第18話 裏の彼女は暴れたい

「あっ、霧矢くん! おかえりにゃんっ」

「……」

 シャワールームの扉を開けると、ボブカットの茶髪がなびくのが見えた。同時に彼に気付いたのか、カノンが振り返って人懐こく笑う。

「……お前、なんでいんだよ」

「さっき人見知りの社員にゃんに晩ごはん運んできたとこにゃん。それより霧矢くん、初任務お疲れ様にゃあ。それと、成功おめでとうにゃんっ!」

 目を細めて笑い、持っていたスポドリのペットボトルを投げ渡してきた。反射的に受け取りつつ、霧矢は警戒するように目を細める。

「……お前、なんか企んでンのか?」

「にゃっ!? た、企んでなんかないにゃんよー! こういうのはありがたく受け取るものにゃんっ」

「信用できっか!」

「そんにゃあ!?」

 大げさに飛び退き、カノンは悲しそうに縮こまった。うにゅー、などと鳴いている姿を見ると悪意はなさそうに見える。……が、霧矢は余計に目つきを険しくした。経験上、悪意のない言動が一番質が悪いものだ。

「みゅー……それは一回横に置いておくにゃん」

「置くンじゃねえ! そこ大事なとこだろうが!」

「初任務、どうだったにゃん? 楽しかったかにゃ?」

「……」

 無言で目を逸らす霧矢。カノンは彼の表情をじっくり眺め、数度瞬きをした。口元だけはむっと引き結ばれているが、その目は「満更でもなかった」と雄弁に語っている。カノンは腕を組み、満足げに頷いた。社員が楽しそうで何よりだ、とでも言いたげに。

「にゃはは、楽しそうでなによりにゃ」

「何も言ってねェだろ!」

「顔に書いてあったにゃん。楽しかったって」

「拡大解釈すんじゃねェ!! もういい、用がないなら部屋に戻」

「あぁっ、待つにゃん! 用ならあるにゃん!」

 踵を返そうとする霧矢に追いすがるカノン。訝しげに足を止めた彼の正面に回り込み、カノンは手で銃の形をつくる。

「……あ?」

「千草くんから報告があったにゃんけど、霧矢くんは致命的に銃へたくそって聞いたから──」

「おい待て何を報告してんだアイツは」

「いやいや、これも報! 連! 相! の一環にゃんっ! 社員の状態把握とかも常務にゃんのお仕事ですからにゃんっ。というわけで! 霧矢くんには銃の特訓を受けてもらおうと思いますにゃんっ!!」

 ずびしっと音がしそうな勢いでカノンが人差し指を突き立てる。堂々と宣告された霧矢は、呆然と目を見開いたまま言葉を失っていた。

「……まぁでも、今日は疲れてるだろうから早めに寝た方がいいにゃん。訓練は明日から始めるにゃんから、心の準備をしておくように! にゃんっ!」

「……お、おう……?」


 ◇◇◇


 ──その頃、雫と新は地下室へ続く階段を降りていた。青白い蛍光灯の光が金属質の階段に反射している。雫は逸る気持ちを抑えようともせず、階段を一段飛ばしで降りていく。足音と高い息遣いが反響し、レインコートの裾が勢いよく翻る。

「もー、そんなに急がなくてもいいのー。訓練中にバテちゃっても知らないのー」

「そんな呑気なこと言ってる場合ですか! こんな、こんな……っ、早く発散したくて仕方ないんです、よ!」

 階段の最後の四段を一気に飛び降り、雫は獣のように荒い息を吐いた。のんびり追いついてくる専務を鋭い視線で睨みつける。まるで「早く来い、こっちは待ちきれないんだ」とでも言いたげに。

「そんなにイライラしてるのー?」

「当たり前でしょうッ! あんなクソ野郎の生命力、ずっと体に残してたくないんですよ!」

「んー、まぁ、気持ちはわかるのー。それじゃあぼちぼち準備するのー」

 ようやく地下室に辿り着いた新は、地下一階の訓練場の壁に指を這わせた。トン、と軽く壁に触れた瞬間──壁一面に淡い光が走る。レモン色の光はまるで雨粒が水たまりに波紋を広げるように、四方の壁へ、床へ、天井へと広がってゆく。氷月新の天賦ギフト──『結界』。小学校のグラウンドに匹敵する広さの訓練場全体が、瞬く間に淡く輝く結界に包まれた。

「よーし、っと。これで何があっても安全なのー!」

 ぱち、と音を立てて電気をつけると、新は堂々と訓練場の中央へ歩を進める。雫もそれに追随し、広々とした訓練場の中央で向かい合った。


「さーて、いつでもおいでなのー」

「ええ、言われなくて──もッ!」

 雫が勢いよく両手を前に出す。それぞれの掌から真っ黒なエネルギーが溢れ出し、黒く輝く球体を形成した。雫の天賦ギフト──『命綱』。他者の生命力を吸収し、それをエネルギー体として放出できる能力。一度吸収したエネルギーは放出しない限りずっと雫の体内に残り続ける。先程のターゲットから吸収していた生命力を、雫は今ここで全て放出しようとしていた。

 風切り音すら立てそうな勢いで両腕を広げる雫。その掌から毒霧のように放出され続けるエネルギーは、次々に球体と化して雫の周囲に浮かんでゆく。しばらくしてようやくエネルギーの放出が止まると、雫は深々と息を吐いた。先程までとは打って変わり、晴れやかな、しかし獰猛な微笑みを浮かべる。

「専務──行きますよ」

「いつでもどうぞなのー!」

 余裕の笑顔でサムズアップする新。雫は小さく息を吸うと、片手を握りしめ──

「はあッ!」

 裂帛の気合いとともに前に突きだした。すべての球体が放たれる。それらは風切り音を立てながら、新のもとへと収束するように飛んでゆく。かすかに尾を引きつつ自分のもとへ収束するそれを眺め、新はゆるい笑顔のまま両手を突き出す。刹那、その手に淡く発光する二本の剣が出現した。

「──なのっ!!」

 謎の掛け声とともに双剣を握りしめ、刹那の間にエネルギー弾を両断する。見事に真っ二つになった球体はそのまま霧となって消えていく。次々と襲い来る黒い球体を片っ端から切り裂き、叩き潰し、瞬く間にすべてのエネルギー弾が霧となって消えてしまった。瞬きしようものならすぐに見逃してしまうほど、あっという間の決着。雫は軽く肩をすくめ、ひきつった笑顔を浮かべるしかなかった。


「……やっぱり専務の強さっておかしいですよ」

「そーお?」

「そうですよ!! だいたい貴方の天賦ギフトって『結界』ですよね!? それが何で武器になるんですかおかしいですよ毎度思うんですけど」

「ふふーん、僕は社長の専務だからーなのー!」

 意味不明な理屈を振りかざし、胸を張る新。誇らしげな笑顔から目を逸らし、雫は先程までとは別のもやもやを抱えながらため息を吐いた。

(専務は拠点防衛担当ですし社長の護衛も務めますし、強くなきゃお話にならないですけど……だからって頭おかしいくらい強いですよ。ほんと何なんですかね、あの人……)

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