第9話 錯綜する思惑

「……タルト。本当にアレでよかったのか?」

「ん、何が?」

 興味なさげに返し、タルトと呼ばれた茶髪の少年は肩に引っ掛けていたジャケットを雑に脱ぎ捨てた。紫髪の少女がそれを恭しく拾い上げ、恍惚と頬を染めながら抱きしめる。殺人斡旋組織『パートシュクレ』拠点の最奥で、タルトはおとぎの国から持ち帰ったように豪勢な椅子に腰を下ろした。その椅子の隣で立ち止まり、軍服の少年――通称『武器庫』は眼鏡の奥の瞳を険しく細める。

「夜久霧矢と高天原唯を放置したことだ。……少なくとも高天原唯は、あそこで殺してしまっても構わなかっただろ」

「は? お前のインテリは顔だけか? デストリエル様はそんなことお望みじゃないんだよ。あのお方はオレたちが互いに争い合うことで、より多くの死者を……生贄を捧げることを望んでいらっしゃる。そんなこともわかんないような君じゃないよねぇ? それに『審問官』に目ぇつけられるのもまずいし、こういう時こそクレバーに動いた方がいいと思うなぁ。きひひっ」

「……っ、だがお前にはもう」

「はいそこまで。……オレの命とデストリエル様の御意志、どっちが大事だと思ってんだよ」

 底冷えのするような低い声に、『武器庫』の頬を冷や汗が伝う。伏せられた視線に苦悩の色が浮かんだ。そんな彼をあざ笑うように、タルトは傍のテーブルに手を伸ばした。菓子の箱を開け、ハート型のクッキーをつまむ。

「それにお前や『処刑台』を失うわけにはいかなかったからさ。強めに守護権能かけてるけど、向こうだって一応は『巫女』だもの。下手な動きしたら今までに積み上げたものがぜぇんぶ瓦解して、イチから組み直しじゃん。ドミノ並べてたら途中で倒しちゃったときの中途半端な虚しさと同じだろ。感じたことはないがな」

「……」

 犯罪組織の顛末とドミノを一緒にするな。そんな言葉を無理やり飲み込み、『武器庫』は素直に頭を下げた。音を立ててクッキーを齧り、タルトは嘲笑うように口元を歪めた。

「さて、どうやって彼を手中に収めてやろうかな? あの子はの下で野放しにされるべきじゃない。オレたち『パートシュクレ』の下で、デストリエル様に捧げる永久機関として厳重に管理してあげなきゃ」

「はぁ……そうですねっ! デストリエル様への生贄になれるだけで羨ましいですよぉ! そんな二度とないチャンスをふいにしちゃうなんて……ホント、愚か」

「やめろ、『処刑台』。……あの子はまだ何も見えてないだけだよ。愚鈍と無知は違う。いい加減に学習しろよ」

 暴言を吐きながらも、その口元は微笑みを絶やさない。そんな棘のある言葉にすら頬を染めるような『処刑台』と、呆れたように頭を抱える『武器庫』。二人の側近を見まわし、タルトは無邪気な笑い声をあげた。まるで、開演のブザーを押そうとする幼子のように。


 ◇◇◇


「あ、居た居た! ねえ、君が向坂むこうさか太一くんだよね?」

 突如かけられた声に、太一は引きずっていた足を止めた。どこかやつれた大きな目が捉えたのは妙に鮮やかな少年の姿。曇天の下の路地裏で赤毛がふわふわと風に揺れている。

「……そう、だけど。お前は……?」

「こういうものです。MDC社員の芝村しばむら千草ちぐさといいます」

 名刺を差し出し、少年は蛇に似た金色の瞳を細めた。呆然としたまま受け取った名刺には、確かに『犯罪対策会社マチュア・デストロイド・カンパニー』と記されている。だが……と、太一は眼前の少年をまじまじと見つめた。どう見ても太一より少し年上の高校生にしか見えない。

「ちょっと君に用があるんだ。今、大丈夫?」

「いいけど……なんだよ、用って」

「君のお友達……夜久霧矢くんのことで、話が聞きたいんだ」

「……ッ!」

 何度も呼んでいたはずの名前がひどく懐かしく耳を打った。首元を冷たい風が撫でるように吹き抜ける。胡散臭い笑顔を浮かべた少年に詰め寄り、太一は縋るように声を上げた。

「霧矢に……霧矢に何かあったのか!?」

「それを捜査したいんだよ。霧矢くん、ちょっと前から行方不明になったままだし、何か事件に巻き込まれてるかもしれなくて……なんでもいいから情報が欲しいんだ。協力してくれるとありがたいなぁ」

「も、もちろんだよ! 俺にできることならなんでも言ってくれ! ……でも正直、俺も手がかりを探してるところなんだ。四日くらい前にいなくなって、それっきりで……オレも必死に探してるし、警察にも届け出たけど何も見つかってなくて……」

 困ったように俯く太一を、千草は考えるように首をかしげて見つめた。金色の瞳が数度瞬きをし、すっと細められる。彼はしばし考えたのち、切り替えるようにぱっと手を広げた。

「……でも、もしかしたらいつか連絡来るかもしれないじゃん? 友達なんだったらさ」

「そう、かな……霧矢、困ってもあんまり頼ってくんねーし」

「本当に追い詰められたら助け、求めてくれるんじゃないかな。友達ってそういうものでしょ? それにもし霧矢くんが見つかったら真っ先に伝えたいし、とりあえず連絡先だけ教えてほしいんだけど、いいかな」

「も、もちろんだよ……! えっと、今QRコード出す」

 早速ポケットからスマホを取り出し、太一はコードが表示された画面を差し出した。頷いて軽く読み取った千草は、首をかしげて軽く微笑んだ。

「ありがとう。何かわかったら連絡するね。太一くんも何か思い出したことがあったら、いつでも伝えてほしいな」

「ああ、勿論だよ……! っていうか捜査にオレも参加させて――」

「いやいや、君を巻き込むには危険すぎるよ。天賦ギフト犯罪に巻き込まれてる可能性が高いからね。この過程で君が危ない目に遭っちゃったら霧矢くんも辛いだろうし、僕たちを信じて待っててほしいな」

「そんなことできっかよ……! だってオレは」

「あっと、そろそろ次の関係者に話聞かないと。ごめんね太一くん、またね。本当に下手に首つっこんじゃダメだからね!」

「ちょ、おい、待てよ――!」

 太一が追ってくる前に曲がり角に身を隠す。待ち合わせに急いでいる風を装って、追手を撒くように雑に移動し――はぁ、と小さく息を吐いた。電柱の陰に隠れている人影を一瞥もしないまま、問いかける。


「――紅羽くれは。もう追いかけてこない?」

 応えるように、電柱の陰で捻じれた黒髪が揺れる。血で赤く染まったジャンパースカートを纏った少女が、ポニーテールを揺らして元気よく飛び出した。光のない瞳が瞬き、口元には子供のようにあどけない笑顔が浮かぶ。彼女は片手にサラミの袋を持ったまま、半ばオーバーな動きで頷いて見せる。

「うん! よくわかんないけど、見失ったみたい? 例の子の匂いが遠ざかってるー」

「……ずっと思ってるんだけどさ、紅羽のその嗅覚はなんなの……?」

「さあ? あたしとっくに人間やめてるし、こんくらい誤差じゃない? あはっ。全然関係ないけどさ、このサラミちょー美味しいよ! 千草も食べる?」

「ごめんいらない。僕そういう趣味ない」

 差し出された干し肉をきっぱりと断り、千草はスマートフォンの画面に目を落とす。太一の連絡先が正常に登録されていることを確認すると、軽く目を閉じた。……捜査への協力要請は単なる名目だ。夜久霧矢は既に見つかっている。その裏にある目的を思い返していると、紅羽が突然寄りかかってきた。

「ってかさー、えっと……何て名前だったっけ。江戸切子?」

「夜久霧矢」

「そう、それ。どんな人なんだろーね?」

「さあね。社長は『だいぶ拗らせてる』とは言ってたけど……拗らせてるのは僕たち全員じゃない? 原因とか拗らせ方はバラバラだけどね。だから今更っていうか」

「あはは、ほんとだねー!」

 軽く笑い飛ばし、紅羽は手にしたサラミを口に放り込んだ。鼻歌すら歌い出しそうな彼女はきっと何も考えていないのだろう。軽く肩をすくめ、千草はスマホをポケットに仕舞った。

「そういえば確か、前に『よその連中に搾取される前に保護しなきゃ』みたいなことも言ってたよ。でも社長がそこまで言うって……ほんとに何者なんだろうね?」

 首を傾げながらも、千草は紅羽の方を振り返る。やっぱり何も考えていなさそうな瞳を見返し、薄く微笑んだ。

「まぁ、こればっかりは考えても仕方ないよ。社長のみぞ知るってやつだろうし。……さ、任務は果たしたし、帰投しよっか」

「えー、もう!? ちょっとだけ寄り道してかない?」

「お腹空いてるならそのサラミ食べなよ……」

「正論すぎて草! 草こえて千草っ! それじゃあ帰ろ! 会社に帰ろー!」

 軽く飛び跳ねながらも歩いてゆく紅羽と、困ったように肩をすくめながらも笑顔を崩さない千草。燃えるような夕陽を浴び、二つの影が長く、濃く伸びてゆく。

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