[5-10 reverse side]夢喰いあやかしは帰り道にキスをする

「なに人の家の前で刀振り回してんのかな、きみたち」


 紫苑しおんと家の中に入ってから、おれは千秋と一緒に客用座布団の上に正座をする羽目になっていた。

 顔見知りになってからの短い間で知ったことだが、雪火せっかは怒る時に声を荒げることはない。穏やかな声音を保ったまま、いつもより十割増しな満面の笑みを浮かべるのだ。それが逆に怖い、と思う。


 診察はすでに終わったらしく、紫苑しおんの担任教師が小夜さよを膝の上に抱いていた。腹を痛がっていたからす天狗の子供は静かなもので、どういうわけかあんぱんを夢中で食べている。そんな娘の様子を見ながら、いつの間にか人間に化けた久遠くおんは時折グラスに注いだ麦茶を飲ませてやっていた。


 喧嘩を売ったわけではないものの、安い挑発に乗ったのは事実だ。

 紫苑しおんとの関係を否定もせず、当たり前のような顔であいつの隣にいる千秋が面白くなかったのも事実。なぜか、こいつにだけは負けたくないと思ってしまった。


 だからここは、素直に謝っておくことにする。


「ごめん」

「……つい、頭に血が上って」


 千秋のやつ、おれに便乗して謝りやがった。

 いや、さっきのは謝罪なのか? ただの言い訳のようにも思えるんだが。お前、どんだけ不器用なんだ。

 まあ、別に構わねえけど。


「千秋はちゃんと反省してね。診察を手伝うって言うから連れてきたのに、アルバさんと喧嘩するなんてらしくないでしょ。あやかしを害さないって約束を破ろうとしたわけじゃないんだろう?」

「別にそんなつもりは、なかったんだが……」


 歯切れの悪い言葉を残し、千秋は気まずそうにくれないの瞳を雪火せっかからそらした。居心地の悪そうなその顔を見て、ふと疑問に思う。

 

 そういえば、どうしてこいつはおれに喧嘩をふっかけたりしたんだろうか。

 初めは自分の身に降りかかっている現実を直視しようとしないおれに対して警告と助言を与えているかのような印象だった。なのに、いつの間にか刀を交える展開になったんだよな。


 久遠くおんの言葉によると、千秋はまだ未熟で鬼の血を完全には制御できていないらしい。


 今思い返すと、刃を交えるたびにくれないの瞳が燃え上がるように猛り、千秋は怒りに身を任せていたような気がする。妙に沸点が低いのはそのせいなんだろうか。

 今日はなんだっておれに怒りを直接ぶつけるような真似をしたんだか。


「まあ、今日はもういいや。大した収穫はなかったのは残念だけど、久遠くおんさんがぬえについて色々教えてくれそうだから。もう夕方になるし、そろそろ解散しようか」


 ため息まじりに雪火せっかがそう締めくくったのをきっかけに解散の流れになった。

 自分の妻から娘を引き受け、久遠くおんは腕に抱き上げたまま立ち上がる。襖に触れる寸前で振り返り、口もとに笑みを浮かべながら久遠くおんは声をかけてきた。


紫苑しおん、じゃあまた明日にでもピアノを聞かせろよ」


 ごつい銀の装飾をじゃらじゃらつけた片手を上げ、機嫌のよさそうな顔で久遠くおんは笑っていた。

 隣にいた紫苑しおんの担任教師は何のことだと言わんばかりな顔をしている。

 そろそろ彼女にも、鵺のこととかあやかし関連のことを誰かが説明してやった方がいいんじゃねえかな。完全に一人蚊帳の外だし、不思議そうな顔で首を傾げてんじゃねえか。


「ピアノ? あっ、そうだったわね。三重野みえのさん、ピアノが弾けるのなら明日の放課後音楽室にいらっしゃい。頼みたいことがあるのよ」


 ぽんと手を合わせて先生は機嫌よくそう言った。どういうわけか彼女にとってはいいタイミングだったようだ。ピアノに関係することなんだろうか。


「頼みたいことですか?」

「ええ、そうよ。明日になればわかるわ。楽しみにしててね。……雨潮うしおくんには大きな試練になっちゃうかもしれないけどね」

「……は?」


 低い声を上げたのはもちろん千秋だ。

 しかし先生はどこ吹く風で、久遠くおんと共にさっさと部屋から出て行ってしまった。


「ちょっと待て。それはどういうことなんだっ」


 どうやら千秋には心当たりがあったらしい。珍しく青ざめた顔をしたあと、血相を変えて出て行ってしまった。あのまま久遠くおんと先生を追いかけるつもりなんだろうか。

 一体、どうしたっていうんだ、あいつ。


 紫苑しおんの顔を見ても首を傾げているだけだった。思い当たることはないらしい。

 だが決まってこういう時、一番鋭く察するのは雪火せっかだったりする。


「あー、そっか。もうそんな時期だもんねぇ」

雪火せっかはなにか知ってるの?」

「うん。まあ、なんとなく予想だけは。ほら、千秋って音楽の成績だけは悪いからさ」


 そういえば紫苑しおんの担任教師って受け持ちが音楽だったっけ。

 というか、まだ転校してきてから一ヶ月も経ってねえのに、なんで雪火せっかは千秋の苦手教科を把握してるんだ。


「音楽の成績とわたしのピアノにどういう関係があるの?」

「明日になればきっとわかるよ」


 結局、雪火せっかはおれと紫苑しおんに教える気はないらしく、そう話を締めくくった。

 たぶん自分の口から告げる気はないんだろう。

 余裕で構えてるってことはそれほど重大なことでもないんだろうし、あまり心配しなくても大丈夫そうだ。


 時刻はもう夕方に迫りつつあるらしく、空が赤く染まり始めている。逢魔おうまが時がくる前に帰った方がいいだろう。

 紫苑しおんも同じことを思っていたのか、声をかけてきた。


「わたしたちも帰ろうか、アルバくん」

「……そうだな」




 ☆ ★ ☆




 外に出ると真っ青だった空はすっかりあかね色に変わっていた。

 紫苑しおんと二人、隣に並んで田んぼのあぜ道を歩く。背が高くなったきんいろの稲穂の実はふくらんでいて、そろそろ収穫も近そうだ。わずかな風にあおられて、さわさわと音が鳴らしている。

 あやかしに関する件でよく雪火せっかの家に寄ることが多いせいか、この田畑のあぜ道もすっかり通い慣れてしまった。

 隣を歩く紫苑しおんの両手には天狗の羽団扇はうちわがしっかりと握られている。結局、久遠くおんは快く団扇を貸してくれたんだよな。身の危険を守るにはこれ以上ない道具だからって。


 半月前、おれは今歩いている同じ場所で、思いきって紫苑しおんに告白した。あの時は夕方じゃなくすっかりあたりが暗くなった夜だった。

 いつになく紫苑しおんが不安そうで、泣きそうで。あのまま放っておくと消えてしまいそうだった。


 紫苑しおんは気持ちにこたえてくれた。だから、出会ったばかりのように何の進歩もないのはちょっと、いやかなり嫌だった。

 両手が塞がっているからって、隣に並んで歩くだけなのは面白くない。


「ほら、手つなごうぜ」


 手を差し出すと、紫苑しおんは薄紫色の瞳を瞬かせ、最後にはこくりと頷いてくれた。


「うん」


 左手で団扇を持ち直し、紫苑しおんは右手でおれの手に触れてくれた。指を絡ませながら握り返すとあたたかかった。

 夕焼け色の光が紫苑しおんの白い頬を照らしている。はにかむように笑った顔は、素直に可愛いと思う。


 今日一日を振り返り、あの天狗の羽団扇を見るまで取っていた自分の行動には嫌になった。

 幻術で人間に化けたことはちっとも恥じてはいないが。あれは復讐で、作戦だし。


 おれはあやかしだから、自分の力だけで紫苑しおんを守らなくちゃいけない。そう思っていたんだ。実力が及ばねえのに、千秋に虚勢を張って意地になってたのも、理由の半分は一人だけでなんとかしようとしたせい。

 人間にしてもあやかしにしても、一人でできることなんて高が知れている。


 昼間に会った時、九尾はおれに言った。

 今のあいつには強い制限が課されていて、人間――特に人間の女に化けることがらしい。ある条件を達成できれば制限が解除できるって話だったっけ。

 どういう経緯でそうなったのかはよくわからねえけど、あんな常人離れした妖力を持つ九尾でさえできることとできないことがあるんだ。

 初めからわかりきっていたことだったのに、すっかり忘れちまっていた。


 自分の殻に閉じこもって、一人相撲したって大切なひとを守れやしない。

 おれはばくだ。獏は獏だけの特別な力がある。最近の紫苑しおんは悪夢も見なくなったからあまりおれの力を必要としなくなったけど。それでもまたいつか、必要とする時がくるかもしれない。

 おれにはおれだけの戦い方があるはずだ。


「アルバくん、黙りこくっちゃってどうしたの?」


 ふいに腕を引っ張られた。

 急に立ち止まった紫苑しおんが、瞳を大きく揺らして見上げてくる。またやってしまった。さっきの千秋との喧嘩といい今といい、また余計な心配をかけてしまったのかもしれない。


 握っていた手を離す。細い両肩にそっと手を置いて、おれは紫苑しおんの顔をのぞき込んだ。


紫苑しおん、心配かけて悪かった」

「ううん、いいの。心配くらいさせて?」


 橙色の光に照り返されて、白い頬が朱色に染まっているように見えてしまった。

 いつものやわらかい微笑みがこの時ばかりははかなく見えて、わずかに胸が痛む。

 片腕を伸ばして紫苑しおんの身体を引き寄せ、気がつけばおれは唇を重ねていた。

 触れるだけの、子供みたいなキス。一度身体を小さく震わせたものの、紫苑しおんは嫌がる素振りを見せなかった。


 すぐに顔を離すと、紫苑しおんの頬が朱色どころか真っ赤に染まっていた。大きな瞳は揺れてはいなかったが、じっとおれの顔を見ていた。


 たまらず抱きしめたくなったが、この時ばかりは我慢しておく。

 ただでさえ不安定になりやすいっていうのに、ここ最近のおれは自分のことで紫苑しおんを不安にさせてしまっている。ちゃんと大事なことは伝えなくちゃならない。


「いい夢を食えなくなったことを雪火せっかに話そうと思う。今はその場しのぎの方法しか取れねえけど、妖力を蓄える方法考えようと思う。紫苑しおんがもう怖い思いをしないで済むように、おれも方法を考える。絶対に、お前を鵺から守ってやるから」


 たぶん、おれは雪火せっかから色んなことを学ぶべきなんだ。

 雪火せっかはただの人間だっていうのに、意外と手段は選ばないしうまく他人を使うところがある。だからあいつは幼馴染みとして今まで紫苑しおんを守ることができたんだろう。


 もう少し器用に立ち回りたい。力がないなら、せめて他人の力を借りることを覚えなくちゃいけない。


 寿命が尽きるその時まで、紫苑しおんのそばにいるって自分で決めて、約束した。


「だから、ずっとそばにいてくれないか」


 千秋と顔を合わせてから、漠然と不安だった。

 歴史に名を残すほど有名なあやかし九尾の狐に、最強格の鬼の血を継いだ半妖の千秋。ただの獏であるおれなんかとは比べものにならないくらい、実力派のあやかしが紫苑しおんの周りに増えていく。

 あやかしの世界は基本的に弱肉強食だ。自然界ほど殺伐とはしてねえが、弱いあやかしは強いあやかしに従わなくちゃいけない。


 だからおれは、好きな女一人さえ守れない自分は紫苑しおんにふさわしくないんじゃねえかって、柄にもなく考えていたりもした。けど――。


「当たり前じゃない。わたしはアルバくんだから、好きになったんだよ」


 他の誰でもない、紫苑しおんから背中を押されてはもう弱音を吐いてはいられない。


 相好そうごうを崩し、紫苑しおんは大輪の花を咲かせたような笑顔を浮かべた。

 過去に苦しみ悪夢にうなされていたこいつを救おうとしていたおれが、まさか紫苑しおんに直接背中を押される時がくるなんて。


 そう思ったらたまらなく愛おしくなって、おもわずその小さな身体に両腕を回し、抱きしめたのだった。

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