犬の送り火

空殻

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「ねえ、この『大』を『犬』にするにはどうすればいいと思う?」


ある日の授業の後、コサキは教科書のあるページを指し示して、僕にそう訊ねてきた。そのページの一角には、京都の有名行事『五山の送り火』についてのコラムが書かれており、いわゆる『大文字焼き』の写真も載っていた。真っ暗な夜の闇の中で燃える『大』の文字だ。

「『大』って、この『大文字焼き』のこと?」

「そうそう」

写真を指差しながら聞き返すと、コサキは頷いた。

「この『大』って文字、確か山の斜面で火をつけて作ってるんでしょ?」

「うん、たしかそう」

「だからさ、この『大』の右上で火をつけて『、』を付け足したら、『犬』になるじゃん」

「そうかもね。で、なんで『犬』にしたいの?」

「ワンちゃんが好きだから」

そういえばコサキは犬を2匹飼っていた。そのことを思い出しつつ、あまりにもバカバカしい話に僕は軽く顔をしかめた。

「よくそんなアホなこと思いつくね」

「あははは」

思わず率直でひどい感想を言ってしまうが、コサキは笑うばかりだった。そして彼女は、教科書のページを僕の方へずいっと近づけて繰り返す。

「で、方法!一緒に考えてよ!」

「ええ?なんで?」

「いいじゃん、ヒマでしょ」

正直に言えば、ヒマではなかった。そもそも僕らは高校3年で、今は夏。志望する大学が定まってきて、受験勉強が本格化し始めた時期だった。休み時間でも、何かしらの勉強をするべきだと思った。

だが、結局僕はコサキの誘いに乗ってしまう。思えば、よくこんな風に彼女の提案に流されることがあった。

「でも、方法って言っても、ただ火をつければいいんじゃないの?」

「それじゃあ関係者とかにバレて止められちゃうでしょ。ヘタしたら捕まるかも」

妙なところで気が回る。

「捕まらないような方法ってことね。そんなもの思いつかないな」

「マジメに考えてよ」

「ええ……」

あっさり諦めようとした僕に、コサキは不満顔だった。仕方がないので、僕はもう少し考える。

「捕まらないようにするには………要するに、その場にいなくても火がつけられればいいんでしょ」

「そうなるのかな?」

「たとえば、自然発火装置をつくるとか」

『自然発火装置』。ミステリーか何かのトリックで聞いたことがあって、それで口をついて出てきた言葉だった。だが、具体的にどんなものかは思いつかない。漠然と、ライターとかオイルとか導火線とかいくつかのイメージが浮かんだ。

「自然発火装置か………」

コサキもよくイメージが浮かばないらしく、眉をひそめて難しそうな顔をしていた。だが、僕自身がうまく想像できていないのだから、説明しようがない。これではダメだなと思った。

その時、『自然発火』という単語から別のものを思い出した。

「鬼火とかならどうかな」

「オニビ?」

「鬼火、ヒトダマのことだよ」

「ヒトダマって、死んだ人の魂がユラユラ~ってやつ?」

「そうそう」

僕は肯定したが、コサキは怪訝そうな顔をした。

「マジメに考えてって……」

「真面目に言ってるよ。ヒトダマは、実際に存在する現象だって説もあるし」

コサキの言葉を遮って、僕はうろ覚えの知識を説明した。

「確か、リンが酸化するときに自然に発光するんだって。その光を、昔の人が見て霊魂だと思ったとか」

「へえ」

『自然発火』というよりは『自然発光』だが、光が見えるのなら方法として問題はないだろう。それに、『犬』と『リン』の組み合わせは悪くないような気がする。確か、有名な探偵小説でも犬の口にリンを塗って、『火を吐く魔犬』に見せかけるという話があった。


そこで、次の授業開始のチャイムが鳴った。

「あ、もう休み時間終わりか」

コサキは席に戻ろうとするが、最後にこう言った。

「じゃあ、そのリンを使った方法で、来年は『犬』を作ろうね」


コサキも僕も、京都にある大学を志望していた。

だから、この言葉は願掛けだったのかもしれない。


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その後、僕は無事に志望する大学に合格し、春から京都に住み始めた。


一方のコサキは、高校3年が終わる3月に、交通事故で亡くなった。

受験も終わり、あとは合格発表を待つだけという時期だった。

卒業式の数日前、クラス全員で彼女の葬式に行った。

クラスメイトは何人も泣いていたが、僕は涙が出なかった。

今思うと、ショックで感情の回路が壊れていたのだと思う。


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大学一年生の夏、8月16日。

僕は京都で五山の送り火を見ることに決めた。

川と大通りによって四方の見晴らしが確保されるため、橋の上が眺めがいいスポットだと聞いていた。

だから、橋の上で欄干にもたれ掛かりながら、送り火が点火されるのを待つ。


午後8時、『大文字』が点火された。

宵闇の中に浮かび上がるその文字を眺めながら、僕はコサキとの例の会話を思い返していた。

もしも彼女が今京都にいたら、あの文字を『犬』にしようとしたのだろうか。

そんな取り留めもない妄想をする。


「……ん?」

ある違和感を見つけて、思わず呟いてしまった。


僕が見上げる炎で書かれた『大』の文字、その右上にうっすらと『、』が見える。その点はぼんやりとした青白い光で、他の炎とは明らかに違う。

ただ、その光によって全体として文字は『犬』に見えた。

「なんでだ……?」

だが、周囲を見回してみるが、同じように送り火を眺める人々は、誰もこの異変に気付いている様子はない。

奇妙に思いながらも、スマートフォンのカメラを起動する。写真を撮れば後で見返すことができるだろうと思ったのだ。ところが、カメラ越しには、『、』は見えず、通常の『大』の文字が見えるだけだった。

画面から目を離し、肉眼でもう一度見る。やはり青白い『、』の光が見える。

スマートフォンの画面に視線を戻す。点は見えない。

仕方がなくスマートフォンをポケットにしまい、またその『犬』の文字を眺めた。

頭の中では、この不思議な現象に対する疑問と同時に、コサキと交わした会話が思い返される。


ふと、思いついたことがあった。

送り火はお盆の行事だ。そして、お盆には、死者の魂が返ってくると言われている。

そして、コサキとの会話。僕は彼女に言ったのだ。

「鬼火で、『大』を『犬』にしてはどうか」、と。


今、僕の目に映る『犬』の文字。

その右上の『、』が、鬼火、つまりはヒトダマなのだとしたら。

誰の魂であるかは考えるまでもない。


「やっぱり、アホなことするなあ………」

僕は、炎が消えるまでずっと送り火を眺めていた。

今度は、ちゃんと涙を流しながら。






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