6章 月夜見祭に向けて
[6-1]うきうきの朝とバス登校
窓を開けると突き抜けるような青い空が見えた。まばらに浮かぶ雲がおさかなみたいで可愛い。
いつも憂鬱だった朝がこんなに爽やかでうきうきしちゃう気分になるなんて。
アルバくんのおかげだわ。
高校生の朝は早い。エプロンをつけ、台所に立ち、時計を気にしながらコンロに火をつける。
フライパンからじゅうじゅうと焼ける音がしてきた。
火の強さに気をつけながら、フライ返しで黄色いかたまりを端っこに寄せていく。
今日の朝ごはんはオムレツと生野菜サラダ。お弁当はオムライスだ。
作り方は簡単。チキンライスの上に卵と牛乳、マヨネーズを混ぜた小さなオムレツをのせるだけ。あまり手間がかからない割には卵焼きがふわふわしてておいしくって、お気に入りな定番メニューだったりする。
フライパンの隣で火にかけていたお鍋もぐつぐつと音を立てていた。うん、もうそろそろいいかもしれない。
蓋を開けると熱のこもった湯気と一緒に優しい香りがふわりと立ち上った。キャベツや人参を入れたお野菜たっぷりのコンソメスープ。かき混ぜると、黄緑色の葉っぱはいい感じに透明感のある色になっていた。
最近はほんとにいい夢を見ることが多くてしあわせ。特に今朝に見た夢はすごくよかった。だからなのかな。こんなに心が弾むのは。
黒のジャケットとスキニージーンズを着込んだアルバくんと二人、海の浜辺を散歩する夢だった。
手をつないで歩くだけ。触れ合うのは指先だけだったけど、すごくしあわせな気持ちになった。
昨日は先生の旦那さんがカラス天狗だったり、アルバくんと
帰り着いてからのアルバくんの顔は晴れ晴れとしていたし、機嫌がよかった。悩みがなくなったみたい。
浮かれてばかりではいけないってわかってる。
けれど
もうこわいものなんてないわ。
お気に入りの曲を口ずさみながら、オーブントースターからこんがりと焼けた食パンを取り出した。
瞬間湯沸かし器に水を注いでセットした、その頃合いにアルバくんが台所へ顔を見せてくれた。
「朝から元気だな、
不思議そうに藍の
真白い頭からは髪と同じ色合いの三角耳が生えている。時たま彼の背後で揺れる毛長の尻尾。服装はもちろん白を基調とする和装で――。
普段通りなその姿を見た瞬間、ハイテンションだったわたしの気分は急降下した。
「……別に、いつも通りだし」
「急にどうした!?」
一気に声のトーンを下げて、目をそらしたらアルバくんが焦ったような声をあげた。
彼を困らせるのは不本意だけれど、わたしだっていつもそんないい子じゃない。機嫌が悪くなる時だってある。
「おれ、何かしたか?」
アルバくんはそばまで来て、顔をのぞき込んできた。本気でわからないって感じだ。
だからわたしはぶつぶつと不満に思っていることをそのまま言葉にした。
「だって、アルバくん。昨日はしばらく幻術解かないでって言ったのに、
「――あ」
口を開けてアルバくんははっとした表情になった。思い出してくれたみたい。
「ごめん、悪かったよ。
「え!?」
見上げれば、アルバくんが珍しく眉を下げて困惑したような顔になっている。
あれ、おかしいわ。わたしがさっき言ったことって、裏を返せば普段のアルバくん――あやかしの彼が好きじゃないみたいに聞こえる、かも。
違う、そうじゃないのっ。
「だ、だって、和服着てないアルバくんがすごく新鮮だったんだもん。それに、他の人に見えるわけでしょう? 二人で並んでると普通の恋人同士みたいで、うれしくって」
――って、なんでこんなこと言ってんのわたし!
恥ずかしくって、顔に熱が集まってくる。ほっぺたを触るとまるで顔が火照ったみたいに熱かった。
アルバくんを見ると、彼は目を丸くしていた。
けど、すぐにその表情が溶ける。機嫌よさげに彼は唇を引き上げた。
「それなら、今日もあの格好で隣を歩いてやろうか?」
「——へ?」
「一緒に学校へ行こうぜ」
白い歯を見せ、アルバくんは
ほんとうに最近はいいことばかり起きる。また夢が現実になっちゃう。
もちろんわたしは全力でうなずいたのだった。
☆ ★ ☆
小さく揺れながら、わたしとアルバくんを乗せたバスは進んでいく。
窓から流れる景色は白い輝きを放つ真っ青な海。風がないせいか、今日は特に穏やかだった。
その隣、黒のジャケットと紺のスキニージーンズ姿になったアルバくんは、真っ白な頭を抱え撃沈していた。
「ねえ。アルバくん、元気だしてよぅ」
丸まった背中をそうっと触ってみたけど、ぴくりとも動かなかった。あきらめずに何度か繰り返していると、アルバくんはようやく顔を上げた。
「
まるでこの世の終わりみたいな顔で、彼はそう言った。
そうなんだよね。わたしたち人間が生活するにはお金が必要だ。当然、バスを乗るためにはバス賃だって払わなくちゃいけない。
わたしにとっては当たり前のことなのだけど、アルバくんはすっかり忘れていたらしい。結局、アルバくんの分のお金はわたしが払うことになったのだけど、納得はしても罪悪感は抜けないみたい。
「気にしたって仕方ないじゃない。アルバくんはあやかしだから、わたしたちと違ってお金は必要ではないんだし」
「言ってることは分かる。だけどな、おれにだってプライドってもんがあるんだよ!」
「でもお金は働かないと手が入らないもの」
そう言うと、アルバくんは口をつぐんでしまった。
生活するためにはお金は必要だ。わたしだってそう。
わたしの生活費は海外にいるお父さんが仕送りしてくれているから、何の問題もなく高校に通えているわけで。
「そりゃそうだよな」
ついに観念したのかも。ため息混じりにアルバくんは座席に背中をあずけてそう言った。
「
「んー、どうだろな。まさか先生だけ働かせて生活してるわけねえだろ。そもそも鴉天狗のやつらは家族で助け合う性質を持ってる。あの
「そうだよねぇ」
「そういえば、先生の用事って何なんだろうって昨日考えていたの」
「何かわかったのか?」
「うん! 昨日、生徒手帳をなんとなく眺めてたら思い出したのよ」
眠る前まで
音楽やピアノで連想するのは、たいてい秋に予定している学校行事だ。わたしの頭ではそれくらいしか思い付かなかった。
秋は楽しみごとが多いの。
慌ただしく始まる実力考査や体育祭は憂鬱でしかないけれど。がんばってそれらを乗り切ったら、一番楽しみな芸術の秋にふさわしいイベント行事が待っている。
「もうすぐ
「は? 祭り?」
きょとんとして目を丸くするアルバくん。彼にとっては聞き慣れないであろう単語をわかりやすいように説明するために少し考えてから、わたしはゆっくりと話した。
「十月になったらね、二日間の高校の文化祭があるの。通称、
アルバくんにも先生がなにを頼みたいかわかったらしい。はっとした顔のあと、声をあげた。
「なるほど、合唱か!」
「うん。きっとうちのクラス、コーラス合唱の発表が当たってるんじゃないかと思うのよ。たぶん先生はわたしに合唱のピアノ演奏を頼みたいんじゃないかしら」
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