永遠をあなたと歩くために

よる子

永遠をあなたと歩くために

 あたしと会ってくれなくなったら、死んでやるからね。

 わたしと旦那の結婚式の日、すてきな笑顔でわたしを脅していた幼馴染は、先日死んだ。

 わたしが旦那と知り合ったのは実家の家業であるしがない文具屋だった。お駄賃目当てによく店番を買って出ていたわたしは、少ない客のなかに旦那を見つけた。ふたり、さんにん、多くてしちにん。一日にそれくらい来店すればまあまあなこの文具屋に原稿用紙を買いに来ていた旦那は物書きであった。四〇〇字詰め原稿用紙の五十枚入りを頻繁に買いに来ていたから、同い年であることを確認済みのわたしは思わず聞いてしまったことがある。「どうして、もっと枚数が入っている原稿用紙を買わないの?」旦那は外に降り積もる雪みたいに静かに言った。「あなたに会いに来る口実のためですよ」けれどその笑顔はつばきの花を彷彿とさせる可憐さがあった。

 若者が少ないこの町でわたしたちがお付き合いを始めるにはじゅうぶんな出会いと会話だった。ところで幼馴染のひまりはわたしの旦那と会ったことがない。機会がなかったとかわたしが会わせないようにしていたとかそういうことはなくて、ひまりが頑として会いたがらなかったのだ。ひまりはわたしたちの進展する関係に祝福こそすれど旦那個人に対しては憎んですらいたように思う。一度だけわたしは、泥酔したひまりの口から惰性で飛び出す言葉を聞いたことがある。

 あんなぽっと出の男に、あんたをとられるなんて。

 あたしのほうがあいつよりずっと、ずっと先にあんたと出会っていたのに。

 わたしが呆然としている最中ひまりは眠ってしまいそれ以上の言葉は聞けなかった。聞かなくてよかったのかもしれない、翌朝飲み過ぎたと頭を押さえるひまりを見て思った。昨夜泣きそうに言葉を絞り出していたことを覚えていないひまりは水を飲みながらやはりすてきに笑っていた。

 あれよあれよというまに終わってしまった彼女の葬式のあとで、わたしはひとりそんなことを思い出していた。どこで手に入れたのか劇薬を飲んで眠ったように死んでいたらしいひまりの死に顔をわたしは見ていない。だから旦那は今日もわたしのことを心配している。文具屋のレジの前に座ってぼうっとしているわたしの前にことんと湯飲みを置いた。

「ほんとうにひまりさんの顔、見てないの」

「見てない」

「どうして。仲がよかったんでしょう」

「仲がよかったら死に顔を見なきゃいけないの?」

 わたしはどこかで恐れていたのだ、棺桶に身を沈めた彼女の口がわたしにしかわからないくらい薄く開いて、いつもみたいにすてきに笑いだすんじゃないかと。ありえないことだ、彼女は、死んだのだから。

 それにしても嫁の幼馴染に初めて会えたと思ったらそれが死体だなんて、旦那はちょっと不憫だ。

「お別れの言葉もかけてなかったね」

「…………」

「なのにどうして、遺骨はもらったの?」

 わたしの目は少し泳いで、手元のこじんまりした骨壺に落ちた。ご家族、といってもひまりには身内がお兄さんしかいなかったから、わたしはてきぱきと式を進めるその人に頼んだのだ。痩せて小さかったひまりの骨はそれは薄くて脆くて、クッキーみたいに噛み砕けそうだった。お兄さんが骨といっしょにくれた言葉がある。

「……ひまりは、いつもきみを、見ていた」

「お兄さんが言っていたの?」

「うん。ひまりって友だちつくるの下手くそで、わたし以外に友だちって呼べる人がずっといなかった」

「僕と結婚したことでひまりさんを裏切ったと思ってる?せめてもの償いに、遺骨をもらってきた?」

 なんの温度ももたないその言葉はわたしの胸に深く突き刺さったけれど、だからなんだというのだ。わたしは座っていた椅子を引いて立ち上がり旦那を見つめた。

「思うわけない。償いなんて、しない。ひまりはいつだってわたしといたから、これからもそうしたいに決まってるの。ひまりのことはわたしが一番よくわかってる。甘えん坊で他人にも自分にも厳しくて、だから他人と関わるのが下手くそで、わたしがいなかったらきっとずっとひとりぼっちで」

 驕りではない。どうしようもなく事実だった。

「それから、わたしのことが大好きだった」

 旦那を避けレジを出てコピー用紙などが置いてある一角へ向かう。そこにあるだけの原稿用紙の束を抱えてレジを打ち、旦那の心臓にぐっと押し付けた。

「わたしと、あの子の物語を書いてほしい」

 いつの間にか外の風はやみ、仄暗い店内に陽が射しこんでいる。

「どんな話でもかまわない。喜劇でも悲劇でも、なんでもいい。物語のなかでわたしとあの子をずっといっしょにして」

 旦那はすてきに笑って頷いた。ひまりのことでわからないことがあればその骨壺に聞けばいいし、わたしに聞いてもいい。ひまりもわたしも、ちゃんとこたえてあげる。

 原稿用紙を受け取った旦那はしずしずと二階へ上がっていった。わたしと、骨になったひまりはふたりきりで文具屋に漂うほこりっぽい匂いを嗅いでいた。

「ひまりはわたしのせいで死んだんでしょう」

 骨壺はうんともすんとも言わない。

「いつかあなたが、会ってくれなくなったら死んでやるって言ってたのを覚えてる。わたしってひまりのこと殺せるんだと思った。びっくりした。ほんとうに死んだことにはびっくりしなかった。ひまり、わたしが殺したひまり」

 抱きしめた骨壺に笑いかけると、中でかさかさと音がした。ひまりも笑っていた。ひまりが死ぬその日から遡って約一か月間、わたしはひまりと会わなかった。連絡もとらないし顔も合わせないようにしていた。ひとえに、ひまりを殺すために。

 冷たい骨壺を片手に持ってレジを抜ける。外はすっかり明るくなって、初冬の風はゆるゆると枯れ葉を踊らせている。商い中の札をひっくり返してわたしとひまりは歩いた。

 旦那が物語を書き上げたら焼いて煙にしよう。きっと金なんて受け取ってもらえないだろうから、相応の旅行券でもプレゼントしよう。ね、ひまり。

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