立地もそれなりだ。眼と鼻の先には整備された大通りがある。この先を進めば主要都市と直接線路を繋ぐ駅がある。そのせいかこの時間帯、通行人の往来が盛んであった。時計なる器具が開発されて以降、人間は速足が増えたように思う。

 ぐんっとした勢いで走る馬車、あれも自動車の開発で苦労するだろう。

 これも時代だ。時代が悪いのだ。時代が文化を殺し、人を殺す。

「……だから私の遅刻も、時代が悪い……。はぁ、うーん」

 一応、これでも悪いとは思っているのだ。だが、そも、時計なる器具が無ければ、時代が時間の存在を曖昧にしていれば、部下は待たずに済んだのだ。

 だったら、やっぱり、時代が悪い。時代が憎い。

「……くっだらね。さっさと行ってやらねぇと」

 職業に合わず、矮躯な身体だ。人混みに紛れるのにそう苦労しない。

 渋滞気味というには隙間はあるが、閑散というには多い、その程度の人流。紳士服を身に包むおじ様、時代錯誤の和服な美人さん、職人服の若者。

 そして、一人、笑う女児

 ―――――――――――――――…………。

 眼が合った。笑っていた。

 歯を見せ、笑窪を作り、笑っていた。それだけ。あ、あと女の子だ。髪を二つに結った、可愛げのある女の子。

 そうだな、それ以外、何にも不思議の無いただの女の子だ。

 あぁ、だけれども、どうしたことだろうか。私の視線は、その女の子のにたりと笑う顔から目を逸らせなかった。視線を途切れさせることが出来なかったのだ。

 これは、職業柄、培った経験からなのだが、

 こういったケース、十中八九、なんかある。

「おい、そこの女子。私は『畑』の職員だ。今すぐ、私への干渉をやめ、投降しろ。さもなければ、ここで撃つ」

 そう、徐に腰元のホルダーから拳銃を取り出し、構える。

 あまりに自然な所作なものだから、この往来の誰もが私の行動に不自然さに囚われなかったのだろう、人通りが途切れることは無かった。

 平和ボケが極まっている。

 だがこの平和ボケを死守することこそ我が使命だ。

 人類の敵、『胚芽』を、硝煙香る死肉にすることが使命だ。

 にやにや、にたにた、少女は微動だにせず、こっちを向いていた。拳銃を向けられた彼女は、一切の動揺を見せない。その素振りすらない。

「……やっぱり、人間じゃねぇな」

 これは、確定だ。ならば。私は躊躇のすべてを取り払い、

 射殺を、実行す―――――――――――――――。


 人類は、日本人の趨勢は、まさに栄光の真っ只中だ。

 武士の時代、私が生まれる少し前の時代、『黒船』と称される巨大な蒸気船によって、我々は日本人となった。西暦なるものが時代を仕切った。

 文明開化の音が蔓延り、民族・部族の存在が均一化された。

 我々は、いつしか牛乳を飲むようになった。

 ガス灯の明かりに夜を忘れ、腰に帯刀していた刀は錆び、ちょんまげは恥ずかしい髪形となった。日本人は、人類の一員としてその根を張った。

 日本人は過去を置き去った。

 その報いか、はたまた、気紛れか。

 この世に『胚芽』と呼ばれる異常現象が観測され始めた。時に人を惑わし、時に人を食らい、時に人を殺す。『胚芽』と呼ばれるそれは、その個体によって色形を変え、もたらす災害を変え、我々を変えた。

 人類の一員たる我々は、『胚芽』の脅威と明確に対峙した。


「――――――やっぱり、人間じゃねぇな」

 これで確定だ。ならば。なら、ば……?

 なら、なんだ。何をすればいい。

 あれは『胚芽』だ。人類の敵だ。そして私は『畑』、『胚芽』を駆除する社団の職員だ。だったら、何を迷う。私は……。

「……おいおい、しっかりしろ、私っ!」

 とにかくだ。奴はここで駆除する。職員の名に懸けて確実に実行する。

 私は奴と目線を外さないまま、そっと道端に転げていた片手の拳ほどの小石を十分な勢いを以て、投擲とうてきす――――――――――――。


「……おいおい、しっかりしろ、私っ!」

 とにかくだ。奴はここで駆除する。『畑』の職員、その名に懸けて確実に実行する。

 実行、実行……。おいおい、なんだ、本当にしっかりしろ。なんでこんな馬鹿みたいなところで思考が止まるんだ。何年『胚芽』と殺し合ってんだ。

 ふざけんな。私から思考を奪ったらなんも残んねぇだろうが。

「……いや、そうだ。その通りだ。私が、この私が、こんな初歩的な詰まり方をするはずがない。そも、こんなふざけたミスをしたこともない」

 だったら、なんだ。なんなんだ、これ。

 にやにや、にまにま。女児はほくそ笑む。

「……てめぇ、私に何しやがった?」

 にやにや、にまにま。笑ったまま、女児の見つめる弓なりの眸に写る私。

『胚芽』の引き起こす異常現象、それは種種あるが、

 それを特定する手段は、現状、のほかない。


『畑』とは、主に『胚芽』の駆除・捕獲・保護を目的とする公益社団法人である。

 その職域を広く治安維持としているが、その本質の殺伐とした事実は、陰ながら人口に膾炙するところである。

 その一員である職員たる私の使命は、捕獲・保護度外視の

 私が呪われてさえいなけりゃ、もう少し忖度してもらえたのかもしれないが。残念なことにここ数年、安心・安全の暮らしを捨てさせられた状態だ。

 そんな私だ。駆除の方法を失念することなどあるわけがない。

 異常性が確認される『胚芽』、現在その認識として、これら化け物はなんらかのによって、異常現象たるを見せる。

 つまり私の取り得る手段は、

 そのを見つけ叩くか、

 はたまた、をその上から叩き潰すか。

「……あぁ、くっそ。はおろか、すらもよくわからねぇ。私、こいつに何されてんだ?」

 兎にも角にも、だ。

 、その一つに心当たりがないこともない。

 この目線だ。ずっと合ったまま、途切れさせることのないアイコンタクト。これがずっと切れずに今に至る。今明確に判明している唯一の異常性だ。

 おそらくこの異常性を引き起こすの一つは、

 私から奴に目を合わせる、辺りか。

 そしてそのとして、目線が外せない、そして、この強烈な違和感を想起させる何らかの事象を起こさせている、というところだ。

「……あー、くっそ。やっぱり異常性はバッチリあんだよな」

 もはやこの現象が『胚芽』ではない、などの猜疑は持っていない。目の前に居るは化け物の一端。ならば取れる選択肢も限られよう。

 とにかく、今は応援を呼ばなければ。私一人で手に負えそうにない。

 すかさず私は、緊急用の警笛を吹――――――――――――。


「……あー、くっそ。やっぱり異常性はバッチリあんだよな」

 もはやこの現象が『胚芽』ではない、などの猜疑は持っていない。目の前に居るは化け物の一端。ならば取れる選択肢も限られよう。

 とにかく、だから……。だから、なんだ……。

「あぁ、畜生、また、だ……」

 また、この違和感。まるで、私の中の選択肢を根こそぎ持ってかれているような。消し去られているかのような、そんな違和感。

「……いや、案外それが答えだったりするのか?」

 だが、待て。もしそれであったとして、何で確認すればいい。

 持ち合わせの選択肢を紙にしたためているわけでもあるまい。取るべき行動を思考から排除しているのか、又は取った行動自体を無かったようにしているのか。どっちにしたって確認の仕様が……。

「……っ」

 一つ、閃いた。

 私は慎重に、決して大袈裟な所作として出すことなく、裏ポケットに放り込んでいた懐中時計を覗き込む。短針が『きゅう』、そして長針が『はち』。

「……この野郎。種はバレたぞ、クソが。私の知らない間に異様に時間が進んでいやがるじゃねぇか。それも、二十分も、だ。もう確定だ。お前、私の行動の尻からその行動と思考をまるっきり削除してやがったな」

 侵されていたの面が割れた。

 行動を無かったことにする能力だ。

 行動までの思考も消し去るこの能力はおそらく目線が合っている私のみに干渉している。だから下界の時間は進むし、往来の通行人はその様相を変えていく。

「……思えば、紳士服のおじ様も和服の美人さんも、若い子ももうここに居ちゃいねぇじゃねぇか。もっと早くに気付くべきだった。クソ」

 だがしかし、の程度も露呈したとて……。

 いや、甘えんな。効果がわかってんだ。

 ならば、打開策もわかるってもんだろ。

「……あぁ、あることはあるな、策。けど、間に合うか、これ」

 不幸中の幸い、この『胚芽』はこうやって巡らせている私の思考までは持っていかないらしい。もし知らぬ間に持っていかれたなら、形跡として通行人の顔ぶれがかわるはずだ。そこに気付かない私でもない。

 今現在、その気配はない。

 だが思考をジャック出来ない訳でもない。

 おそらくこの『胚芽』の消し去る行動の優先順位は表立った行動からだ。こいつに対する敵対行動が軒並み思いつかない辺りあながち間違ってないだろう推測。

 しかしそれも時間の問題だ。コイツの根が私の思考に届けば、そこで終わり。

「……えぇい、知ったことか。何年、博打で生きてんだ」

 私の悪運を私が信じなきゃ、誰が信じるってんだ。

 だから、私は、

 行動を、やめ――――――――――――。


 両の手足が、勝手に、独りでに、動き始めた。

 そして、行動を、始めた。

「――――――ッ」

 しまった。ミスった。やられた……っ!!

 通行人の人相がガラリと変わった。たった今、干渉を受けたのだ。だが、そんなアコギな確認の仕方を取らなくったって状況の変容は一目瞭然だ。

 何か行動を消された。それはある種の沈黙を貫く行動であったのだろう。

 しかし、それをあの『胚芽』はこじ開けてきやがった。それが奴の敵対行動であるとはっきり知覚しやがったんだ。くっそ、もっと上手くやれよ私っ!!

 そう詰れども、私の四肢はゆっくりと、確実に、

『胚芽』の方へと進む。

「――――――っざけなァ!!」

 あんな化け物を前にして、どうして正気が保てるってんだ。

 何人、何十人、何百人もの人間があれの前で殺されてきたんだ。

 何されるかなんて見当がつかない。どうなるかなんて未知数だ。だが言えることは、このまま従えば、私が、私の自我が、壊されるってことだけ。

 これは確信だ。

 擦っても消えない返り血を浴びた経験からの、確信だ。

 にやにや、にまにま。相好を崩す女児の皮を被った化け物。

 意志を持つのか、目的を有するのか。それすらわからなぬ存在だ。だがこいつは楽しそうに、愉悦そうに、奴は私を手繰り寄せる。まるで首輪でも履かされているかのように、私は従順にならざるを得なかった。

 嫌だ。嫌だ。私は、まだ……。

「――――――離せ、クソ野郎ッ!!」

 私は必死に抵抗し――――――――――――。

 ――――――――――――あ、しまっ――――――――――――――。


 その時、声がした。

「おーい、せんぱーい。何やってんすか。思いっきり遅刻っすよー」

 部下が居た。名前は日下部。私と一緒でスーツを着ながらもどこか着せられている感のある、まだ垢ぬけない女だ。

 そんな間抜け面の女が私の進行方向に立ち塞いだ。

 上司の一時間半以上に及ぶ大遅刻、それにしびれを切らしてカフェから出てきたのだろう。そして私の住処であるアパート前までやってきた。

 ……あぁ、待っていた。待っていたぞ。

 お前が私の、ただ一つの手綱だ。

「……日下部」

「はい?」

 私はこのまま焦燥に任せ、今現在『胚芽』と交戦中である旨を伝えようかとも思った。そうすれば楽だ。きっとすっごく楽だ。

 しかし、それは寸でのところで、

 これはダメだと、そう気付く。

 何故ならば私は今なお奴の干渉下にあるのだから。そして今、往来の通行人の人相が変わった。何かを消された。きっともう、あの『胚芽』には勝てない。

 そしてそんな私が今、明確に持ち合わせている思考は、

 、そう、ただそれだけだった。

「な、なんっすか?」

「……っていう訳なんだ」

「な、なにがっすか?」

 我ながら、これほど最悪な案も無いように思うのだが。もうこれ以上、他に何も思いつかないのだから、日下部には許してほしい。

 日を追って礼をしよう。その時は、苦いコーヒーを御馳走してやろう。

「……御免ッ」

 私は腰元にあった拳銃を構えた。それは目先の『胚芽』ではなく、

 日下部、私の部下に向かって、発砲した。


「―――――――――――――――――」

 硝煙が、銃口から伸びる。あぁ、撃ったんだ、私。部下を、この手で。

 干渉は受けなかなかったらしい。

 突如として往来に轟いた発砲音、それに通行人が皆戦々恐々とした様相にて混乱がひしめいていた。火縄銃も古い時代、今の主流はこいつだ。その脅威を、威力を、国民はちゃんと理解していたらしい。

 そして残ったのは、私と、倒れた部下、そして『胚芽』のみとなった。

 ―――――――――――――――。


 ―――――――――――――――。

 あんれ、なんでこんなところに突っ立ってんだろ、私。

 あぁ、くっせぇ。この匂い、本当に嫌いだ。

 コイツの可能性を信じて死んだ馬鹿がいた。

 コイツで最後の息の根を止めた奴もいた。

 コイツで、撃ったやつも。

 目の前には可愛らしい女の子だ。私もあんな頃があった。十代前半だろう。まだまだ遊び足りない時期だ。私はこの呪われた体質のせいで碌な思い出も無いが、きっと一つ嚙み合わせが違えば、こんな過去もあったのだろう。

「悲しそうなお姉さん。お姉さんも、こっちに来なよ」

「……喋れるんだ」

 なんだ、その変な感想。相手はただの女の子だろうに。

 まぁ、いいか。とにかく、私はあの子の元へ行くんだ。そうしたらきっと、私は何か無くなったものの埋め合わせが出来るんだ。失った何かを、別の何かで埋めれる気がするんだ。だから、

 だから、いま、そっちに行――――――――――――。


 ――――――――――――バン。

 そして、響く銃声。

 気が付けば、私は名状し難い温かみに包まれていた。

「――――――ぱい、先輩っ!!」

 あれ、日下部。なんで。

「あれ、『胚芽』っすよね!!『胚芽』であってたんすよねッ!!」

 日下部は相当に取り乱しているようだ。この馬鹿。確信も無く撃ったのか。まぁ、私も経験則みたいな感じで撃ったから人の事言えないが。

 鉄の味がした。どうやら私は日下部の撃たれた腕の中にいるらしい。

 そして、この馬鹿は撃たれた患部も放っておいて私を助けに来たらしい。

 あぁ、そっか、そうだった。ありゃ、夢だ。何度も見た夢だ。

 私は、呪われたまんまなんだ。

「……おい、馬鹿野郎。私を抱くなんざ、十年早いぞ。さっさとどけ」

「もー、それどころじゃいっすよ!!」

「あぁ、五月蠅い、五月蠅い。掠らせただけっていっても血が出てんだ。ちゃんと処置してさっさと応援呼べ。あと、あれは間違いなく『胚芽』だ」

 伝えられたってことは、なるほど、干渉が解けてるな。

 やはり、あの視線、あれがにも噛んでたっぽいな。

 不愉快なことだ。この馬鹿野郎の腕のおかげで視線が途切れて戻ってこれたのだろう。まったく、こいつは何個私に恩を売れば気が済むんだ、まったく。

 そうして私は腰元のホルダーから、

 拳銃と、そしてもう一つ、眼晦まし用の煙玉を取り出した。

「……今日は晴れだ。煙はよく焚けんだろ」

 だから心配はない。私はその煙玉を『胚芽』の眼前に投げ、視界を完全に殺した。とはいえ持って数分だ。さっさと事を済ませよう。

 緊急用の警笛を吹く。これで近くに居る職員の応援くらいは頼めるだろう。

「何やってんすか!?」

「全部、念のためだ。お前はさっさと病院行ってこい」

 日下部が安全に病院に行けるようにしなければ。だから、応援が来る前に、さっさとこの化け物と決着をつけよう。なに、もう袋の鼠だ。

「……お前の、自分に敵対する行動の削除、強力だが穴もある。日下部を撃てた例もそうだ。お前はお前の消したいことしか消せない」

 私は対峙した。『胚芽』と呼ばれる化け物と。

「突然の事だったから血迷ったとでも思ったのだろう。けどな、アレは合図だ。職員が血迷う理由なんてお前らの存在を示唆する以外の何物でもないからな。だが、お前は誤認した。だから消さなかった。

 だけどな化け物、私はずっと前から血迷ってるぞ。それこそ、お前の容姿相応くらいの頃からな」

 黙ったまま、動く気配も見せない『胚芽』。今も煙の向こうでにやにや、にまにまとほくそ笑み続けているのだろうか。喋った気がしたのだが、やはり聞き違いか。

 それでも、まぁ、返事くらいしてやろう。

「……行かねぇよ、ばーか」

 拳銃の標準を定め、私はそのまま、引き金を引いた。


 ***


「おまえ、この『胚芽』、よく駆除出来たな」

 警笛の音を聞き駆け付けた『畑』の職員、その一人である髭面の男は私に話しかけてきた。知り合いだ。実行部壱課、その課長を務める男だ。

「……いんや、ただ悪運が尽きなかったってだけ。ぜんぜん死ねたね」

「……おまえら伍課の連中が死にそうにないって方が珍しいだろう」

 おまえ含めて、な。そう言うと男は、でっかい葉巻をおもむろに咥える。

「もっともお前の課の連中は……。ふん、まぁ、いい。……要るか?」

「要らねぇ。……嫌いな銘柄だ。そいつは私には甘すぎる」

 そうかい、と自前の葉巻を吹かす。

 私の課、実行部伍課は超少数精鋭として派遣される部隊だ。

 他、壱から肆課は皆、業務として『胚芽』の調査・駆除・捕獲と比較的大規模な人員を導入した上で処置に赴く。だが、私の伍課はその限りでない。

 私の呪いの体質によって、伍課は、使

「それにしても厄介だな。境遇も、その特異体質も」

「……『胚芽』を引き寄せてしまう体質。呪いだよ。まったく」

 部下まで巻き込んだ体質だ。やはり、呪われているとしか思えない。

 今回の『胚芽』もきっと、この体質のせいだ。

「だが、驚いた。我々壱課が眼を付けていた『胚芽』をこうもあっさりと。仮名だったが奴は『忘我巡り』と呼んでいた。もわからないまま、職員が自我を壊されていくもんでな。結局奴に近づける職員は誰もいなかったよ。」

「私も部下一人持ってかれてんだ。あっさりじゃねぇよ。で、日下部は?」

「うちの救護班が看てやってるが、ありゃ、ただの掠り傷だな。問題ない」

 そうか。狙ったとはいえ、そのくらいで済んでよかった。

 実行部壱課の助力もあって、『胚芽』の残骸処理は恙なく進んだ。私も日下部も、あの死骸をどうこうする知識も無ければ技術も無い。精々、今後の人類発展のために研究資材としてでも使われて欲しいところだ。

 それにしても、このおっさん。本当に煙ったい銘柄を吸いやがる。

 私もつられてもっと細い煙草に火をつけ紛らわせようとしたが、

「おまえ、よくそんな不味い煙草を。よく考えれば何時からだ、喫煙。おまえ、確か若い頃は嫌煙していただろうが。身体に悪い、って」

 そういえば、と古い記憶を呼び覚ます。

「……ん、あれ。何時からだ?」

「おいおい、耄碌してんじゃねぇよ。俺とそう年変わんねぇんだから」

 うるせぇな。煙草を吸い始めた時期だなんていちいち覚えていられるか。

 だが、本当に何時頃からだ。喫煙を始めたのは。たしか、駆除係伍課に配属されてからだった気がする。相棒役の部下が変わった頃にはもう吹かしていた。

「……まっさか、これも『胚芽』のの一種だったり」

「……ふん、するかもな」

 今日一番の嬉しそうな表情を見せつけてくるおっさん。勘弁してくれ。そんな理由で吸わされているってんならおちおち煙を焚けねぇじゃねぇか。

「……恨むからな」

「……お前から言ったことだ。勝手にしろ」

 壱課の仕事も粗方片付いたのだろう。撤収準備が始まっている。

 おっさんは「それじゃあな」と背中越しに手を上げ、別れの挨拶を済ました。澄ました年寄りだ。元・私の先輩って事もあって余計なのだろうが。

 はぁ、とりあえず、煙草はやめようかな。

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