[1-4]夢喰いとキラキラ星
彼はどうして、わたしの名前を知っているのだろう。
そりゃ顔は合わせたけれど、ほとんど喋ったことのない相手がどうして、わたしの夢に……。
頭の中に、
――んんー? 珍しいものを連れているね。この子は
――バク?
――夢喰いのあやかしだよ。
「バク、さん……」
「ん? なんだ。お前、おれの正体に気づいていたのか。なら、ちょうどいい」
夢の中での獏さんの翼は白く透き通っていた。
あのふわふわの、鳥みたいな翼じゃない。後ろでぱたりと動いたのは長い尻尾、なのかな。猫みたいな動きだった。
「
けいやくって何のことだろう。そういえば、バクさんが倒れる直前にそんなこと言ってた気がするけど、よくわからない。
それに守るってどうやって? 今も四方をあやかしたちが取り囲んでいる。そのすべてから、たった一人でどうやって守る気なのだろう。
「そんなの、無理だよ」
わたしのピアノには不思議な力があるって知ったのは、あやかしに襲われ、怪我をした時だった。
ひとつ鍵盤を押すたびに、その音色は甘やかな誘惑となって、あやかしたちを誘い出してしまう。
大きな妖力を持っている九尾さんでさえ、近所に住むわたしを守るのは難しい。ずっと張り付いているわけにはいかないし、九尾さんが守りたいのは
それなのに、さっきまでいのちさえ風前の灯火だった獏さんに、他のあやかしたちから守れるのだろうか。
「無理なもんか。お前を守るのなんか朝飯前だぜ」
にぃっと獏さんが笑う。
震える手をやさしくつかんで、引き寄せてくれた。鋭い印象の瞳を和ませて。
「おれたち獏は、夢の中では無敵なんだぜ?」
長い袖に覆われた片腕を、赤い目をもつあやかしたちに向けて突き出す。
その途端、頭が割れそうなほどのひどい悲鳴をあげ、周りのあやかしたちは霧が晴れていくように跡形もなく消えてしまった。
「ほらな」
「すごい……」
森の中に静寂が戻り、再び白い木漏れ日が落ちてくる。
ピアノは変わらずそこにある。傷ひとつついていない。
「さ、好きに弾けよ」
手を取って、獏さんはピアノの近くに連れて行ってくれた。
蓋が開いたままになってるピアノ。むき出しになった白と黒の鍵盤。
初めはあんなに引き寄せられたのに、どうしても触る気になれなかった。指が一本も動かない。
「でも、わたし、ピアノは……」
「好きなんだろ?」
「好き、だけど……」
また襲われてしまったらどうしよう。
もう痛いのもこわいのもいや。傷つきたくない。もうがんばれないよ。立ち向かう気力さえわいてこない。
今だって心が折れてしまいそうなのに。
「この世界はお前の夢だ。だから分かるんだ。おまえは誰よりもピアノが好きだろ? 本当は諦めたくないと思っているはずだ」
どうして、この人は核心を突くようなことを言うのだろう。わたしの心が見えているの?
夢の中だから?
「獏さんは……わたしのピアノ、聞きたい?」
頭に浮かんだことをそのまま聞いてみた。わらにもすがる思いだった。
もう一度、誰かに喜んでもらえるなら。
わたしの演奏を聴いて、お父さんとお母さんみたいに喜んでもらえるなら、もう一度だけがんばれる気がした。
「ああ、聞きたい。だから聞かせてくれないか」
影を落とした雪色の髪に、木漏れ日が落ちる。
真白い輝きと陽だまりのようにあたたかい微笑みに、背中を押された。
「……うんっ」
もう一度イスに座って姿勢を正す。
鍵盤に指をのせて。
深呼吸をひとつ。
高いトーンの音から弾き始める。
不思議。楽譜もないのにちゃんと記憶してる。音を外したりしてない。滑らかに指が動く。
リズミカルに音が出る。
軽くて高いトーンの音は星の瞬き。銀の砂をまいたような輝く夜空を想像する。
大好きなキラキラ星。夢の中で弾いたら、お星様が頭上で輝いたりするのかしら。
そんなわたしの予想に反して、黒いピアノの周りには花が咲き始めた。
美しいフリルのような真白い花弁をいくつも重ねた純白のバラ。アルバローズ。
浮き立ち始めたわたしの心を表したかのように、あたり一面に咲き乱れていた。
☆ ★ ☆
最初、目を覚ました時はなにが起こっているのかわからなかった。
木目の天井と蛍光灯を背景に、
「よかった。
ホッと息をついて、
そもそもここは
どうしてわたしは
「え、と……、わたしってどうしたんだっけ」
「覚えてないのかい、
「え……?」
たおれたって。わたしが?
「軽い熱中症か貧血だよ。炎天下の中、朝食抜いて走ったりするから」
わたしの幼なじみは苦笑混じりにそう言った。
そういえば気分が悪かったし、強い頭痛もしていたような。
水を一杯も飲まずに出てきたんだもの。からっぽの身体で真夏の中、外に出たりしたら体調を崩して当たり前だわ。
恥ずかしい。恥ずかしすぎて顔が熱くなってきちゃった。
「そ、そっか。ごめん、
「別に迷惑じゃないよ。あ、でも、あとで一応念のために病院には行ってね。なにかあるといけないから」
「うん、わかった」
「それから、言いにくいことなんだけど……」
中途半端に言葉を切った
「どうしたの?」
「うん、その彼なんだけど……」
そういえば、倒れる寸前は猫だったのに、いつのまにか夢と同じ男の人の姿に戻ってる。苦しそうな様子もない。頭の上にある耳は墨色に戻ってしまってるけれど。
なに、と目で問いかけると、幼なじみは重い口を開いて、驚愕の事実を告げた。
「きみ、獏に取り憑かれちゃってるよ」
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