3章 退魔師との邂逅

[3-1]豆狸をたずねて

「おにぎりカフェなごみ……?」


 大きく看板に書かれた文字をアルバくんが読み上げたら、隣で胡桃くるみちゃんが元気よく「はいっ」と返事をした。


「色んな種類のおにぎりを売っているんですよ。お茶とセットで買うとお得なんです。お店の中で食べることもできますよっ」


 胡桃くるみちゃんが力説しても、アルバくんは「ふぅん」と返すだけだ。

 あやかしのアルバくんにとって、わたしたち人間の食べ物とか食事とかやっぱり興味なかったりするのかな。今日はごはん一緒にしようって勢いで約束しちゃったけど、大丈夫かしら。やっぱりいらないって言われたらどうしよう。

 今朝に見た夢の中では、アルバくんは食べ物を粗末にしない方針だって言ってた気がする。テーブルに出しちゃえば、突っ返されることにはならないよね。……たぶん。


「それより豆狸まめだぬきのところに案内しろよ。ひどい怪我なんだろ?」


 腕を組んでアルバくんが言った。ずけずけとした遠慮のない言い方。彼はわたしにだけじゃなく、雪火せっか九尾きゅうびさん、誰が相手でも態度を変えたりはしない。

 胡桃くるみちゃん相手でも、それは変わらないみたい。


「あっ、はい。そうですね! じゃあわたしの部屋にご案内しますね」

「あー、いや、おれは部屋に入るのはやめとく。紫苑しおんがいれば十分だろ」

「え?」


 胡桃くるみちゃんとわたしの声が見事にかぶった。

 一緒になって固まるわたしたちに怪訝な視線を向けながら、アルバくんはわかりやすいように説明してくれた。


胡桃くるみは一人の女で、おれは人間じゃねえけど一応見てくれは一人の男だろ? だったら、女の部屋に入るのはまずいだろ」


 え、そうなの? アルバくんって、わたしたち相手にそんな紳士的なことを考えていたの?


「それもそうですね。あはは、気遣いありがとうございます」


 ほっとしたように胡桃くるみちゃんが胸をなで下ろす。あやかしだってわかっていても、見た目は背の高い男の人だもん。胡桃くるみちゃんもアルバくんを部屋に入れるのにはためらいがあったのかもしれない。


 ううん、それよりも。

 女性の部屋に入るのがまずいって、アルバくんが考えていることが意外だった。女性に対してそんな紳士的な態度を取るだなんて思ってもみなかった。

 初めて会った日。アルバくんはわたしの部屋にためらいもなく入ってきたんだもの。


 もしかして、わたしのことは一人の女としてすら見てないってことなの?


 胸のあたりがもやもやする。ほんとうにアルバくんはわたしのことをどう思っているのだろう。




 ☆ ★ ☆




 本心が見えないからこそ、アルバくんの話す言葉の意味がわからなくて不安だった。

 雪火せっかの言うとおり、直接本人に聞けばすぐに解決するだろう。だけど、その会話ひとつでアルバくんとの関係が変化してしまいそうでこわかった。


ばくさんって、本当にいい人ですよね。見ず知らずの他人のためにここまで親身になってくれるなんて」


 お店の裏に胡桃くるみちゃんのお家があるらしい。歩きながら話しかけてくる後輩の会話にわたしは適当に相づちを打つ。


「うん、そうだね」

「女性の部屋だから自分は外で待ってるなんて、まるで大人の男性って感じです。さっきも言ったかもしれないんですけど、三重野みえの先輩があやかしを信じてるって聞いた時はびっくりしちゃいました。私と同じようにあやかしと縁があったんですね」


 そう、わたしはあやかしに縁があった。片親が鎌鼬かまいたちで、お母さんを通じて小さい頃はそれなりにあやかしたちと仲良くしていた時期もあった。

 だけどあやかしに襲われたあの事件が起こってから、わたしはあやかしを避けていた。アルバくんに出会う前は。


 もう一度、ピアノに向き合うことができたのも、豆狸まめだぬきの子を癒やそうと決意できたのもアルバくんのおかげなんだわ。


「そうだね。ねえ、豆狸まめだぬきの子はその、……胡桃くるみちゃんのことをなんて言ってるの?」

「え、何てってどういうことですか?」

「えっと、たとえば〝おれのもの〟とか……」


 言葉にした途端、火が出たように顔が熱くなる。

 ああっ、わたしってばなんてことを聞いているの!? すごく、恥ずかしい。


「ええええっ、アルバさんが先輩におれのものだって言ったんですか!?」


 しまった。なにがしまったのか自分でもわからないんだけど、ストレートに言ってしまった。


「た、たたたたたとえばの話だよっ」

「でも実際にそう言われたってことですよね? うわあっ、すごいなあ。少女マンガみたい!」


 胸の前で手を組み合わせて、胡桃ちゃんは目を宝石みたいに輝かせてうっとりと見つめてくる。

 だめだ、完全に勘違いしてる。

 顔の前でぶんぶんと手を振りながら、わたしはあわてて否定した。


「ちがう、違うからね!? ほら、アルバくんはあやかしだから! 自分のもの発言はあやかし的には、おれが取り憑いているのは自分のものとか思っちゃうものなの」

「ええ、そうなんですか?」

「うん、そういうものなのよ」


 胡桃くるみちゃんは眉を下げて肩を落とした。目に見えてがっかりしたという感じだ。

 だけど、予想外にも次の瞬間には目を上げて、こう反撃してきた。


「私はそんなことないと思いますよ。だってあの獏さん、わたしたち人間と近い感覚を持っているじゃないですか」

「え?」


 今度はわたしが驚く番だった。

 頬をわずかに赤く染めた胡桃くるみちゃんはさらに畳みかけてくる。


「だって、獏さんは自分のことを一人の男、私のことは一人の女として見ているって言ってたじゃないですか。だったら、先輩のことだって一人の女として見ているってことでしょう?」


 一瞬だけ時が止まった。

 フリーズした頭の中、風がわたしの頬をなでる。


 傷ついてこわがりなわたしに、細やかに気遣って優しい言葉をかけてくれたことがある。

 現実じゃなくても、食べ物を粗末にしないところは普通のおじいちゃんみたいで。

 いつだってアルバくんは人間みたいなあやかしだって思っていた。


 楽譜を探していた時、部屋に入ってきたのはどういう意図があったんだろう。

 アルバくんがわたしを自分のものだって言ったのは、どういう意味があったの。


「――それは」

「着きましたよ、先輩。ここが私の部屋です」


 口から出そうになった言葉を慌てて飲み込む。

 わたし、胡桃くるみちゃん相手になんて言おうとしてたの。

 期待していいってことなのか、なんて、誰かに聞いていいことじゃない。そもそもわたしは何に期待しているんだろう。


 それに今はわたしの悩みなんてどうでもいいことだわ。

 怪我をしている豆狸まめだぬきの子を助けるために、わたしは来たんだから。


「ただいま! 具合はどう?」


 かちゃりとドアノブを回して入っていった胡桃くるみちゃんが部屋に入っていく。

 学習机がひとつと観葉植物がひとつ。カーテンは淡いベージュ色。暖色系の家具で統一された胡桃くるみちゃんらしい部屋だ。


「もう大丈夫だからね! 今、きみの怪我を治して、くれる……人を……」


 胡桃くるみちゃんの弾んだ声が小さくなっていく。

 返ってくる声がない。嫌な予感がする。


 はやる気持ちをおさえつつ、わたしは胡桃くるみちゃんを押しのけて部屋の中へと入る。


 きちんと整理整頓された部屋に似つかわしくなく、奥に置かれたベッドは乱雑のままだった。

 みかん色の掛け布団や枕が絨毯の上に落ちている。マットレスの上にかぶせられていた敷きパッドが剥がれかけていた。

 直前まで誰かが使っていたことはわかった。でもベッドはもぬけの殻。


 深手を負った豆狸まめだぬきの子はいなくなっていた。

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