[3-3]世界中を敵に回しても

 ――あやかしを根絶やしにしてやる。


 聞き間違いでなければ、たしかにそう聞こえた。

 鋭く睨んでくる瞳はアルバくんにまっすぐ向いている。ううん、それよりも。


「アルバくん、雨潮うしおくんと知り合いだったの?」


 迷いなくアルバくんは雨潮うしおくんのことを退魔師だと言っていた。

 教室を覗き見してたとき、彼が驚いた表情をしていたのは雨潮うしおくんがわたしの隣にいたからだったんだわ。


 アルバくんは答えてはくれなかった。

 だけど、苦虫を潰したようなその表情が肯定しているようなものだった。


「半月前、だったか」


 ふいに雨潮うしおくんが口を開く。

 たぬきの子に背を向けたままその場を動かず、彼はわたしたちに向き直った。


山間やまあいの地区で醜い妖怪を見つけた。形がいびつで毛むくじゃらで目玉が半分飛び出ていたそいつは、雪のように真っ白な体毛をしていた」

「……えっ」


 何の話をしているの。


「何日も食事をしていないのか、そいつはひどく飢えていた」


 夏休みの終わり。蝉の鳴き声がまだ騒がしい季節だった。

 雪火せっかの声がよみがえる。


 ――力が尽きるほどどうして夢を食べていなかったの?


 あの時、アルバくんはなんて答えたんだっけ。

 そうだ。なにも答えなかったんだわ。瞳をさまよわせるだけで、わたしにも雪火せっかにも、なにも教えてはくれなかった。


 雨潮うしおくんの言葉は続く。


「妖怪は常に俺たち人間に危害を加える。そればかりか不幸のどん底に落として、人生を台無しにする。だから、俺は妖怪を殺す。結果的には逃げられてしまったんだけどな」

「それが、アルバくんなの?」


 顔を上げる。氷のような目をした雨潮うしおくんから目をそらさないように、心に決める。


 どうして気付かなかったんだろう。

 退魔師のことが話題に上がった時、アルバくんはいつだって反応していた。目に見えてわかりやすかったはずなのに。


 ばくは実体があるけど決まった形を保てるわけじゃない。わたしたち人間が思い描いたイメージの姿になってしまう。

 これはアルバくん本人が言った言葉だ。

 彼が猫の姿なのは、わたしがアルバくんを見つけた時猫だと思い込んでしまったから。

 それなら、わたしと出会う前、雨潮うしおくんが思い描く獏は醜い姿だったのかもしれない。


「アルバ?」


 ここに来て、雨潮うしおくんの表情が初めて崩れた。銀の眉を寄せ、怪訝な顔でわたしを見る。


「わたしがつけた名前よ」

「あやかしに名前をつけたのか。お前、どうかしてるんじゃないのか。そいつは人外、俺たち人間の敵で害にしかならない、化け物なんだぞ」


 苛立たしげに、雨潮うしおくんは吐き捨てるように言った。


「そんなことないわ。アルバくんはわたしを助けてくれたもの。あやかしは敵なんかじゃない。危害を加えることなんて――、」


 刹那。

 目の前が真っ暗になる。


 ――本当に?


 耳もとでささやく声が聞こえる。


 ――だったら、どうして今も、消えてしまった傷がうずくんだろうね。


「危害を、くわえること、なんて……」


 どうしよう、否定できない。

 血の気がさあって下がっていくのがわかった。不安で不安で仕方なくて、胸のあたりで手を強く握りしめる。

 三対のかぎ爪をもった毛むくじゃらの妖怪。爛々らんらんと光る赤い目はわたしを獲物と定めていた。あれもあやかしだった。

 襲われたのはたった一度。あの一度きりの傷みが今も消えない傷になっている。


『あう。ボク、もうだめ……』


 頭に直接、か細い声が聞こえてくる。たぬきの子の声だわ。


「紫苑、お前は豆狸まめだぬきを助けろ」


 手首をつかまれ、引き寄せられる。

 アルバくんの顔が間近に迫る。つった藍色の瞳には目を見開いたわたしが映っていた。


「怖いよな。お前にとってあやかしはあまり人間と変わりない隣人だと思ってたのに、突然牙を向いて襲ってきたんだ。怖くて当たり前だ。だけどな紫苑しおん、これだけは覚えておいて欲しい」


 一瞬だけ。一秒にも満たない短い間、アルバくんの顔が痛そうに歪んだ。

 すぐに精悍な顔つきに戻る。


「人間にもお前や雪火せっかのように心の優しいやつもいれば、悪意を持つやつもいる。それと同じように、あやかしにだって、人間に寄り添おうとするやつもいれば悪意を持つやつもいるんだ。九尾きゅうびを見てればわかるだろ」

「……うん」


 そうだ、そうだった。わたしの見方が間違っていたんだ。どうしてわたしはあやかしだと一括りに見てしまったのだろう。

 いつも雪火せっかの家でのほほんと笑って、お茶を飲んでいる九尾さん。いつだって彼はわたしや雪火せっかの味方で、名前も知らないあやかしに襲われた時は助けてくれた。

 それなら。


「アルバくんは?」

「え?」

「アルバくんは心の優しいあやかしだよね。わたしの味方、だよね?」


 藍色の瞳が丸くなる。

 頭に少し重みを感じた。アルバくんが大きな手のひらで、頭をぽんぽんと叩いてくれた。

 形のいい唇が引き上げられる。


「当たり前だろ。世界中を敵に回したって、おれはお前の味方だ」

「うん……!」


 夢の中でも現実でも、アルバくんの言葉は心強い。前に進む勇気をくれる。

 がんばらなくちゃ。


 頭に触れていた大きな手のひらが移動して、背中に触れた。とんと軽く押される。


「じゃあ、豆狸まめだぬきを頼んだぜ紫苑しおん。おれはこいつを足止めしておくからよ」


 二回目は、もっと力を込めて背中を押された。

 頼まれたからにはわたしはわたしのやるべきことをやらなくちゃいけない。わかっているはずなのに、思わず振り返ってしまった。


 薄いグレーの色に染まった耳がピクリと動き、長毛の尻尾がぶわりと膨らんだ。

 笑っているけどいつものような勝ち気な笑みじゃない。どこか引きつったような。


 嫌な予感がした。


「アルバくん、それって――」


 どういう意味なの?


 問いかけは最後まで口に出すことができなかった。

 わたしが思っているよりもずっと早く、雨潮うしおくんが動いたからだ。


 銀色の鈍い光が走る。


 それが刃物だと知ったのは、金属同士が激しくこすれる音がわたしの耳にまで届いた時だった。


 どこに持っていたのか、雨潮うしおくんの手には日本刀が握られていた。振り下ろされたその刃を防いだアルバくんの手にも、同じような刀が握られていた。


紫苑しおん、行け! たぬきのチビを連れて、早くこの場から逃げろっ」


 やっぱりそうだ。間違いない。

 雨潮うしおくんからたぬきの子を助けるために、アルバくんは自分が犠牲になるつもりでいるんだ。

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