第2話 天賦持ち

「くっそ、負けたー! くやしぃい」

「じゃあ太一が鬼かー。逃げんの超がんばんなきゃ」

「だなー! てか、太一クラスで一番足はやいじゃん! おれ負けそー」

 眩しい陽の光が燦々と降り注ぐ昼休み。広い小学校の校庭の片隅に子供たちが集まっていた。チョキの形に伸ばされた指を見つめ、太一と呼ばれた子供は天を仰ぐ。思い思いに騒ぐ子供たちの中で、当時小学一年生の霧矢は頭の後ろで腕を組んだ。

「こうなったら絶対ぜってー負けらんねーじゃん! 誰が最後まで逃げきれるか勝負しよーぜ」

「はー!? なんだよ霧矢、そう言われたら逆にみんな捕まえたくなるじゃん! かくごしろよー!」

「おー!」

 幼さの残る声が思い思いに返事をして、鬼役の太一を残して銘々に散ってゆく。


「……はーち、きゅーう、じゅう! いくぞー!」

 鬼役の太一が勢いよく駆け出し、坊主頭の子供に狙いを定めた。慌てて逃げ出す子供を見据え、太一は風を切って加速していく。霧矢は二人から距離をとりつつ、妙に据わった目で彼らを注意深く観察する。ある程度離れると、彼はスニーカーの爪先をとんとん、と土に打ちつけた。坊主頭の子供が捕まる様子を、次の子供に狙いを定める太一を冷静に見つめる。

「……やっべ!」

「ッ!」

 上ずった声が鼓膜を打つ。見ると、霧矢に比較的近いあたりで緑髪の子供が勢いよく方向転換をした。反射的に飛び退り、霧矢は緑髪の子供をロックオンする太一の動向をうかがう。フェンスの方に走っていく二人を眺めていると、また緑髪の声が耳を打った。

「っ、いてっ!」

 逃げる最中に足がもつれたのか、それとも小石につまずいたのか。緑髪がバランスを崩して、伸ばした手のひらから地面にすっ転ぶ。一瞬足を止める太一をよそに、霧矢は気付いたら彼らの方へ駆け出していた。その目を焼くのは、すりむいた膝の生々しい紅色。

「霧矢!? 見ろよ、こいつけがしてるよ。手とヒザすりむいてる」

「うっわ痛そう。……ちょっとじっとしてろ」

 緑髪の子供にずかずかと歩み寄り、霧矢はその小さな膝元に手を当てた。指先から伝う白い光が子供の肌を伝い、鉄錆色の傷を包んで塞いでいく。瞬きのうちにきれいな肌色に戻った膝を、緑髪の子供はまじまじと見つめている。その横で不思議そうに子供と霧矢を見比べ、太一はただでさえ大きな瞳を更に見開いた。

「……霧矢! おまえすげーよ!」

「え……そうか?」

「そうだよ! すげーどころじゃねーよ! まじで痛いのどっか行くとか、つえーじゃん! かっけーじゃん!」

「うん、本当にすごいよ! ……えっと、ありがとう!」

 慌てて立ち上がり、緑髪の子供が勢いよく頭を下げた。二人を見回す真紅の瞳が戸惑うように揺れて、それでも口元はこそばゆそうな笑みを浮かべていて。いつの間にか集まっていた子供たちの真ん中で、霧矢は輝きを増す太陽のように破顔した。

「……こんなの大したことねーよ! だってオレは、特別なんだからさっ!」


 ◇◇◇


「なーなー、今日の昼休みドッヂやろうぜー」

「いいね! 皆どーする?」

「やるやるー!」

 中休み前のマラソンが終わり、熱気が収まらない3年3組教室。身体にこもった熱を飛ばし切れないのか、クラスの中でも特に体格がいい男子がそう言いだした。飼育員に餌を見せられた動物のように、男子も女子も関係なく集っていく児童たち。それを輪の中心近くから眺め、霧矢は頭の後ろで手を組んだ。

「おー、これクラス全員でやる感じか?」

「ははっ、いいね! ドッジは皆でやった方が楽しいしさぁ」

「だなっ!」

 太一に肩を叩かれ、眩しい笑顔を向けられる。一年生の頃からずっと同じクラスの彼は、いつもこうやって目を細めて笑う。そんな彼に屈託なく笑い返し、霧矢は何気なく教室を見渡し……ふと、背の高い女子が目を伏せているのが視界に映った。

「……?」

「ねえねえ、真凛もやる?」

「……ううん、真凛はいいかな」

「え、なんで? 真凛だって体育好きじゃん」

「あぁ、うん。体育は好きだけどさ……でも……」

 真凛と呼ばれた女子の視線がちらちらとこちらに注がれては、気まずそうに背けられる。その動きが何となく気になって、霧矢は真紅の瞳を注意深く細める。

「……なに? 霧矢がどうかした?」

「えっと……霧矢ってさ、天賦ギフトあるじゃん」

「うん。で?」

「そのことママに言ったらさ……ママが怒ってさ。『天賦ギフト持ってる人と遊んじゃいけません』って。『ああいう人は将来絶対、犯罪者になるから』って……」

「……」

 真凛の隣で、ポニーテールの女子が腕を組んだ。考え込むように押し黙り、視線を床に投げる。……その空気は、まだ喧騒が続いているはずの霧矢のもとにも届いていて。首筋に嫌な汗が滲んで、霧矢は思わず唇を引き結ぶ。沈黙に包まれる女子グループの真ん中で、真凛はTシャツの胸元を握りしめたまま呟いた。

「今朝も、天賦ギフト持ってる人が捕まったってニュースでやってたし……昨日の夕方も、一昨日も。だから、もしかしたら……」

「おい、何言ってんだよ!」

 ――隣から上がった声に、霧矢は弾かれたように顔を上げた。太一が震えるこぶしを握りしめ、鋭い視線で真凛を睨みつけていて。霧矢をかばうように力強い足取りで前に出ると、目を見開いて一歩下がる女子集団を怒鳴りつけた。

「霧矢はそんなことしねーよ。そういうことする奴じゃねーよ! 今までだって、誰か怪我したらすぐ助けに行ってたじゃん。それに人なぐったりする奴じゃねーしさ」

「……でも、天賦ギフトが」

「だからなんだよっ! 天賦ギフトがあるからって、そういう事する奴だって決めつけんなよ! お前ら、今まで霧矢のどこ見てたんだよ。霧矢がそういう事する奴だって、本当に思ってんのかよ!?」

「太一……」

 ――騒がしかった教室は、気がついたら水を打ったように静まり返っていて。硬直したまま太一を見つめている真凛と、唖然と立ち尽くす他の女子グループ。それ以外の子供たちも困惑したように様子を窺っていて、渦中にいるはずの霧矢すらも喉に声が引っかかって、何も口にできなくて。『特別』という言葉が脳裏をぐるぐる回る。綺麗な石に似た言葉が、端から崩れて土くれに変わっていく。静電気が満ちているようにぴりついた空気は、中休みが終わるチャイムが鳴るまで緩むことはなかった。

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