第10話 新しい王子とアナスタシア
王子が来る。
そう言われたのは、下町に行った三日後だ。
婚約者候補である私の家をわざわざ訪れてくれるらしい。
私の存在と呪いは、この屋敷にいる者しか知らない。
だから王家は私が永遠に貴方達を待っていることを知らない。
「……はぁ」
「どうしました? アーさん。疲れた顔してますよ」
「今度来る王子が、なんと言えばいいのかしら。ちょっと会うのが怖いの」
「アーさんが怖いって言うなんて……」
「失礼ね。私だって乙女よ。怖いものはいっぱいあるわ」
「竜に対しては一切怯えないのに」
「……竜は――お前は綺麗だから、怯える必要ないじゃない」
そう言うと、彼は驚いた目をしたあと、照れ笑いを浮かべた。
――あぁ、可愛い。
なんだろう。この可愛いのを愛でている感覚は。
犬? 犬を愛でている感覚に近いのかしら。
いや、もっと深い感情な気がする。
数百年も生きておきながら、自分の感情もうまくわからないなんて。
自分に呆れる。
「じゃあ、なんで怖いんですか?」
「前の王子――今は国王ね。彼にこっぴどく振られてね。今度来る王子は、その彼と彼を奪った女の子だから、ちょっと複雑というか……」
「――国王はアーさんを傷つけたんですか?」
「まぁ、それなりに。……でもいつものことだわ」
行儀は悪いけど、机に突っ伏せて呟いた。
そう、いつものこと。
私が王族に振られることはいつものことだ。
「アーさんを傷つけるなんて、許せない……」
その時、気づいた。
カンパネラの瞳が怒りで揺らいでいることに。
竜の爪をむき出しにし、角や羽まで出ている。人の形からちょっと離れかけている。
「カンパネラ。私は大丈夫よ」
私は彼の瞳を見て、ゆっくり言った。
「正直、俺は許せないです。アーさんを傷つける人たちはみんな」
「……まだ会って数日しか経ってないのに、そんなに感情移入してくれるのね」
「アーさんにとっては数日でも、俺にとっては6年です。ずっと貴方が目覚めてくれる日を待ってました。そんなアーさんが傷つけられるのは、嫌です」
「ストレートに言ってくれてありがとう。立場や身分を気にせず言ってくれる人がいなかったから、嬉しいわ」
竜に、人の身分は関係ない。
だから、こうして私の気持ちを代弁してくれるのは嬉しい。
でも同時に、そんな負の感情を抱えないでほしいと思う。
彼のダイヤモンドのような瞳は綺麗なままであってほしい。
それは私のワガママかもしれないけれど、どうか穢れなく生きてほしい。
彼は私に似ているから、余計そう思ってしまう。
◆
そして王子がやってきた。
国王――エドアルトの同席がないかドキドキしたけれど、どうやらいないようだ。
6歳の王子――ジークフリードは護衛と侍女達を連れて馬車でやってきた。
「はじめまして。アナスタシア嬢。お美しい方だとお聞きしていましたが、本当に美しい方ですね」
6歳とは思えないほど、丁寧な口説き方をされて、私は面食らった。
彼の癖のついた金色の巻き髪は、エドハルトと瓜二つだ。そしてルビーのような瞳はソフィアの瞳によく似た色をしていた。間違いなく二人の子だ。
「こちらこそはじめまして。ジークフリード様から直々に来て頂けるなんて光栄ですわ」
何故、王子が私の家に来たのか分からない。
10歳の私よりも小さく幼い6歳の王子は、凛としていた。
けれど少し寂しそうな雰囲気を感じ取った。
私達はいくつか話をして、簡単な自己紹介をしあった。
そして父上と母上にも会って……それから、ようやっと席につくことはできた。
今の時期、外は寒いから温室でお茶会を開くことにした。
侍女は私には紅茶を、王子には温かいミルクを差し出した。
「ジークフリード様は6歳とは思えないほど聡明ですね。動きも仕草も、とても綺麗で見習いたいですわ」
「そんな。僕は――いや、私は……」
彼は照れて、困ったように眉を下げて笑った。
6歳らしい、幼い笑顔だった。
「しかし、どうして王子はシャターリア家に来られたのですか? 婚約者候補なら沢山いると……」
「それは、えっと、アナスタシアという女性に会いたかったんです」
王子は、たどたどしく言った。
「……それは、私ですわね」
「いえ、貴方ではなく、もっと年上の。母上と同い年だから、えっと、いま22歳になられているアナスタシア様にお会いしたかったんですが……」
驚いた。
まさか前の私に会いたいなんて言われると思ってなかった。
しかし、ここは隠さなければいけない。
「……そのアナスタシア姉様は、6年前に亡くなりましたわ」
そういう設定になっている。
私は失敗して幼化するとき、死んでいる設定になっている。
ずっとそれで通してきた。
まぁ、ガバガバな設定だけど、意外と探られない。
シャターリア家にはそっくりな令嬢が産まれるという伝承があるらしいけど、それは風の噂として流している。
「……そんな。亡くなってただなんて、ごめんなさい。知らなくて……」
「知らなくて当然ですわ。葬式は我が家だけで行いましたので」
王子は俯いた。
彼の瞳から、大きな涙がぼろぼろと落ちた。
私は彼にハンカチを差し伸べた。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます。ごめんなさい。いきなり泣いてしまって」
「いいえ。子どもはいつでも泣くものです。身分など気にしないでください。ここには私と、侍女数人しかいませんので。どうぞ、好きに感情を出してくださいませ」
私がそう言うと、ジークフリード王子は6歳の子どもらしく大きな声で、わぁあっと泣き出した。
「ジークフリード様、私でよければお話を聞きます。聞くだけしかできないかもしれませんが」
「……ありがとうござい、ますっ……うぅっ……」
私は席を立って、彼の背中を撫でた。
彼はわんわんと泣いて、いつの間にかハンカチはびしょ濡れになっていた。
「ぼくは、ぼくは……止めていただきたかったんです。父上が婚約破棄した女性……アナスタシア様に」
「止めるというのは……」
「ぜんぶです。こんなのおかしいって言っても、父上は聞いてくれない。母上は、ぼくに会ってもくれない。ぼくはいつも、侍女と騎士としか話せなくて……こうして、本音を出すのも、家の中ではできなくて……」
たった6歳なのに、この子は――ジークフリード王子は、ちゃんとわかっていた。
この国の未来を――
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