2章 豆狸と銀髪の転校生

[2-1]おいなりさんの夢

 おいなりさんを作らなきゃ。


 見えない大きななにかに突き動かされて、わたしは台所に立っていた。


 三角に切った油揚げをしっかりゆでて油抜きする。少しの手間だけど、ちゃんと油抜きをしておくとだしの風味がきてくるの。

 だし汁とお醤油やお砂糖を混ぜた煮汁でしっかりと炊いて。

 油揚げの味付けは手を抜けない。九尾きゅうびさんの大好物だもの。


 いつもは酢飯を詰めるところだけど、今日は具材をいっぱい入れたおいなりさんにしよう。

 酢れんこんや椎茸、かんぴょうの煮物を混ぜるの。一口かんだらいろんな食感がして、きっと楽しいわ。


 油揚げを煮て、酢飯を作って詰めて。

 かれこれ二時間は経ったかな。台所に立ってるけど、三人分くらいはできたかしら。


 いつも雪火せっかの家においなりさんを持って行く時は二人前くらいは作る。

 今日は少し作り過ぎちゃったかも。

 でもいいよね。この前倒れた上にアルバくんの治療もしてくれたし。きっと二人とも喜んでくれるはず。


紫苑しおんちゃん、ありがとう。でもまだまだ足りないよ」


 お弁当箱を開けて、九尾さんはなんと一口で大量のおいなりさんを流し込んでしまった。

 うそ、これは予想外だったわ。まるで一瞬で平らげるとは思っていなかった。

 むしろあれは飲んだと言った方が正解な気もする。


 頭が真っ白になってうまく話せない時でも、いつもにこにこ笑って辛抱強くわたしの話を聞いてくれる九尾さん。

 少しでも彼の気持ちにはこたえてあげたい。


「わかった! 九尾さん、ちょっと待ってて。すぐに作ってくるから」


 油揚げを煮る。酢飯に具材を混ぜて、ぎゅぎゅっと詰めて。

 家にある一番大きいお皿に次々とのせていく。


 台所に立ってから四時間。さすがにそろそろ飽きてきた。


「足りないよ、紫苑しおんちゃん。まだまだ足りないよ」


 大変。これだけ作ったのに、まだまだ足りない。

 もっともっと作らないと。


 油揚げを煮て、酢飯を作って。三角のおいなりさんが二段、三段と積み上がっていく。

 今、台所に立ってからどれくらい経ったっけ。

 覚えてない。もう数えるのをやめちゃった。


 目の前には山のようにバランスよく積み上がったおいなりさん。まるで運動会の新体操の演目で見るピラミッドのよう。

 一体、わたしは何個おいなりさんを作ったんだろう。おいなりさんの山がわたしの背丈を超えている。

 ほんの少しの力を加えただけで、指一本触れただけで崩れてしまいそう。


「しーおーんーちゃーん? まーだー?」

「あっ、だめ! 九尾さん!!」


 間延びした低い声がおいなりさんの山を押し出す。

 ぐらりと揺れた巨大な山は見事にくずれ、わたしに襲いかかってきた。


 やだっ、どうしよう!?

 このままじゃわたし、おいなりさんに押しつぶされちゃう。

 まだ十七年しか生きていないのに、こんな最期だなんて嫌すぎる。食べ物に生き埋めにされるなんて間抜けだよ!


「いやぁあああ、助けて――!」

「どんな時だって助けるって言っただろっ」


 覚悟を決めて頭を抱えていたら、そんな声がした。

 おそるおそる目を開けると、波のようになだれ込もうとしていた無数のおいなりさんがピタリと止まっている。まるでその一瞬の時を止めたかのように。


 前合わせの衣装に身を包み、真白い髪をなびかせた精悍な顔つきの男の人。猫の耳と尻尾、透き通る翼をもった夢喰いのあやかし。アルバくんだった。


「そんなに欲しいならくれてやる。受け取れ、九尾ぃ!」


 アルバくんは掲げた両腕を大きく振った。その動きに合わせて、おいなりさんの大群がダイナミックな動きで九尾さんに襲いかかる。

 巨大なキツネに変化していた九尾さんの大きな口に、大量のおいなりさんは吸い込まれていく。

 なんとびっくり、ぜんぶ平らげてしまった。そびえ立つ山のようなおいなりさんをぜんぶ、一個も残さず。


「すごい……」

「食べ物を粗末にするとバチがあたるからな」


 腕を組んで前方を見据えたまま、アルバくんがぽつりと言った。

 その視線の先には丸めたお腹をさすりながらしあわせそうに眠る九尾さんがいる。


 まるでおばあちゃんみたいなセリフ。やっぱりアルバくんってあやかしなのに、人間くさい。

 そう思った。




 * * *



 目覚ましがけたたましく鳴っている。

 いつもならけだるげな気分がまといつくんのに、この日はパチリと目が覚めた。すぐに脳が覚醒する。


 起き上がった瞬間、記憶が逆に流れていった。夢の内容を思い出したらすごくおかしくて、おもわず吹き出した。何年かぶりに、お腹を抱えて大声で笑ってしまった。


「あっはははははは! ひっどい夢!」


 昨夜見た夢ははっきりと頭の中に残っている。


 お腹を丸くする九尾さん、大量のおいなりさん。そしてアルバくんのセリフ。

 ひとつひとつ思い出しただけで、もう我慢できない。おかしくておかしくて笑ってしまった。


 少し前までは朝を迎えるのはおっくうだったはずなのに。不思議だわ。鉛みたいだった身体が嘘のように軽い。

 一人じゃないからかな。それとも、悪い夢を見なくなったせい?

 最近は毎日楽しくって仕方がない。




 * * *




「くだらねえ夢ばっか見やがって」


 リビングルームでバターを塗ったトーストをかじっていると、アルバくんに悪態をつかれた。

 夢の中にアルバくんが現れたということは、彼がわたしの夢に入り込んで悪夢を食べた証拠でもある。

 口の中にあるものを咀嚼そしゃくして飲み込んでから、ふと浮かんだ疑問を聞いてみる。


「あれって悪夢なのかな?」

「悪夢だろ」


 悪い夢にしたらバカバカしくておかしな夢だったような気がする。

 でも後半のカオスな展開はアルバくんが夢に介入したせいなんじゃないかな。

 ふふっ、思い出しただけでまた笑ってしまいそう。


 だけど。


 雪のような髪の間からぴこんと出ている三角耳は依然としてグレーのままだ。

 アルバくんに取り憑かれてから半月くらい経ったけど、耳の色は薄くなるどころか、濃くなっている気がする。


「ごめんなさい。また悪夢を食べさせちゃったね。アルバくんのからだにあまり良くないのに」


 九尾さんによると、体内にたまっていた邪気のおりはかなりの量みたいで、あやかしを癒やすわたしの力を使っても一朝一夕にぜんぶ取り除くのは難しいみたい。

 ただでさえ蓄積してるのに、またわたしの悪夢で邪気を増やしてしまったんじゃないかな。ほんとうに申し訳ない。

 そんなわたしの気持ちとは逆に、アルバくんの反応は意外なものだった。

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