短編小説
河北 ミカン
根に持ち、根づく
それは、本当に突然のことだった。
「それ、ワタクシも頂きたいのですが」
「いいよ……。って、アンタ誰?」
俺が生まれるちょっと前。具体的に言うと革命前からやっている王室御用達の軽食屋で小腹を満たしていると、対面にゴーストがいた。しかも、思念強めではっきりしている女ゴーストだ。
……見た感じ、処刑人タイプだな。
突然のことに驚きはしたものの、ゴースト自体はこのご時勢そんなに珍しいことじゃない。むしろ仕事の癖もあってか、俺の眼球は自然と彼女の観察を始めていた。
……おいおい胸デケぇな。
違う、そうじゃない。何やってんだ。
正気に戻って見てみると、その服装は革命前まで処刑人が使っていた全身黒色のコートにシックなスカート。肩まで流した白髪には薔薇をあしらった髪飾りが付けられていて、良家のお嬢様といった様子か。
こういうタイプのゴーストが出るのは珍しくない。俺が生まれてすぐの頃にウチの国では戦争と革命があって、そこで死んだ人々がゴーストとして十数年経った今も現れることはある。あるのだが、初対面の相手に名乗らずパンケーキを求めるゴーストは初めてだ。
多分、革命期までここら辺を治めていた領主の関係者だろう。当時は処刑が頻繁に行われて、俺のジジイも執行人としてイケイケだった。少なからず面識はあるはずだ。
そんなことを考えている間にも皿を引き寄せた彼女は、俺を置き去りにパンケーキを一気に頬張っていた。
「はむっ……。あら、なんだか懐かしい味」
「それは良かった。で、アンタ誰?」
あっという間にパンケーキを平らげた彼女に再び声をかける。すると、彼女は店の奥に架けられたメニュー表を見つめながら口を開いた。
「実はワタクシ、ゴーストなんです」
「見れば分かるよ」
「ええ……」
……そんなに落ち込むとは思わなかったぞ。
だが彼女の姿を見れば見るほど、その珍しさが分かってくる。
服装がハッキリ分かるのもそうだが、机の下を覗けば細い足がしっかりと板張りの床についているのだ。フォークを握る細い指に手を伸ばせば、人肌よりも少し冷たくはあるがしっかりと感触があった。
「ちょっと」
「ああごめん。いつもの癖でね。……それにしても感触しっかりあるし、けっこう出力高めだな。もしかして意外と根に持つタイプ?」
「……そう言われることも多かったですわ」
マジかよ。
「じゃあ憑かれると面倒だし出るぜ。旦那!! 今日も美味かったよ!!」
「ちょっと!?」
透けた右手で首根っこを掴まれて席に戻される。着席。
痛みよりも先に彼女の揺れた胸が気になるのは俺がまだ生きている証拠だろう。
「それで? 俺のパンケーキ食ってでもしたいことってなに?」
「それはお腹が減っていたからですわ! 気づいたらこの町にいて、良い匂いがするからそれを辿っただけですの。……そんな顔をされるとワタクシも傷つきます」
ジト目で訴えてくるのは正直可愛いと思う。見たところ行儀作法もしっかりしているし、生前はかなり人に好かれたのだろう。
……そういうの、俺にはないよなぁ。
仕事柄他人に距離を置かれやすいせいで、人付き合いなんてあまりない。それこそ幽霊と仲良くする方が得意だ。
「ではどうすれば聞いてくれるのです」
こほん、と咳払い一つの間を開けて彼女が問うてくる。ここから真面目に話をするのだろう。
「じゃあ、あれ奢ってくれ」
「あれ?」
指し示すのはメニュー表の一番上に書かれた商品。いつも地元へのお土産に買っている物だ。
「『お土産用パンケーキ十六人セット』……高すぎでは?」
「安心しろよ。会員なら二割引き、ゴーストなら供物割引で半額だ」
「……いいように使われてる気がしますわね」
気のせい気のせい。
だが彼女も少しは罪悪感を抱いていたのだろう。俺の会員カード片手に注文を済ませてくれた。
「それにしても、貴方からはどことなく似た匂いを感じますわ」
「あー、やっぱり分かるのか。仕事柄、ゴーストとはよく出会うからな」
「……」
「俺、引きこもりの除け者ドクターだから」
「医者ですの?」
「まあね。今はゴーストばっかり相手にしてるけど、たまにはちゃんとした人間を診たりするよ。だけど、皆、俺に診られるのは嫌って言うんだぜ」
でも個人的にはゴーストを診るのも悪くはないと思っている。
例えば物に触れられるくらいハッキリ出てるヤツはそのせいで怪我する時があるのだが、たまに自我が希薄な場合だと触診する時に無表情で「あ……ああ?」とか言われることがある。
「ぶっちゃけ、すごいドキドキする」
「それが理由ですわよ。それと殴ってもいいですの?」
問答無用でされた。
「疑問形だったよね!? ……かなり痛いんだけど」
「自業自得ですの」
殴られて熱くなった頬に塗り薬を塗っていると、彼女が興味深そうにこちらを見つめてくる。それは少しばかり驚きを含んだもので、
「あら、本当に医者ですのね」
「試しやがったな」
チクショウ、覚えてろよ。
「それで、アンタは誰なんだ? 生きてた頃のこと、何か覚えてないのか?」
「分かりません。名前も住んでいた場所も、まったく」
目を伏せて話す様子に、こちらもつい居ずまいを正してしまう。
すると彼女は厨房から漂う砂糖と果物の匂いから目を背けるように窓の外を見た。
「ただ、いつも海を眺めていましたわ。対岸の町と遠くに伸びる山だけが、ワタクシの覚えている記憶ですの」
彼女の口から漏れる溜め息はあっけなく喧騒にかき消された。
◆
「──なら、一緒に来ないか?」
「え」
俺の提案に、彼女はお手本のような驚愕の表情を浮かべて固まっていた。
「そんな驚くなよ」
「で、でも。ワタクシ、名前も分からないゴーストですよ。もちろん、他の土地への興味は高い方だと自負してますの」
「だったらそんな不安げで悲しそうな顔しないでくれ。俺はゴーストでも人間でも、悲しそうな顔してるヤツが嫌いなんだ。そんなヤツを見つけたら、どんな手を使ってでも笑わせてやるって決めてんだ。
……まあ、ジジイの受け売りなんだけどな」
それに、
「それに、パンケーキ好きなのは分かっただろ?」
「……馬鹿ですわね」
殴られた。
ただ、さっきよりも優しく、だ。
◆
「それで、どこに行きますの?」
大通りに面した店の外は大勢の人で賑わっている。人種も言語も様々で、大通りに立ち並ぶ屋台には各地から集まった野菜や工芸品、どこかの民族衣装らしき服まで揃っている。
革命後の平和と交流を象徴するような光景に彼女は不慣れなのだろう。さっきから四方八方に視線を動かし、そのたびに感嘆の声をあげていた。
「さてと、とりあえず家に帰る。この町も用事で来ただけだからな」
「用事って、聞いてもよくて?」
「ああ。庭の一角を爆破したからその保障を請求しに来た」
役場の受付嬢も慣れたもので、顔を合わせるなりノールックで必要書類を持ってくるのはプロの技だろう。それだけ優秀な人に担当してもらえるのは素直に嬉しい。あと可愛い。
「もはや驚く気も失せましたわ……」
「まあ、却下されたんだけどな」
今回で十三回目だった。
そんなことを話しつつも歩く速度は緩めない。大通りから裏路地に入ると市場の喧騒は薄れ、代わりにそこら中から金槌の叩く音が聞こえてきた。
「それにしても、かなり建て替えが進んでいますのね」
「革命派がいろいろと新しいものを取り入れてるからな。革命のおかげで壊れた建物ばっかだし、建築家には絶好の機会なんだろ。今はみんな新しいもの好きなのさ」
「例えば?」
「隣の国に留学してたヤツが『誓いの証はキスだ!』って叫んで、一時期大変なことになってた」
「たしかに物好きですわね」
「だろ」
終戦後、革命によって領主を排したこのあたりは民意によって選ばれた人間をリーダーに据えて急速な発展を続けていた。
少し視線を上げれば、かつて領主が住んでいた城が見える。そこにはは革命派の旗が掲げられ、街の至る所から革命を称える歌がひっきりなしに聞こえてきた。
「『悪逆非道の敵は死に、我らの朝がやってきた』…か」
「悪逆非道とは、そんなに酷い方でしたの?」
「うーん、俺がまだガキの頃だったから詳しいことは分からないな。ただ、一家は全員死んでるはずだ」
「まあ。相当恨まれていたのですね」
「ちなみに、その処刑をしたのがウチのジジイでな」
自慢げに後ろへ振り向けば、そこには予想通り驚きの表情を浮かべる彼女がいる。
「……それ、本当に?」
「ああ。結構な人数を粛清目的で処刑していて、当時の領主からも気に入られてたんだ。そのせいで革命派に詰め寄られたんだけど、『え? 私関係ありませんよ? ほら領主の一家もしっかり見張ってるんで安心してください! あ、そうだ。アイツら幽閉するとかどうですか?』って掌返し早かったらしい」
「人格破綻してますの?」
「孫の俺から見てもそうとしか思えないんだよなぁ」
結局彼らに従って幽閉を手伝ったことで殺されはしなかったが、周囲からの目はだいぶ厳しいものだった。それでもジジイは気にせず笑っていたが。
「そういえば、貴方の家ってどこにありますの?」
「あれ、言ってなかったっけ」
俺の言葉に彼女はこくりと頷く。
「港町の沖にある小さな島だよ。歩いて二日くらいかかるけど、こことは比べ物にならないくらい静かな場所でさ。夜の眺めとか結構気に入ってんだ」
◆
城下町を出て一日が経つ頃には、互いの好みや考えが少しは分かるようになっていた。いや、飯屋に入るや否やデザートのメニュー表を睨み始めるのだから彼女が分かりやすいだけだろう。買ったお土産も彼女がずっと持ち続けているのだから、生前は甘党だったに違いない。
「それで、どうして庭を爆破なんてしましたの?」
「あー」
そうきたか。
「何か言えない事情でも?」
「いや、そういう訳じゃなくて」
そうだ。別段、彼女と話すことが嫌なわけではない。その理由は色々あるが、隣を歩くようになった彼女の胸が一歩ごとに上下するのを間近で見れたり……とか。
「ちょっと、どこを見てますの?」
「いや、包容力のある丘を見つめていただけで、決して妄想に耽っていたわけでは」
「やけに早口ですし、これは丘ではなく胸ですのよ」
「あがっ」
顔を両手で九十度回されるが、ゴーストの冷たい両手が気持ちよくてこれもアリだなと思ってしまうのはしょうがないことだ。多分。
「それで、なんの話だっけ」
「あなたの愚行の理由ですの」
「愚行じゃないですぅ。発展のための致し方ない犠牲ですぅ」
そう言うと、彼女が生ゴミを見るような目で見つめてきた。
「人の胸を見るのも犠牲ですの?」
「それは男の衝動です」
「ケダモノですのね」
膝から崩れる俺を置き去りに、彼女はそのまま先へ行ってしまう。でも、すぐにこちらを気にして戻ってくれるのは彼女の性格ゆえだろう。
「結局、理由はなんですの?」
呆れ気味に差し出された手は透けていた。しかし、幻のようなその手に触れれば確かな感触が伝わってくる。
「実はある薬を研究しててな。ジジイのやり残したことでさ。俺が受け継いで研究してるんだけど、最後の最後で課題にぶつかってたんだよ。それでストレス溜まったから薬をごちゃまぜにしてみたらボン、てなった」
結果、ジジイが大事にしてた花壇の一角が爆ぜたけど反省はしてる。
「おい、どうして笑ってるんだよ」
「だ、だって面白かったんですもの。別にいいでしょう?」
「そういうところ、ホント子供みたいだよな。
……じゃあ逆に聞くけど、アンタ、何かやってみたいことはないのか?」
大した理由もないが聞いてみよう。俺の軽い動機とは正反対に、彼女は真剣な面持ちでこう答えた。
「世界旅行、って望み過ぎですわね」
◆
どれだけ歩こうとまだも来て基地までは程遠い。それよりも先に厄介な目に遭うのが今のご時世だ。
やはり革命や戦争の影響が残っているのだろう。満月が近いこともあってか、森林を切り開いて作られた街道を歩いていると、道沿いの薄暗い廃墟から一体のゴーストが這い出てきた。
少年の容姿をしたゴーストだが、その肉体はほとんど消えかかっている。状態は明らかに隣の彼女より深刻だ。
「ああ……あー……」
苦悶の表情を浮かべる少年は縋るような眼で消えかかった右手を伸ばす。その手を掴む存在はもうこの世にいないのだろう。
この辺りも革命による激しい戦いはあったはずで、それに伴う略奪や被害も決して少なくないはずだ。その結果がこれだというのなら、俺にできることはせめて――。
「一体どうすれば……」
「ちょっと待ってろ」
慌てる彼女にそう言って、地面を懸命に這う少年の傍に立つ。
おそらく同類の存在に惹かれたのだろう。もう何も見えないはずの虚ろな瞳は彼女の立つ方向を向いたままだが、そこには明確な意思というものが感じられない。
「あー……」
……これは酷いな。
近くに寄って見れば、その状態の深刻さが嫌でも理解出来る。言語能力――この場合は言霊か――はその生物が死後も活動するための原動力である後悔を分かりやすく示し、現世に留まるための重要な要素だ。それがこの少年の場合はほとんど機能していない。恐る恐るといった様子でこちらを見ている彼女も記憶が無いのは同じだが、それでもしっかりと会話ができている。しかし少年の場合はいつ消えてもおかしくないほどだ。
なら、やることは一つ。
「おーい。俺の声、聞こえてるか?」
「……あ?」
「うわ、露骨に嫌そうな顔しやがった」
どうして誰も俺に優しくしてくれないのだろう。それでも、やることは変わらないわけだが。
「救えるヤツは救うし、見捨てねえよ」
懐から取り出すのは緑色の液体が入った小瓶。蓋を外し、その中身を少年へと振りかける。
「ちょっと、 浄化する気ですの!?」
「安心しろよ。浄化させるなら、とっくに活動範囲の外に叩きだしてるだろ」
「っ……。確かに、そうですわね」
同じゴーストだからこそ、俺の言葉に彼女は頷くしかない。
ゴーストの原動力である後悔の念は生前に縁のある場所から離れるほどに弱まっていく。だからこそ、彼らを浄化させるには縁遠い場所まで無理矢理はじき出すのが最適解だ。実際、教会の連中は追放家って言われるぐらいだしな。
だが、そうはしない。
「言ったはずだろ? 俺は悲しそうな顔してるヤツが嫌いだって。だからコイツもアンタも、絶対に見捨てない」
「――――」
背後に隠れる彼女が息を呑んだ瞬間、予想通りの変化が巻き起こる。
少年の体に降りかかった液体はおぼろげな少年の輪郭をはっきりと映し出し、ゆっくりと少年の中へ入り込んでいく。透けた体に浸透した液体は血液のように全身へ巡り、それに呼応して少年の肉体には色が戻っていった。
「──よし、こんなもんか。どうだ、気分は悪くないか? お前用に調整したやつじゃないから効果は一週間くらいだろうけど、その間にやり残したことをなるべく終わらせればいいさ」
俺の呼びかけに、さっきまで地面を這っていた少年は体を起こし、こちらへと視線を向ける。
「あり、が……と」
「あいよ。あんな状態だったんだ。腹も減ってんだろ?」
俺の問いかけに少年はしばらく逡巡してからコクリと頷いた。
「おーい。町で買ったアレ、出してくんね?」
「わ、分かりましたわ」
背後で縮こまっていた彼女はパンケーキを取り出すと、怯えるように震えた手でこちらに寄こしてくる。
その時だ。初めて彼女の姿を見た少年が、驚きのこもった声で言う。
「ばらの、あくま……」
◆
まあ、薄々予想はしていたわけだ。彼女が『それ』だって。
◆
「何も、聞きませんのね」
島へ渡る小舟の上で彼女はようやく口を開いた。
「昔、ジジイが言ってたんだ。『最後の最後で間違いを犯した』ってさ。詳しい話は聞けなかったけど、ジジイが最後に処刑したのは領主の一人娘だった。両親は革命派によって処刑されて、残った娘は処刑の日までとある島に幽閉された。
その島が、俺の家だよ」
指さす方へ彼女の瞳が向く。海に浮かぶ島には月から垂れた糸のように細い塔が伸びている。
「ここに幽閉された娘の世話と処刑をしたのがウチのジジイでさ。何度か聞かされたよ、あの娘はとっても美人だった、って」
船を岸に停めて彼女の手を取る。透けた指が細く、まだ幼さを残しているのは死んだ時のまま止まっているから。
そして、俺は懐に収めたあるものをそっと取り出した
「その時に娘の形見として渡されたのがこれなんだと」
「────うそ。そんな、ことが」
彼女の瞳が驚きに染まる。なにせ、俺が懐から取り出したのは彼女が着けている物と同じ薔薇の髪飾りだからだ。
「どうだ? さすがにもう、思い出しているんだろ」
手を取り、導くように島の中へ入る。ここから塔までは少し歩くから、話をするのには十分だろう。
「……あの少年に呼ばれた時、すべて思い出しましたわ。
でも、貴方はいつ気づきましたの?」
恐れを帯びてなお鋭いその視線から逃げることなんてできるわけもない。もとより、そんなことをする理由もないが。
「初めて会った時だよ。その髪飾りを見て、少なくとも領主の関係者だとは思った。でもまあ、それより大きな証拠があったからな」
「それは――」
木枝を踏みしめて歩く俺たちの前に、塔はようやく入り口を見せる。
彼女が生きていた頃と同じ、処刑場への入り口だ。
「その服を着ていた処刑人は当時一人しかいなかった。むしろ革命期の処刑は全てそいつに……ジジイに押し付けられていたんだよ。だから、その服を着ている時点でジジイと関係があるのは明らかなんだ」
結局、処刑人として国の負の面を背負ったジジイは革命後も自由に生きることを許されなかった。血を被り、悲鳴を飲み下し、死の責任を背負いながら。
それは孫である俺も同じこと。だからこそ、この島で研究を続けることが俺にできる唯一の生き方だった。
「……あの人はとても優しい方でした」
繋いでいた手を解き、俺の隣に並んだ彼女はしっかりとした声で言う。そこにさっきまでの恐れはなかった。
「だけどジジイはアンタも両親も殺してる。その罪と罰は俺も受けるつもりだ」
「それではいけません。あなたにはまだ生きていてもらいませんと。
貴方は知らないのかもしれませんが、ワタクシの父とあの方はとても仲が良かったそうですわ。だから自分たちが処刑されると決まった時、父は頼んだのです。『どうか娘の命だけでも救けてほしい』と。その結果、ワタクシは革命派も寄り付かないこの島に処刑まで幽閉されましたわ」
島の奥へ入るとそこには見慣れた風景がある。昔から色とりどりの花が咲いている庭だ。
「この庭もあの方が造ってくれたものですのよ」
「マジか。あのジジイ、俺の知らない所でイケメンムーブしてたなんて」
遺言で『あの庭、絶対に汚すなよ♪』とか言ってウザい文句で仕事を押し付けていたようなジジイだぞ。
そんなこんなで故人にどうしようもない怒りを覚えていると、彼女は迷うことなく石塔の中へと足を踏み入れていた。ジジイの頃から大きな改築はしていないから、生前の彼女が使っていた頃とほとんど変わらないのだろう。
すると、一足先に塔の階段を上っていた彼女が窓から顔を覗かせて言った。
「屋上に上っても大丈夫ですの?」
「別に構わないけど俺は遅れるぜ」
彼女は一度頷くと、黙って塔の階段を上り始める。当然だろう。
塔の屋上は革命期にこの塔の主を処刑した、最期の場所なのだから。
◆
彼女に遅れること数分。塔の屋上に上ると、縁に寄りかかって対岸を見つめている彼女の背中があった。
「夜景、綺麗だよな」
「同感です」
これまでも、これからも変わることのない景色。対岸に見える港町。その更に向こうには山脈が伸び、うっすらとシルエットが見えた。
「あの町からここまで、なかなか大変な旅でしたの」
目を伏せて呟く彼女の脳裏には、一体どんな景色が浮かんでいるのだろうか。それを聞くよりも先に、彼女はこちらに振り向いて言葉を作った。
「最期にお願いがありますの。
貴方とあの方の研究について、お聞きしたいですわ」
突然の願いに、しかし俺は驚かなかった。むしろ、俺から話そうと思っていたほどだ。
「言われなくてもそのつもりだよ。最後の条件もようやく解決したからな」
「最後の、条件?」
首を傾げる彼女に俺は頷いた。
それは、
「ジジイの研究における最後の条件は、アンタがゴーストとして出現すること。それもなるべく出力の高い状態でな」
「……え」
ジジイの研究は彼女が処刑されてからのものだ。驚くのも無理はない。
「ジジイの研究は一つ。アンタの夢を叶えることだ」
ジジイから受け継いだ研究。その中枢にある彼女の願い。
それを彼女は、すでに口にしていた。
「最期に教えられたよ。アンタの夢はあの町やこの島だけじゃない。世界中の景色を見ること。世界旅行、だろ? 死んで記憶が欠けていても、その思いがあったから良かった」
言うと、彼女は申し訳なさそうに顔を背ける。
「それはあの時も今も叶わない夢ですのよ。あの時も、あの方がしつこく聞いてくるから答えただけですの。
第一、ワタクシの活動範囲はこの島から城下町までの間だけ。ここまでの道のりはどうにかなりましたけど、あの町を越えることは無理ですわ」
そう。ゴーストには存在できる場所に限界がある。だからこそ、浄化の最適解が活動範囲外に叩きだすことになる。
だが、
「だからこそ、俺たちは研究したんだ。たとえ範囲外でも思念を保てるように。そのための研究だ。革命のおかげで新しい知識は入ってくるし、時間は有り余っていたからな。
……まあ、薬を使いたい相手がいないことが一番の課題だったけど、今ならそれも問題ない」
正直言って、初めて彼女に会った時は内心でとても焦っていた。だけど胸を見たら落ち着いたので、やはり胸は偉大。
「って、そういう話じゃない!!」
全力のビンタは痛い。これも新しい知識になるのだろうか。
「急に叫んで、狂いましたの?」
「あ、ごめん」
彼女の言葉でようやく正気を取り戻せた。
「えーと、続けてもいい?」
尋ねると、彼女はしばし迷う素振りを見せてから口を開く。
「……その、貴方はそれでよいのですか?」
「……」
「ワタクシは薔薇の魔女なんて呼ばれるくらいこの国の黒歴史ですのよ。そんなワタクシを自由に行動させたとなれば、貴方が罪に問われてしまいますわ。ただでさえあの方と貴方の時間を奪ったのにそれはできませんの」
言って、古びた石の床を見る。申し訳なさそうに俯く彼女の姿に、俺は確信した。
「勘違いしてるよ、アンタ」
「――――」
「俺はアンタが思ってるほどアンタを悪く思ってないし、むしろ良いヤツだと思ってる」
それに、
「アンタ自身が思うほど、アンタは悪いヤツじゃないよ。だってアンタは薔薇の魔女でもないし、黒歴史でもない」
「でも──」
「だから!」
言ってやる。
「アンタはパンケーキが好きで他人に優しくて世界を旅したい、ただの甘党で良いヤツだ!! 他でもない、俺が保証してやる!!
だから教えてくれよ。アンタはどうしたいんだ」
「っ――」
彼女はうんと頷いてから、ゆっくりと口を開く。
「ワタクシは、いきたいですわ。
こんな体でも生きて、色んな場所に行きたいですの」
目尻から一筋の光を溢して彼女は笑う。その笑顔は、今までで一番輝いていた。
「お願いしますわ」
促しに、ここへ来る前に取ってきた薬瓶の蓋を外す。
「ようやく完成したアンタ専用の薬だ。後悔を誇張して、この世に根付かせる。……根に持ちやすくなる、みたいな?」
「医者のセリフとは思えませんわね。でも、信じますわ」
「……ありがとう」
収められていた緑色の液体を彼女の周囲に撒けば、すぐに変化は始まった。
「どうだ? 何か変化はあるか?」
「なんだか重み? そんな感じが強くなりますの」
おそらく肉体が生前と同じレベルまで存在強度を回復しているのだろう。薬は間違いなく作用しているということだ。
やがて緑光が収まるころには透けていた彼女の体もだいぶ濃くなり、存在感は確たるものへと変化していた。
「よし、成功だ」
つい脱力すると、彼女が微笑みながらこちらへ寄ってくる。もとより塔の屋上は狭い。彼女はあっという間に俺の前に立った。
「本当に、あの方と似てますわね」
「……ジジイに?」
静かに頷き、昔を懐かしむような笑みを浮かべて彼女は言う。
「かつてあの方もワタクシを自由にさせようと奔走してましたの。結果はどうあれ、その姿を見て悲しみに浸っていたワタクシは救われましたわ。
だから、言いましたの。『ワタクシを助けてくれてありがとう』って。そうしたらこう言いましたわ。『まだだ。まだ救けきれてない』って、本当に悔しそうに」
「だからジジイは研究を始めたのか」
彼女は頷き、次いで深々と頭を下げた。
「改めてお礼を。貴方たちには本当に助けられましたわ」
「礼は要らない。それより一つだけ提案というか頼みがあるんだけど、いい?」
「提案、ですの?」
きょとんとした顔でこちらを見る彼女に、若干の恥を感じながらも言う。これは言わなきゃいけないことだ。
「こんなことして指名手配間違いなしだと思うから、一緒に世界を回ってもいい?」
「――ふ、ふふ……あははっ!」
結構マジメな頼みだというのに彼女は腹を抱えて笑うだけだ。
……これって、平民と上流階級の差?
そんなことを考えていると、ようやく笑いが収まったらしい。彼女はそよ風に髪をなびかせながら答えを口にする。
「それ、犯罪教唆ですわよ? 本当に馬鹿ですのね、貴方」
そして、透けていない血色のいい両手が俺の頬に触れ、
「────」
唇が触れ合う。
口の中に流れ込む熱い息は形がどうあれ彼女が生きている何よりの証拠だ。
「答えは決まってますわ」
唇が離れ、夜空を背にして彼女は笑った。
「今風に言うと誓いの証、ですわね?」
◆
「ちなみに貴方が実験で壊した庭ですけど」
「はい」
「あの下、私の棺がありますのよ?」
「はいぃ!?」
すぐに掘り返して見たら、やっぱり胸がデカかった。
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