[5-10 reverse side]夢喰いあやかしは帰り道にキスをする
「なに人の家の前で刀振り回してんのかな、きみたち」
顔見知りになってからの短い間で知ったことだが、
診察はすでに終わったらしく、
喧嘩を売ったわけではないものの、安い挑発に乗ったのは事実だ。
だからここは、素直に謝っておくことにする。
「ごめん」
「……つい、頭に血が上って」
千秋のやつ、おれに便乗して謝りやがった。
いや、さっきのは謝罪なのか? ただの言い訳のようにも思えるんだが。お前、どんだけ不器用なんだ。
まあ、別に構わねえけど。
「千秋はちゃんと反省してね。診察を手伝うって言うから連れてきたのに、アルバさんと喧嘩するなんてらしくないでしょ。あやかしを害さないって約束を破ろうとしたわけじゃないんだろう?」
「別にそんなつもりは、なかったんだが……」
歯切れの悪い言葉を残し、千秋は気まずそうに
そういえば、どうしてこいつはおれに喧嘩をふっかけたりしたんだろうか。
初めは自分の身に降りかかっている現実を直視しようとしないおれに対して警告と助言を与えているかのような印象だった。なのに、いつの間にか刀を交える展開になったんだよな。
今思い返すと、刃を交えるたびに
今日はなんだっておれに怒りを直接ぶつけるような真似をしたんだか。
「まあ、今日はもういいや。大した収穫はなかったのは残念だけど、
ため息まじりに
自分の妻から娘を引き受け、
「
ごつい銀の装飾をじゃらじゃらつけた片手を上げ、機嫌のよさそうな顔で
隣にいた
そろそろ彼女にも、鵺のこととかあやかし関連のことを誰かが説明してやった方がいいんじゃねえかな。完全に一人蚊帳の外だし、不思議そうな顔で首を傾げてんじゃねえか。
「ピアノ? あっ、そうだったわね。
ぽんと手を合わせて先生は機嫌よくそう言った。どういうわけか彼女にとってはいいタイミングだったようだ。ピアノに関係することなんだろうか。
「頼みたいことですか?」
「ええ、そうよ。明日になればわかるわ。楽しみにしててね。……
「……は?」
低い声を上げたのはもちろん千秋だ。
しかし先生はどこ吹く風で、
「ちょっと待て。それはどういうことなんだっ」
どうやら千秋には心当たりがあったらしい。珍しく青ざめた顔をしたあと、血相を変えて出て行ってしまった。あのまま
一体、どうしたっていうんだ、あいつ。
だが決まってこういう時、一番鋭く察するのは
「あー、そっか。もうそんな時期だもんねぇ」
「
「うん。まあ、なんとなく予想だけは。ほら、千秋って音楽の成績だけは悪いからさ」
そういえば
というか、まだ転校してきてから一ヶ月も経ってねえのに、なんで
「音楽の成績とわたしのピアノにどういう関係があるの?」
「明日になればきっとわかるよ」
結局、
たぶん自分の口から告げる気はないんだろう。
余裕で構えてるってことはそれほど重大なことでもないんだろうし、あまり心配しなくても大丈夫そうだ。
時刻はもう夕方に迫りつつあるらしく、空が赤く染まり始めている。
「わたしたちも帰ろうか、アルバくん」
「……そうだな」
☆ ★ ☆
外に出ると真っ青だった空はすっかりあかね色に変わっていた。
あやかしに関する件でよく
隣を歩く
半月前、おれは今歩いている同じ場所で、思いきって
いつになく
両手が塞がっているからって、隣に並んで歩くだけなのは面白くない。
「ほら、手つなごうぜ」
手を差し出すと、
「うん」
左手で団扇を持ち直し、
夕焼け色の光が
今日一日を振り返り、あの天狗の羽団扇を見るまで取っていた自分の行動には嫌になった。
幻術で人間に化けたことはちっとも恥じてはいないが。あれは復讐で、作戦だし。
おれはあやかしだから、自分の力だけで
人間にしてもあやかしにしても、一人でできることなんて高が知れている。
昼間に会った時、九尾はおれに言った。
今のあいつには強い制限が課されていて、人間――特に人間の女に化けることができないらしい。ある条件を達成できれば制限が解除できるって話だったっけ。
どういう経緯でそうなったのかはよくわからねえけど、あんな常人離れした妖力を持つ九尾でさえできることとできないことがあるんだ。
初めからわかりきっていたことだったのに、すっかり忘れちまっていた。
自分の殻に閉じこもって、一人相撲したって大切なひとを守れやしない。
おれは
おれにはおれだけの戦い方があるはずだ。
「アルバくん、黙りこくっちゃってどうしたの?」
ふいに腕を引っ張られた。
急に立ち止まった
握っていた手を離す。細い両肩にそっと手を置いて、おれは
「
「ううん、いいの。心配くらいさせて?」
橙色の光に照り返されて、白い頬が朱色に染まっているように見えてしまった。
いつものやわらかい微笑みがこの時ばかりははかなく見えて、わずかに胸が痛む。
片腕を伸ばして
触れるだけの、子供みたいなキス。一度身体を小さく震わせたものの、
すぐに顔を離すと、
たまらず抱きしめたくなったが、この時ばかりは我慢しておく。
ただでさえ不安定になりやすいっていうのに、ここ最近のおれは自分のことで
「いい夢を食えなくなったことを
たぶん、おれは
もう少し器用に立ち回りたい。力がないなら、せめて他人の力を借りることを覚えなくちゃいけない。
寿命が尽きるその時まで、
「だから、ずっとそばにいてくれないか」
千秋と顔を合わせてから、漠然と不安だった。
歴史に名を残すほど有名なあやかし九尾の狐に、最強格の鬼の血を継いだ半妖の千秋。ただの獏であるおれなんかとは比べものにならないくらい、実力派のあやかしが
あやかしの世界は基本的に弱肉強食だ。自然界ほど殺伐とはしてねえが、弱いあやかしは強いあやかしに従わなくちゃいけない。
だからおれは、好きな女一人さえ守れない自分は
「当たり前じゃない。わたしはアルバくんだから、好きになったんだよ」
他の誰でもない、
過去に苦しみ悪夢にうなされていたこいつを救おうとしていたおれが、まさか
そう思ったらたまらなく愛おしくなって、おもわずその小さな身体に両腕を回し、抱きしめたのだった。
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