第8話
「なんだよ?コンビニ行かねえの?」
「君を褒めるみたいで癪だけど、料理普通においしそうだし、あと単純にそう言う態度でいられたのがムカついた」
こうして、しばらく漫才を繰り広げた末に、紫桜は生市特製の手料理を食べることになった。
意外にも生市の料理は紫桜の口に合い、なんとなくそれに腹が立ったので、いたずらで生市が飲んでいたジンジャーエールとビールを取り換えて結構本気で怒られたりしているうちに食事は終わり、ちゃぶ台を囲む三人にゆったりとした空気が流れた。
生市は、ちゃぶ台の上を片付けはじめ、そんな生市に倣って紫桜も食器の片づけを始めると、残された老人の方は、ちゃぶ台の上で碁盤と碁石を並べて、囲碁の準備をし始めた。
やがて食器の型付けと洗い物を終えた生市が部屋に戻ると、老人の体面に座り、居住まいを正した。
すると、老人は碁盤を前にして不敵な笑みを浮かべた。
「じゃまあ、やるか。オイ、生市。儂は白でいいから、お前は三子置け」
その科白を聞き、紫桜は思わず耳を疑った。
三子を置くというのは、相手に先に自分の石を置かせることを言い、三という数がついている通り、先に石を三つ置かせることを言う。
しかし、囲碁において先に相手に石を置かせることは、相当な実力者でなければ付けられないレベルのハンディキャップであり、それは八目半の縛りよりも遥かに厳しい。
それは現代日本で言う所の、トッププロとアマチュア県代表クラスものレベル差があると言われるほどの差だ。
プロ棋士である自分すらも圧倒的な実力差で打ち破った生市を前にして、それだけの実力差があると暗に言い切る老人に、紫桜は一瞬、正気すらも疑った。
しかし老人はそんな紫桜のことには構わずに、にこにこと笑いながらテレビのリモコンを手にして、テレビ画面を操作した。
「じゃあ、碁を打つ前に、まずは運動神経悪い芸人のDVD流してくれ。この前の運動神経悪い芸人、イン・沖縄アリーナ。愉しみにしてたんだよなあ」
「え?なんでテレビを見ながら碁を打つんですか?」
まるプロ以上の力量を持つ生市を相手にしているとは到底思えない老人の態度に、思わず紫桜が首を傾げると、老人は快活な笑い声をあげた。
「いやいや、お前さんの方こそ何を言っとるのかね?なんでテレビも観ずに碁を打とうとするんだよ?どうせなら楽しいもんは楽しくした方がいいだろ」
老人がそう言うと、準備を追えたらしい生市が「おい、置いたぞ」と声をかけ、そのままなし崩し的に碁が始まった。
テレビを流しながらの対局と言う、紫桜からすれば異例な状況で始まった碁の対局だったが、実際のところ、紫桜からすれば異例というよりも異次元の戦いだった。
老人も生市もテレビから流れる映像に時折り目を奪われては、同じような笑い所で笑い声をあげ、互いにテレビ画面に向かって軽口をたたいており、一見すればそれは単なる家庭の団欒の風景でしかなかった。
その一方で、碁盤の上の並びは一手一手に無駄がなく、美しい。プロの戦いさながらの白と黒の応酬に思わず目を奪われてしまう。
しかしそんな妙手を、二人はテレビの映像の合間合間に打つのだ。恐らくは、考える時間は殆ど一秒もあるかどうか。
余りにもハイレベルの碁の戦いに、むしろ二人よりも紫桜の方が緊張しているほどだ。
だが、そんな二人の間には、圧倒的に実力の差があった。明らかに、老人の方が上である。
あれだけ不利な状況を自分で作りながらも、まるでどういうという事もなく繰り出す一手一手が確実に生市の一手一手を潰していく。
やがて、テレビの映像も終わるころ、二人の戦いは決着した。
テレビ画面にスタッフロールが流れるとともに、生市は「投了だ」と言いながら畳の上に寝っ転がった。
^そう言う生市を見て、老人は如何にも満足げな笑みを浮かべると、腹に手を当てながら言った。
「あー。笑ったし、碁は打ったしで腹減った。なな、ピザ頼まない?」
あまりにあっけらかんとそう言う老人の言葉に、思わず生市は呆れかえりながら起き上がった。
「なんでだよ。さっき晩飯を平らげたばかりだろうがジジイ、ボケたのか?」
「失礼だな。けち臭いこと言うなよ。なあ、紫桜くん。君もあれだけじゃ足りんだろう?」
「ええと、その、そうですね……。夜中にあんまりたくさん食べすぎるのは、単純に身体に悪いと思うので、やめた方がいいかな……と、思います」
「ええ?君まだ中学生だろ?そんなに飯食わないで大丈夫なの?やたら細っいし、もうちょっと太らないとダメだよ?」
歯切れ悪くそう言う紫桜にそう言う老人に対して、生市は鼻で笑いながらちゃぶ台の上のお茶を啜った。
「いや、普通はこんな夜中に飯を食わねえからな?やたらと飯を食うジジイの方が頭おかしいんだよ」
「んだとテメエ!さっきから聞いてりゃあ、老人に対する敬意ってもんを知らねえのかよ?」
「そりゃあ知ってますとも、アルファベットのジェイの後の文字だろ?」
「そりゃケイだろ。全く、ああ言えばこう言う……。クソガキがよう」
「誰がクソガキだ、クソジジイ」
「クソジジイとはなんだ、クソガキ!」
いつの間にやら口げんかを始めた二人は、すっかりと一触即発の空気で睨み合っていたが、そんな二人のやり取りを眺めていた紫桜は、ややあって二人の喧嘩に割って入るように声を上げた。
「あの!すみません。おじいさんは何者です、か?」
「あ?何だ?今更?」
「すみません……。ただ、どうしても気になってしまいまして。その、僕にとっては亘、……生市くんは、囲碁の棋士として凄まじく強いと思うんですけど、おじいさんの方はその、そんな生市君よりも強いようにお見受けしたので、一体何ものかな……と、思いまして」
「あれ?そういや自己紹介してなかったっけ?じゃあ今した方がいいな。儂、南斗の神です。よろしくよろしく」
「あ、はい。よろしくお願いします。……え?」
余りにもあっさりと、自ら髪を名乗る老人に、思わず紫桜は目を天にして固まった。
すると、そんな紫桜の姿を見て、自称南斗の神は軽く笑い声を上げた。
「なんじゃい。儂が神と名乗ったら、なんかおかしいのかいな?」
「そりゃな。自分で神となる名乗る奴にはロクな奴がいねえからな」
生市の暴言まがいの軽口を聞き、南斗の神は、違いない。と苦笑する。
そんな二人のやり取りを見て、漸く頭が動き始めた。
「いや……、いやいや。そんなバカなことがありますか!?僕は神への儀式として碁を打つって聞いたのに!こんな趣味の悪いお遊びみたいなこと言われて、納得できるわけないですよ!」
思わず二人に怒鳴り声を上げた紫桜だったが、そんな紫桜の言葉を聞いた生市は、皮肉を一つ返しただけだった。
「するってええと、立花。お前は今俺とこのクソジジイが打った碁は、プロのお前から見てほんのお遊び程度のレベルの低い一局だったのかい?」
その言葉に、紫桜は何も言い返せずに、言葉に詰まって下を向いた。
紫桜が生市の言葉に黙りこくっていると、不意に南斗の神は快活な笑い声を一つ上げて、茶目っ気のある笑みを浮かべた。
「紫桜くん。君には儂がどう見える?」
「どうって、……ただの老人に見えます。ジーンズに黒いTシャツを着た、ごく普通の老人に」
「そうだ。それが全てだ。君がそれを崇めるならば、神となり、崇めなければ、ただそれだけの話だ。亘の家に伝わる儀式などそう言うものさ」
そう言うと、南斗の神はちゃぶ台の上にあるビールを手にした。
「今君が見たもの、体験したものは、確かに亘家に伝わる儀式であり、神に捧げる儀式である。しかし、それは亘家の一族が崇めることで神への儀式になっている。君にとっては単なる碁の一局に過ぎなかった。ただそれだけのことだ。もしも仮に、君が脳裏に思い描くような儀式を本当に行ったとして、君はそれを神に捧げる儀式だと納得したか?あるいは、君はそれを目撃したとして、神を信じたか?」
「それは……」
思わず口ごもる紫桜を見て、南斗の神は紫桜をからかうような、あるいはイタズラ心を刺激されたような、不思議な笑みを浮かべながら、手にした缶ビールを振って見せた。
どうやら中身はまだ半分ほど残っているらしく、缶ビールからはちゃぷちゃぷと音がした。
「無論、儂とて神のはしくれだからよ、奇跡に似たことくらいなら起こせるさ。だが、それは君の眼から見て、奇術手妻の類と何が違うんだい?」
そうして、南斗の神はそう言うと、手にしたビールの缶をひっくり返して、中身をガラスのコップに注ぎ始めた。
すると不思議なことに、アルミ缶の中からは際限なくビールがガラスのコップに注がれ続け、一方のガラスのコップの方にも、ビールは半分ほどしか溜まらないまま、延々とビールが注がれ続けていた。
思わず、紫桜がそんなちょっとした不思議な光景に目を奪われていると、南斗の神は、今度は得意げにウインクをすると、そのままアルミ缶から手を離した。
すると、アルミ缶は空中で静止して、延々とビールをコップの中に注ぎ続けるが、コップにビールが溜まることの無い奇妙な状況が維持される奇妙な光景が出来上がった。
特に何の前触れもなく目の前で起こる奇妙な現象に、紫桜が思わず目を見張ると、そんな紫桜に南斗の神が声をかけた。
「紫桜くん。これを神の奇跡と言われて、君は納得するか?それとも、種と仕掛けがあると思うのかね?」
宙に浮かびながら延々とビールを流し続けるアルミ缶を前に、南斗の神は、今までの快活な笑いではなく、どこか紫桜を試すような意地の悪い笑みを浮かべながらそう言った。
しかし紫桜は、そんな南斗の神に言い返す言葉もなく、ただ茫然と眺めることしかできなかった。
すると、そんな紫桜を見つめる南斗の神の姿が透けはじめ、今度こそ紫桜は驚愕の余りにその場に目を剥いた。
「そういうものだ。人と言うのはな。あるいは、神というものはな。まあ、ともかく今夜は楽しかったよ。久しぶりに、珍客ありの碁というものも良いものだった」
そう言い残して、南斗の神は空気に溶けるように姿を消し、それと同時にアルミ缶はビールをぶちまけながらちゃぶ台の上に転がった。
「何だか、神様にあったって言うより、狐につままれたみたいだ。」
思わず呟くと、それを聞いていた生市が笑った。
「はは。それ今度会った時にあの爺さんに言ってやれよ。それだけで喜ぶぜ?」
こうして、その夜の一局は終わった。
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