道なき道への英雄譚/乙女ゲーの裏シナリオルートをぶっ潰して絶対に幸せを掴みたい王子の戯曲
磯風
開幕前
ともすれば寝落ちてしまいそうな春の日差しが降り注ぐ学園のひっそりした裏庭で、僕はアルテリア・イシスに詰め寄られている。
アルテリア・イシス。
僕が何故か転生してしまった乙女ゲームの主人公・ヒロインである。
だが、決して彼女は、僕に友情も愛情も抱いてはいない。
「あなた、転生者でしょう?」
彼女は仁王立ちという言葉が相応しい立ち姿でまったく色気も素っ気もない上に、僕の顔面が蒼白になる一言を放った。
こんなにも完璧に生きてきた僕の何に気付いたというのだろうと恐る恐る話を聞いてみたところ、彼女もどうやら転生者で僕の行動が『ゲーム的でなさ過ぎる』と疑問を抱いたというのである。
しかも、姉のゲームが紛れ込んでいたのでなんとなく始めた乙女ゲーで、悪役令嬢の美しさと王子への献身に心打たれて惚れ込んでしまった僕なんかより、遙かに長い時間このゲームをプレイしていた『乙女マスター』と言っていいくらいの猛者だ。
全てのルートを制覇した者を、数々の男……攻略対象をモノにしてきた彼女を、果たして『乙女』と言っていいのかという疑問はおいておくとして、マスターいや、既にマイスターと言ってもいいくらいであることには違いあるまい。
そんな彼女がこの世界に来て、攻略を進めたかというとそうではないと言う。
「あたしの推しはルーグくんだもの。他の人の好感度なんか、これっぽっちも上げてないわ」
ルーグ?
はて、そんな攻略対象は覚えがない。
この乙女ゲームの攻略対象は五人。
僕の親友であり、頭脳明晰で黒髪が美しいクールな美形のアイザック、僕の近衛隊隊長・冷静沈着だが心に熱い仁義を持つ細マッチョのコルネリアス、この学園の教師で学園長でもある僕の叔父・サイラス、彼女の幼なじみ・レスターと……僕のはずだ。
そう、僕が転生したのは本来であるならば彼女に攻略されてしまい、婚約者に非道な仕打ちをする第二王子・ランディエール・ミラーヴァ。
前世の僕がゲームプレイした唯一のルートが、このランディエールルートだった。
あの美しい悪役令嬢が出てくるのが、このルートだけであったのだから当然である。
でもエンディングは、一度見たきりだ。
彼女……ランディエールの婚約者であるセルリア侯爵令嬢があまりに可哀想で、何度かプレイしてもいつも途中まででリセットして、ただただセルリアの可愛いスチルを見るためだけがルート周回の目的の全てであった。
勿論、他のルートは手つかずである。
「あーあ……それじゃあ『隠しキャラ』や『裏シナリオ』は知らないのね?」
待て。
なんだその不穏な響きは。
やっと、やっとここまで来たのにまだ先があるのか?
六歳の時に前世を思い出し、八歳の時にあの可愛いセルリアと園遊会で出逢った。
大勢の貴族の令嬢達が頑張って僕に対して礼をとる姿は微笑ましくはあったが、セルリアの完璧に美しい礼儀作法に僕の心は早鐘の如く鼓動を打ち鳴らし、そのまま彼女の前に跪いて結婚を申し込んでしまったほどだ。
そしてめでたく、僕は愛しいセルリアと婚約できた。
嬉しくて嬉しくて、彼女の全てが可愛くて愛しくて、絶対に裏切らないと決めたこの学園の入学時からなんとか二年。
とにかく、ヒロインを避けまくった二年間。
あと半年で卒業、やっと彼女との別れを完全に回避できるという慶びの日まであと半年というこのタイミングで、続きがあるなんて知りたくはなかった。
「隠しキャラは、あなたのお兄様なの」
なんだと?
この一騎士家にすぎない家の令嬢がセルリアの次……の次くらいに美しく優しい公爵家出身の義姉上を差し置いて、王太子である兄上を誘惑するというのか?
そして兄上は陥落すると?
絶対に許さないぞ! と思ったが、彼女の推しは『ルーグくん』である。
僕の知らないその男に恋をしているのだから、勿論兄上ルートが開放されたとしても興味はないはずだ。
「そうよ。で、隠しキャラルートに行かないと、裏ルートに入っちゃうのよ」
彼女の説明によると、ランディエールの好感度だけが他の攻略対象より高く、しかも好感度60〜80%の友情エンドであった場合にのみ兄上ルートになるようだ。
好感度という相手の心を勝手に覗き見る指標は、ヒロインであるアルテリアだけに見えている。
好感度はいわば愛情のバロメーターで、キャラの頭の上辺りにパーセントで表示される。
恋愛的な感情があるならハート、友情ならダイヤ、家族的な愛情ならオーバル、信頼や忠誠なら星、特別な感情がなければただの丸。
その形の中に表示された数字で相手の気持ちが解るのは、ゲームの仕様そのままだそうだ。
他のルートどころか、他のキャラとまともに会話するようなプレイをしてこなかった僕には記憶にないことだった。
僕の彼女への好感度は、著しく低いらしい。
しかも、ハートマークどころか、ダイヤマークですらないという。
まぁ、当然だ。
今日が、たった今が、初対面と言っていい程度の仲なのだから。
そして、アルテリアが聞かせてくれた裏ルートへの条件。
アルテリアの表ルート攻略対象への好感度と、彼等からアルテリアへの好感度が共に55%以下であること。
その上、僕へのセルリアからの好感度、つまり愛が……70%を下回っていること。
「今のところ、セルリア様は殿下のことが大好きみたいだから、大丈夫かなーとは思うけど……」
つまり、今現在、僕を含めた全員に対して、全員が彼女に対して、恋愛感情がなく好感度が55%を下回っているのだ。
愛情がパラメーターで示されるこの世界の、無情なシナリオが彼女の口から語られる。
「裏シナリオは、あなたの……ランディエール王子のシナリオなのよ」
僕の……シナリオ?
僕が数々の令嬢を口説きまくるというのか?
あり得ない。
絶対にあり得ない。
僕の心にいるのはセルリア唯一人、何人たりとも僕の心に入り込む隙間はない。
「盛大に勘違いしているみたいだけど、『ランディエールがヒロイン』のシナリオよ?」
……
…………
………………
「あなたを巡る男達とのBLシナリオで、しかも八割以上がバッドエンド」
神様。
転生の神様、今すぐ僕を生まれ変わらせてください。
この乙女ゲームを作った、この最悪の裏シナリオを実装しやがった奴らの上司に生まれ変わって、奴らを目眩くデスマの渦に投げ込み、パワハラに次ぐパワハラで自殺に追い込んでやります。
さあ! 神でも悪魔でもいい!
今、すぐ!
「落ち着きなさい。ものすごーくか細い望みで、とんでもなく可能性はないに等しいけど、セルリア様と結ばれる未来がない訳ではないわ」
だいたいなんだって僕が、そんな目に合わなくてはならないんだ?
ただ、婚約者を死ぬほど愛しているだけなのに!
「そりゃあ……表ルートのあなたの容姿がもの凄く人気あって……」
何故、言葉を濁す?
「ものすごーーーく嫌われ者だったからよ」
……
確かに、ゲームのランディエールは酷い男だった。
美形の第二王子でスチルは完璧に美しかったが、性格は欠片も美しくはなかった。
運命の恋だかなんだか知らないが、勉強は放り出すし、親友は陥れるし、叔父さんは脅すし、臣下には八つ当たりするし、婚約者には……
婚約者には……あまりに残酷だし。
でも……なんでそんな男を、男共が奪い合うんだ?
人間として嫌な奴だろうが。
「思い出してみて? アイザックはあなたの全てを許していたし、コルネリアスはあなたを支え続けたし、叔父上の学園長はあなたを見捨てなかったし、王太子殿下はあなたの味方であり続けたわ」
待て。
今一度、待て。
初めの三人は……まぁ、裏に駆り出されるのは納得できずとも理解できるが、そこに兄上が入るとはどういうことだ?
まさか、兄上までそんな感情を僕に抱いているなどという、不敬にも程がある設定なのか?
兄上は僕にはとても優しいし、とても甘やかしてくれるが、それは少し年齢の離れた弟への純粋な兄弟愛であるはずだ。
「このゲームのサブタイトルは『乙女の欲望、全て叶えます!』よ。親友同志・主人と臣下の下克上・年の差おじさま&美少年・ご兄弟近親相姦と萌えと背徳のよりどりみどり。しかも、ムカつくあなたというキャラへの『お仕置きざまぁ』までセットの萌え萌えスッキリ仕様が含まれているのよ」
乙女とは、なんと残酷にして強欲な生き物なのだろう……
「基本は全員、あなたを拉致監禁陵辱だから、あなたの意志は関係ないし甘い展開もないハードモードよ。これが一部のマニアに大人気になっちゃったのが、このゲームのヒットの一因ね」
甘さのない乙女ゲームなど、乙女が嗜むモノではないと思いたい。
いや、裏は乙女じゃない人々に人気だったのだろうか……
そんなに嫌われているキャラだったとは、思ってもいなかった。
転生した時は美形で健康で何不自由ない完璧スペックの上に、あのセルリアと結婚できる立場だったことに心からの快哉をあげたものだ。
あの日の歓喜が、僕の人生の最高到達点だったのか……
「一応、各ルートのだいたいの台詞とか結末は教えておくけど、回避方法は自分で見つけてね? なんせ、元々のゲームには回避できる方法なんてないんだから」
それは、100%バッドエンドということではないのか?
何故さっき、80%などと僅かながらの希望を僕に提示したりしたのだ。
「20%の希望があるのは、あなたも私もあのゲームの表シナリオを全く無視して動いているから。そして、今現在もルートはあるけど、従わなくても生きていけている」
シナリオはあるが、ルートは選べる。
道はあるが、その道に沿って進むことを強制されてはいないということが救いになるのだとしたら、どのルートも選んではいけないのだ。
道無き道を、切り開いていかねばならないのだ。
……なんだ、それは普通の人生の送り方と何も変わらないではないか。
僕は、僕の生きる道を、僕自身が創っていけばいいのだ。
選択さえ間違わなければ、セルリアの手を取り、未来を一緒に歩ける道が創れる……可能性はある。
でも、そのために僕は、その他を切り捨てなくてはならないんだ。
親友に嫌われなくてはいけない。
臣下に嫌われなくてはいけない。
親戚に、兄に、嫌われなくてはいけない。
そうしないと、僕は愛する人と寄り添うことすら許されないというのか……
「ちょっ、ちょっと! 泣かないでよ! 何も嫌われなくていいのよ! 寧ろ嫌われちゃっても駄目なのよ! あなたへの好感度が55%以下になったら、そのキャラが闇堕ちしてあなたは殺されちゃうんだから」
本当にハードモード過ぎないか?
僕に好意を持たせつつ諦めさせなくちゃいけないって、絶対に僕をもてあそんで滅茶苦茶にするためだけの設定ばっかりってことじゃないか。
「とにかく、好感度をハートじゃなくせばいいと思うの。どうするかは知らないけど。ゲームじゃ、裏の攻略対象の表示はハート以外なかったし。でも好感度60〜80%ならその人のルートは始まらないわ。98%になったら確実に拉致られるから気をつけてね」
ハートから別表示に変化させるか、好感度を60〜80に保つ。
なるほど、解ったよ。
覚悟を決めよう。
これは、これからの道は僕が友情と、信頼と、家族愛を取り戻し、愛する人をこの手に抱きしめる物語。
一世一代の大舞台だ。
アルテリア・イシス、君に感謝するよ。
僕の新たな物語の幕を開けてくれた君に、僕が何かできることはあるだろうか。
「なら、ルーグくんとの仲を取り持ってちょうだい!」
だから、それは誰だ。
「あなたの近衛隊のひとりよ。いつも一緒に剣の稽古をしている金髪の人がいるでしょ? 彼が私の最推しなの! あなたのルートとコルネリアスルートでちょこちょこ映ってて、ずっと好きだったの!」
あああー、いたなー、そういえば!
何度か会話をしたことがあるけど、いい奴だった……と思う。
多分。
そうか、ゲームにも見切れていたのか。
そんなモブを愛するとはアルテリア・イシス、なかなか視点が違う……流石はマイスターだ。
「あ、それと、これ以上私はあなたと接触しないようにするわ。でないとあなたの好感度が上がっちゃって、面倒なことになるかもしれないし、セルリア様に誤解されたくないでしょ?」
安心しろ。
君に感謝はしても、好意は抱いていない。
だがセルリアにあらぬ心配を掛けることがあってはならないので、その配慮はありがたい。
そして彼女は、知っていることを全て話してくれた。
目を背けたくなるような僕自身の痴態まで……
いや、あれは僕ではない。
今の僕のことではないのだ。
「裏シナリオが始まるのは卒業式の後、すぐよ。それまでに少なくともアイザックと学園長は、なんとかしておかないと間に合わないと思うわ。あのふたりのあなたへの好感度は、95%から始まるから」
あと半年。
僕は、道を切り開く。
「絶対に、諦めない。僕はセルリアと楽しく幸せに暮らすんだ」
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