アンサンブル

せいや

第1話

 音楽室の匂いは好きだった。

 音楽室で音でなく匂いに惹かれるのはきっと、静寂というものに何かしらの意味付けをしたくなるからだろう。

 僕はいつものように、壁にかかる肖像画を左から順にゆっくりと眺めていく。

 バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン…。

 名だたる音楽家の多くは短命であると、昔兄が言っていた。理由をきくと兄は、なにか言おうとして口をつぐんだ。僕は執拗に問わなかった。

 僕は音楽に傾倒しているが、ここでこうして佇んでいると、傾倒という以上に大仰な言葉を使う気にはなれない。

 曲を演奏する時に僕は、考古学者が化石を丁寧に掘り起こすように、何百年も前の音の響きを甦らせるのだ。

 一音一音は造作ない、意味を持たない断片だ。

 しかしそれらが集い、決められたリズムに於いて整列すると、そこには生命が宿る。その生命は喜怒哀楽をもっている。人間のようだが人間ではない。

 

 僕はクラスや家族、あるいはこの世界に於いて、どんな一音になれているのだろうか。

 あの人はきっと、集団の中で規律を整えるシンバルだろう。あの人は、目立たずに縁の下でバンドを支えるバスドラムかもしれない。あの人は…

 ふと肖像画の間で、時を刻みながら唯一のノイズを発する時計に目が行った。

 僕は慌てて音楽室を飛び出した。

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