茜色した思い出へ

@chauchau

赤縄を結ぶ


 あなたに黒歴史はありますか。

 人間は不思議なもので、恥ずかしいことに限って覚えているものだ。忘れてしまいたいと強く願ってもそうは問屋が卸さない。


 僕には一つ年下の幼馴染が居る。母親同士が親友だったため、赤児からの仲だ。

 身体が小さく、内気だった彼女は同い年の子よりも僕と一緒に居ることが多かった。おかげで友達と遊ぶときは男子に混ざって女の子が一人だけ。母親は紅一点だと笑っていたが、腕白盛りだった僕からすれば正直邪魔でしかなかった。

 別に嫌いだったわけじゃない。むしろ、妹のように大切に想っていた。だから、彼女が虐められていたら白刃を踏むつもりで誰よりも先に駆け付けた。


『泣くなよ』


 青臭い。

 青臭すぎて、野菜嫌いな人は倒れてしまいそうなほど。


『ずっと僕が守ってやるから』


 それでも、彩色ある思い出の一つに。

 なるはずだった。


「はぁ~……」


「ため息なんか吐いてどうしたんスか」


 容色に恵まれた女性が、日曜日の父親宜しくぞんざいに固焼き煎餅を食べ漁る。ぽろぽろと欠片が零れることも厭わない。


「はぁ~~……」


「人の顔を見て更に暗くなるとか失礼にも程があるっスわ」


 大口を開けて笑いながら不満を述べる。彼女が毛ほども気に留めていないことは明白だった。

 幼い頃に僕の後ろにずっとついて回っていた可愛く健気な幼馴染は、居なくなってしまった。残ったのは、身体も精神も図太く大きく成長しきった彼女だけ。


 小学校の高学年頃から急成長を遂げた彼女は、中学に入る頃には学年どころか男子を含めた学校全体のなかでも上位三名に入るほど巨体を誇っていた。

 同時に内気な性格は演技だったのかと悩んでしまうほどに変貌を遂げる。僕以外に話しかけることが出来なかった彼女が、今では誰とでも気軽に友人になれるほどの身軽さを身に付けた。


 これだけであれば、妹分の成長を素直に喜べたものだが、そう出来ない理由があった。


「ああ! 先輩に白眼視されるか弱き後輩! 何と可哀そうな私!!」


 煎餅片手に開催されるミュージカル。和洋折衷とはこれ如何に。

 二人っきりの教室は想像以上に広く、想像以上に騒々しい。勢いに任せて回り回れば、ただでさえ短いスカートがふわりと持ち主に合わせて舞い踊る。


「色欲に溺れた男がその身をケダモノに明け渡す! ああ、色白美人は成すすべなく薄汚い獣に食い殺されてしまうのか!」


 色の白いは七難隠すというが、彼女はまさしくそれである。

 反応すれば負けだと分かっているが、放置しておいても無駄である。


「ちなみに」


 背中にのしかかる重み。

 肌が、鼻孔が、それでも反応してしまう情けない自分。


 簡単に腕の中にすっぽりと入ってしまうのは、彼女が大きいせいだけではなく、僕が小さいから。

 彼女とは反比例して、僕の成長は小学校で止まってしまった。おかげで、身分証を持ち歩かなければ誰も高校生だと信じてくれない。


「今日は水色っス」


 耳元で彼女の声がする。

 反応しない。反応しようとしない。


「先輩なら見せてあげるっスよ」


 反応したくない。


「ねえ」


 僕の意思など。


「真っ赤っスよ」


「うるさい」


 月夜に浮かぶ赤提灯でしかない。


「赤面症、治らないっスね。便利なんで私的には良いんスが」


 重みが失われる。

 残された彼女の温もり、そして残り香。


 思い出が色あせる。

 黒く塗りつぶされた思い出。


 彼女のせいではない。

 彼女は何も悪くはない。


 過去の彼女も、

 今の彼女も、


 僕は好きなんだ。


 悪いのは。


「大丈夫っスよ」


 僕だ。


「ずっと私が一緒っスから」



 ※※※



「また懐かしいもの見てるっスね」


 掃除の天敵は思い出である。

 見つけてしまえば、最早その日は徒労に終わる。貴重な祝日を費やした終盤での出来事だった。


「高校に中学……、うはぁ、めっちゃちっちゃい頃もあるじゃないッスか。いやぁ、いつ見ても私は可愛いなぁ!」


 変わらない僕の見た目。それでもすぐにわかるのは、塩をかけられた青菜のように年々僕が卑屈になっているから。


「見てみて! この頃とか私めっちゃちっちゃいっスよ!」


「青は藍より出でて藍よりも青し、だな」


「すぐに私が背を抜いちゃいましたもんね!」


「当時の僕の苦労を知ってほしいもんだよ」


「いやぁ、どうすれば元気になってくれるか四六時中悩んで……」


 白々しい態度に笑みがこぼれる。

 釣られて、彼女が笑う。


「黒歴史だと思っていたんだ」


「はい?」


「高校ぐらいの時、幼い頃の思い出が黒歴史だと思っていたんだ」


 成長していく彼女の傍に。

 変わらない自分が居ることが。


 潰れてしまうほど情けなかった。


「ずっと傍に居た私に感謝っスね」


 関係が変わろうとも、苗字が変わろうとも、変わらない口調には諦めた。家族が増えれば変わるだろうか。


「それで? 今からすれば、幼い頃の思い出はどうなんスか」


 抱き寄せる。

 笑う彼女は、くすぐったそうに身を捩る。


 夕暮れに染まる愛しい彼女に。


「真っ赤っスね」


「君のことが好きだから」


 口付ける。

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