Gift. 2 不垢不浄のパンデモニアム

第10話 重なる利害

「着いたわよ」

「ようこそMDC本社へ! 常務にゃん権限で歓迎しますにゃんっ!」

 二人に指し示されたのはビル……と言えなくもない程度のこぢんまりとした二階建てのオフィスだった。掃除の行き届いた黒い壁からは、どこか神経がぴりつくような違和感を覚える。それを無視しようと霧矢は唾を飲み込み、顔を上げた。

「……なんつーか、思ったより小せぇな」

。うちは貴方を入れて9人体制の零細企業だから、無駄に広くても使い道がないの。小さければ清掃や設備維持にかかるコストも少なくて済むし」

「……地上?」

「細かいことは入社すればわかるわ。とにかく行くわよ」

 ばっさりと言い放ち、唯はオフィスの正面玄関に近づいた。すぐ横のパネルに社員証をタッチしつつ、カノンの方を振り返る。

「今オフィスにいるのは確かあらただけよね?」

「そうにゃんっ! 専務はたぶん寝てると思うにゃんけど……」

「勤務態度そんなんでいいのかよオイ……」

「専務は寝てるけどお仕事してるからオッケーにゃん。それじゃあ霧矢くん、いらっしゃいにゃんっ!」

「……」

 踊るようにくるりと一回転し、カノンはボブカットの茶髪を揺らして手招きした。その横をさっさと進んでいく唯を睨みつつ、霧矢は不承不承ついていく。


 ◇◇◇


 二階のオフィスの自動ドアが音もなく開く。ところどころに六角形の装飾がされたオフィスはどこかVR空間を思わせる。唯は霧矢を応接コーナーに促すと、自分も正面のソファに腰を下ろした。

「……さて。色々と聞きたいことがあるだろうし、まずは事情を説明するのが筋よね」

「話が早ェな。……何なんだ、さっきの連中は」

 先程見た顔に刺青の集団を思い出す。彼らは明らかに霧矢を狙う素振りを見せていた。膝の上で握りしめた拳がかすかに震える。それを一瞥し、唯は面倒そうに口を開いた。

「あいつらは殺人斡旋組織『パートシュクレ』。天使デストリエル様に捧げる死者を量産するために天賦ギフト持ちたちを扇動して犯罪をさせているそうよ。タチが悪い新興宗教と派遣業者の合いの子みたいな連中ね」

「都内の犯罪の……みゅー、少なくとも3割くらいは連中が絡んでるって話にゃん。それもあってウチも頻繁に相手してるにゃんけど、元締めはまだどうにもできてないにゃ……みゃう」

 不意にかけられた声に顔を上げると、カノンが二人の前に紅茶のカップを置いた。軽く頷き、唯は彼女を隣に座るよう促す。満面の笑顔でソファに腰を下ろす彼女に、霧矢は怪訝そうに眉を寄せて問いを投げ掛けた。

「……それもあって?」

「私や一部社員は彼らと個人的に因縁があるの。それは追々話すとして、アンタが知りたいことはもっと他にあるでしょ?」

「……あァ。何でよりによって俺様を狙ってくんだよ、連中は」

 吐き捨てるように問いかけながらも、何となくアタリはついていた。どうせ連中も天賦ギフト目当てなのだろう。治癒系の天賦ギフトは希少らしく、通学をやめて不良をやっていた頃もそれ目的で声をかけられることはあった。時折指先で膝を叩き、苛立ちを隠そうともしない彼に唯は軽く肩をすくめる。

「……アンタの予想で半分正解って感じかしら。どこかに他人を延命させられる天賦ギフトがあるという噂がまことしやかに囁かれてるの、聞いたことない?」

「……初耳だわ、そんなモン」

 呆然と目を見開く霧矢を見て、唯はすっと目を細める。……何年も半グレに身を置いておきながらソレを狙う者と接触しなかったとは考えにくい。よほどの幸運か、あるいは……

(連中が他の者に取られないように根回ししていた可能性もあるわね。全く、ご苦労なことだわ)

 肩をすくめて紅茶に口をつける。タルトたちは余程あの能力を手中に収めたいらしい。まだ彼がその持ち主だと確定したわけではないというのに。ともかく、その天賦ギフトを使って何をしようとしているのか想像はつくが……それだけは阻止しなければならない理由が、唯にはある。

「ともかく、その延命の天賦ギフトを持っている人を一部の人たちが探し回ってるにゃん。んで、霧矢くんはその候補の一人……って感じにゃあ」

「なんだそりゃ、くだらねェ。他人の天賦ギフトに頼ってまで生きて何が楽しいんだよ。バカじゃねーのか」

 苛立たしげに吐き捨てる霧矢。人に貸しをつくるのは嫌いだし、借りをつくるのはもっと嫌いだ。下手に人と関われば必ず利用目的の人間が寄ってくる。その人にもし悪意がなかったとしてもだ。他人を平気でモノ扱いして、思い通りに動くのが当たり前だなんてツラをしている連中の気が知れないし、知りたくもない。


「……思い上がらない方がいいわ。ひとりだけで生きていけるなんて、ありえないから」

「あ?」

「なんでもないわ。それより私たちはアンタのMDC入社を要求します……って言っても簡単には言うこと聞きそうにないわね。だから、こういうのはどうかしら?」

 唯が目配せすると、カノンが側の書類棚を開けた。流れるような手つきで取り出したフラットファイルを霧矢に手渡す。その表紙には『MDC業務マニュアル/体験入社用』とタイプされた青いテープが貼られている。

「……体験入社?」

「そう。うちに身を寄せるなら入社してもらうのが一番手っ取り早いけど、うちでは新入社員はまずは体験入社っていう形をとってるの。そこで適性を判断したうえで、入社試験を経て正式入社、って流れね」

「オイ、入社すンのは確定事項かよ!?」

「当たり前でしょ。社員になれば私たちも大っぴらに庇えるし、なんなら今までのアンタの暴行なり殺人なりの容疑も揉み消せる。アンタにとっても悪い話じゃないと思うわよ?」

 平然とそう口にして、わざとらしく口角を上げる唯。霧矢の視線が険しさを増す。自分とさほど年が変わらなさそうな眼前の少女から、利害にまみれ薄汚れた大人の匂いを感じる。……だが、こちら側につくと決めたのは紛れもなく霧矢自身だ。派手に舌打ちし、カノンの手からフラットファイルを奪い取る。

「……わぁったよ。体験入社はする。けどな、納得できねェ命令にゃ従んねェかんな」

「それだと困るんだけど……。ま、入社する意思があるのなら問題ないわ。そのマニュアルはあげるから読み込んでおきなさい。カノン、あとは任せるわ。私は奥で仕事してるから」

「了解しましたにゃんっ。霧矢くん、わかんないことあったらいつでも聞いてにゃん!」

「へいへい……」

 奥の部屋に消えていく唯を見送り、霧矢は大人しくマニュアルに目を通しはじめた。……と、外の方から騒がしい足音が耳を打つ。カノンがカチューシャの猫耳を動かしつつ、ドアの方を指差した。

「あ、社員が帰ってきたみたいにゃん。ちょうどいいから紹介するにゃんっ!」

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