第3話

 横に座って分かったが、佐和田怜那は、地味子の見た目を裏切らない真面目さである。英語の授業でも、可憐な筆跡で丁寧にノートを取っている。ペンを握る真剣な横顔を見ている限りでは、学歴詐称などに手を染めるような娘には見えない。

 

 今村由香を貶めることとなった詐称疑惑(疑惑というよりも推定)は

 大きく、二つある。一つが年齢詐称、もう一つが学歴詐称である。


 年齢詐称は、今村由香の童顔(と幼い話し方)を利用し、事務所側が実年齢よりも二歳さば読みしてデビューさせた件である。当時は日常茶飯事であったわけだし、アーティスト志向が強まるに連れ、詐称の必要はなくなったが、その時には彼女の人気は低迷する一方であった。

 

 もう一つが、学歴詐称である。

 今村由香は、一流私立大学の出身という触れ込みでデビューし、学園祭では「現役大学生」を印象づけていた。しかし、実際はその大学に通ってもいなかったというものである。夜間か通信かに通っていたという説があるのだが、どのみち、印象はよろしからずである。

 

 ネット時代に入って以降、彼女自身の落ち度から特に叩かれたのはこの二点である。あとは真偽の定かではない渡米歴があるが、彼女の現役時代末期に暗い影を投げかけたのは年齢と学歴の詐称である。

 

 年齢の件は、割とカタをつけやすい。そのための手は簡単に用意できる。

 (この世界線? で、彼女が本当にデビューするのならば、だが。)

 一方で、営業戦略に関わった分だけより深刻な学歴の件は、それがほぼ事実と推認されざるを得ない以上、手の出しようはないと考えていた。


 この席に座っているならば、発想を、転換できる。

 できるのであれば、本当に、一流私立大学に入れてしまえばいいのだ。

 本人をあれほど長く傷つけることになる根源を断つことができるならば、あんな無残な末路にはならなかったかもしれないのだ。


 そのためには、まずもって、佐和田怜那のリアルな成績を知る必要がある。


 「ん、な、な、なに?」

 

 小首を傾げ、雑に結んだ髪の端を少しかき上げながら、恥ずかしげに奥歯で笑う。

 見た目がただの地味子なのに、ひとつひとつの仕草が、いちいちあざとい。

 やれやれ。隠れファンとしては疼くものがちょっと激しすぎる。


 「いや、綺麗な字だな、と思って。」

 

 実際、今村由香の字は、人に見せられる程度には秀麗だ。数少ないテレビ出演(地雷)時には、半分ネタとしてだが、キャプションとして使われたこともある。

 

 さて、どうしようか。

 この質問なら、良いのではないか。

 

 「佐和田さんって、志望校はどこなの?」

 

 踏み込んだ。

 ちょっと失礼な質問だが、きっかけがないと進めない。

 佐和田怜那は一瞬、驚いた顔をして、もじもじと人差し指で首筋を捻った。

 そして、雑に結ったお下げ髪を弄びながら、小声で、志望校を二つばかり告げた。

 

 それが本当かどうかは分からない。

 ただ、挙げられた高校名は、俺の記憶にある限りでは、

 一流大学の進学歴に乏しいところだ。要するに、実力が足りていない。


 つまり、経歴詐称まっしぐらということを意味する。

 

 もう少し聞きたいところだが、篠塚女史が鬼のような目でこちらを見ている。

 佐和田怜那まで巻き込むわけにもいかない。


*


 1982年、7月16日。金曜日の放課後。

 それは、まったく予期しない言葉だった。

 

 「ねぇ、古河君は、音楽、何を、聴くの?」

 

 恥ずかしそうに見上げてくる地味顔の佐和田怜那。

 こちらが、聞きたくとも聞けなかった、きっかけになる一言。

 こちらから聞いてみようとパターンを練っていた言葉。


 佐和田怜那のほうから、こっちに聞いてくることを、想像していなかった。

 というよりも、あの今村由香が、ファン感謝イベントでもないのに

 俺に声を掛けてくることは、まったく想定していなかった。

 

 君だ。

 今村由香を聴いていたんだ。

 穴が開くほどCDを聴き、間奏のホルンのフレージングをマスターするまで、

 君の奏でる音を聞き込んだんだ。


 はっ。

 

 天然あざとい地味嬢の佐和田怜那が、不安そうに俺を見上げている。

 まだ、野音を満員にした、あの今村由香ではない。

 口を開きかけた時、ほんの少し、痛みが走った。

 

 「日本だとプリズム、カシオペア、高中正義あたり。

  海外だとコリアとメセニー。あとはクラシックと洋楽をちょっとだけ。」

 

 佐和田怜那が驚き、

 そして、今村由香を彷彿とさせる、騒めくような満面の笑みを浮かべた。

 俺は、答えを知っていた。なぜって、俺は君のファンだから。

 

 「え、ねぇ、フュージョン好きなの?!」

 

 声が、踊り狂わんばかりに弾んでいる。

 地味にちんまりと隠れるように座っていた彼女とはまったくの別人だ。

 

 「ね、ね、いま何を聴いてるの?」

 

 跳ね上がるような、高いのに丸みのある声。もうすっかり食い気味である。

 完全に君を騙している。ファンがアーティストを騙す構図。

 

 「Stuffっていう70年代に出たアメリカのフュージョンバンド。

  あとは同時代のスティービーをちょっと聴いてる。Sir Dukeの頃のやつね。」


 あぁ、顔が完全に舞い上がった。

 後者はともかく、前者は完全にヒットしたっぽい。

 正解の分かってる恋愛ゲーム状態だ。

 

 「弾ける? ね、弾こうよ一緒に!?」

 

 一応ここで止められるっぽい。

 戸惑った顔をする俺を見て、急に彼女が引っ込んでいった。

 

 「あ……、ご、ごめんねなんか急に。」


 そうだね本当に急だね。君は大物司会者に対してもそんな感じだったね。

 でも、ここまで来ると、完璧に確信せざるを得ない。

 

 佐和田怜那は、あの、今村由香だ。


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