第4話
すると、そんな紫桜の言葉に生市よりも先に、生市と対局していた紫の方が嬉しそうに声を上げた。
「やったじゃん、ショーイチ。プロが相手してくれるってよ。もしもアンタが勝ったらそのままプロになれたりするんじゃない?」
「やかましい。んなわけあるかい」
夫婦漫才よろしく、紫の額に軽くチョップを決めた生市は、軽く右手を振って紫桜の誘いを断った。
「悪いけど、せっかくのお誘いだが断らせていただくよ。別に俺は好きで碁を打ってるわけじゃねえから、別にプロと戦う事に意味を見出せない。ま、それ以前に今は此奴と対局中だ。忘れものは届けてくれてありがとう」
生市はチョップを決められて不機嫌そうな顔をした紫を顎で示しながらそう言うと、話を切り上げるように詰碁の本を机の上に放り投げた。
すると、机の上に放り投げられたその本を紫桜は手に取り、中身をパラパラとめくりながら生市に話しかけた。
「この本、僕も持っている。プロでも解くのが難しい、かなりレベルの高い詰碁の本だ。何問かは僕も間違えた記憶がある。でも、君の書き込みには、間違いを訂正した痕跡がなかった。君は、この本に書かれている問題を一問も間違えずに解いたんだろう?」
「なるほど。そう言う見方もあるな。けど残念。これは答えを見ながら解いたんだよ。だから当然、全問正解するわけだ」
紫桜からの質問に間髪を入れずそう笑いながら言う生市だったが、紫桜は「いいや、それはあり得ない」と、すぐさまに生市の言葉を否定すると、手にした詰碁の本のあるページを開いて、それを生市の目の前に突き出した。
「この本の解答集には、一問だけ誤答があるってことで有名なんだ。僕が今開いているこのページだよ。もしも君が本当に解答集を見ながら解いたんなら、その部分も誤答になるはずだ。でも、そうじゃなかった。全ての問題が、完璧なまでに正解だった」
「そうかい。じゃあ、俺が詰碁の解答を間違えたんだな。まさか間違えた答えが当たるとは、怪我の功名だな」
肩をすくめながらそう言う生市に、紫桜は思わず声を荒らげて問い詰めた。
「それこそあり得ない。おかしいだろう。プロでも間違えるほど難しい問題を解ける人間が、最後の最後で間違うなんて」
「別におかしくはないだろう。プロでも間違えるんなら、プロでもない人間ならなおさら間違えるさ」
「じゃあ、君はこの本の問題を全問正解したのは、あくまでも偶然だって言うのか?」
「そうだよ。詰碁の問題を正解見ながら解いていって、最後の最後で間違えた。そしたらそれがたまたま正解だった。偶然としちゃあ出来すぎだろうが、別に何もおかしいところはないだろう?」
そう言うと、生市は意地の悪い笑みを浮かべながら紫桜を見上げた。
「それとも何かい?立花は俺がプロ棋士よりも強いとでも、そう言いたいのか?」
まるで挑発めいた生市からの言葉に、紫桜はしばらく黙り込むと、悔しそうに「ああ」と頷いた。
「そう思うよ。多分、君はプロ棋士よりも強い。少なくとも、僕が勝てるかどうかわからない位には」
すると、生市は紫桜から飛びだした意外な返答に目を丸くして驚くと、くすくすと如何にも性格の悪そうな笑い声をあげて紫桜を見た。
「意外だな。プロがそこまで高く俺を買ってくれるとは思わなかった。今の今までド素人の碁打ちに何の興味も示さなかったのに、今日になってそこまで執心するとはな。どんな気持ち悪い魔法をかけられたんだ?」
そう言われた紫桜は、一瞬、悔しそうに唇を噛みしめると、すぐに生市の顔を睨みつけながら答えた。
「そうだね。君の言う通りだ。勝手なことを言っている自覚はある。でも、少なくとも、君が打っている碁を見れば、君がプロに比肩するレベルだというのはわかる。そう言う相手を前にして、何も見なかったことにはできない」
紫桜の言葉に生市は目の前の碁盤に視線を落とすと、あー……と声を上げながら額を抑えた。
「なるほどな。プロ棋士ってのは随分と目端が利くんだな。だが何度も言うが、俺は囲碁にも棋士にも興味はない。悪いがここでこうしているだけ時間の無駄だよ」
「ふざけるな!なら君は一体なぜ碁を打つんだ?なぜそこまで実力を隠すんだ?それだけの実力のある棋士なのに、なぜ高みを目指さないんだ!」
「そんなもん個人の事情以上の理由はねえよ。それ以上首つっこまれても迷惑なだけだ。プロってのは、そこまで他人の生活をどうにかできるほど偉い存在なのかよ」
二人とも思わぬ口論に熱くなり、今にも互いに手が出そうになったその時だった。
「投了。私の負けね」
不意に、今まで生市と紫桜のやり取りを見ていた紫が声を上げて席を立った。
「投了、投了。私が投了するから、ショーイチは立花君と一局打てばいいじゃない。せっかくプロがあんたの実力をそこまで買ってくれてるんだし、そんな意地張ることは無いでしょ?私との対局なら、好きな時にいつでもできるんだし」
「あ?お前なあ。まだ勝負もついていないのに」
「別に碁が好きなわけじゃないんだから、私との勝負がどうなろうがどうでもいいでしょ。それとも何?やっぱり私みたいな美少女相手にはとことんまで勝負したいの?」
髪を梳きながらいかにも男を誘うような態度で言う紫の言葉に、生市は鋭く舌打ちをかますと、碁盤を片付けながら紫桜に向き直った。
「いいぜ、やろう。ただし一局だけな」
「ちょっと。その態度何よ。ぶっ飛ばされたいの?」
「別にいいだろ。お前がそこまで言うから、いうこと聞いただけじゃねえか。何か悪いのか?」
「態度がムカつくって言ってんのよ、マジでアンタは本当にもー……。ま、いいわ。そんじゃ立花君。ここ座って座って」
紫はふてぶてしい態度の生市に舌打ちをしながら紫桜に向き直ると、今まで自分が座っていた席にやや強引に座らせた。
自分の為にわざわざ身を引いた紫に、紫桜はごめんと謝りながら腰を下ろすと、改めて生市と向き直った。
こうして、生市を正面から見据えるのは初めてだったが、紫桜は驚くほど印象の残らない顔つきに思わず驚いてしまった。
今まで生市の面倒くさがりな態度とやる気のない口調から、なんとなく目つきの鋭い不良少年のような印象を抱いていた。
しかし、いざ実際に目の前にした生市は、これと言った特徴のない顔立ちをした顔をしていた。
ぱっと見の印象では童顔のようにも見えるが、精悍な青年然とした顔のようにも見えるし、女性的な印象もある。年齢も若いという以外はわからず、大学生のようにも小学生のようにも見える。
そうして、年齢も性別もわからないその面妖な顔に見入っていると、不意に生市は悪魔じみた笑顔をニヤリと浮かべた。
「どうした?俺の顔がそんなに珍しいのか?それとも美形になればなるほど男に興味がわくのかよ?悪いけどそういう話なら俺は興味ないから、他を当たってくんない?」
「違うよ!別に僕はそう言うじゃない!」
思わぬ口撃に紫桜は思わず顔を真っ赤にして生市の言葉を否定すると、生市は「そうかよ」と、にやにやした笑みを浮かべるばかりで、紫桜は猶更に顔を赤くしながら怒鳴りかけた。
すると、そんな二人の間に割って入るように、紫が両手を叩きながら声を上げた。
「はいはい。そこまで、そこのバカ。これから対局する相手を必要以上に煽らない。立花くんもこのバカの言う事に一々まともに取り合ってたら、身が持たないよ」
そう言いながら二人の間に再び割って入ると、軽く咳払いして丸眼鏡をかけた少女の傍に立ち紫桜に向き直った。
「じゃ、プロと対戦するってことで一応ここは自己紹介しとくわね。私たちは
「おい。普通こういう時、いいとこだけ言うもんだろ。何悪いところを並べてるんだよ?」
紫桜に紹介した若葉のことを抱きしめながら、流れるように罵倒の言葉を並べる紫に、思わず生市が抗議すると、紫はそんな生市ににっこり笑って頷いた。
「分かったわ。ここにいる単なるバカが亘・生市ね」
「俺のいいところってそこかよ!」
「むしろあんたの碁の強さって嫌味だから。あれだけ強いくせにプロに興味ないってだけで、碁でプロを目指す人からしたら噴飯ものよ? あんたからバカさ加減を抜いたら人間の搾りかすしか残らないからね?若葉ちゃんもそう思うわよねー?」
「…………ごめんなさいノーコメントで」
不意に話の矛先を向けられた若葉がそう言うと、生市は忌々し気に舌打ちをして
「わーったよ。じゃあもうそれでいいよ。性格悪くて悪うござんしたね。とっとと碁を打つぞ。石を握るのは俺でいいか?」
「ああ。それは構わない。ただ、一応僕も自己紹介させてもらう。改めて、立花・紫桜です。本日は対局よろしくお願いします」
そう言って紫桜が深々と頭を下げると、生市は鼻を鳴らして無造作に白石を握り掴み、紫桜は静かに黒石を二つ碁盤の上に置いた。
ポイント評価、ブックマーク登録お願いします。
できれば感想などもあれば、今後のストーリー作りに参考になります。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます