第3話 SSS①

「オツトメ、ご苦労さま、翔太」

「ご苦労様じゃねーよ。職員室に呼び出された原因は、お前のせいじゃねーか」


 職員室のある校舎から外に出た翔太にかけられる少女の声。彼が振り向くと腰を九十度に曲げて頭を下げる梓の姿があった。

 いつも通りの無表情の梓。当然、彼女から悪意などは感じられない。

 翔太は疲れた顔で、おざなりに「ハイハイ」という感じで手を払う。それを見て、梓は静かな足取りで定位置の彼の横に並ぶ。


「だって……翔太が霊実中に愛を語り出すから、私どうしていいのか、わからなくて……」


 じわり、と梓の瞳に涙が滲む。

 その姿を男子生徒が目撃していたのなら、確実に殺意の込められた視線を翔太に向けていただろう。梓は整った容姿に大和撫子然としている姿に、憧れている生徒が多いからだ。

 ごく一部の生徒は、梓の本性――翔太といる時の姿――を知り、翔太に決闘を申し込むというのがテンプレートの流れとなっている。


「誰かに見られると面倒だから、嘘泣きはマジやめろ。放置して帰るぞ」

「翔太のいけず……」

「なんでだよ。付き合い長いんだから、演技かどうか即バレだろ」

「……ちっ、まだまだ修練不足。いつかきっと翔太を騙し切って、ぶろーどうぇいの舞台に立ってやる」

「梓の棒読みダイコン演技じゃ絶対に無理だ」

「ヒドい……。人の夢を即否定するなんて……」

「梓の夢なのか?」

「優先順位は下の下の夢。最優先の夢――いや、人生の最終目標は、翔太のお嫁さんになることだから。それ以外の夢や目標はは不要」


 無表情のままズバッと言い切る梓。

 梓のペースで話が進まず、翔太は額に手をあてて、ため息をつく。

 一呼吸置いて、翔太は話を切り出す。


「なずなちゃんから、霊実の記録映像を見せてもらったか?」

「うん、見せてもらった。早送りで最初から最後まで観たけど、よく撮れてた」

「俺は梓が俺に一撃叩き込んだあたりしか観てないけど、不自然・・・な部分はなかったか?」

「なかったね。私たちが簡単に駆除できた霊障に呆気にとられる姿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・も編集された形跡はなかったね」


 翔太は廃線のトンネルでタカマサと対峙していたことを思い返す。どんなに少なく見積もっても対峙した時間は一分以上はあった。

 それなのに、なずなが見せた映像は、かわりに呆然とする二人が数秒、映っているだけだった。

 自分たちが体験した現実と第三者が見た現実の差異。

 何故、そんなことが起き得たのか。翔太は独り言の様に考えを口にする。


「なずなちゃんが式神に細工して映像を書き換えた」

「あり得ない。なずな先生になんのメリットもない。それになずな先生は信頼できる。ちゃちな小細工はしない」

「俺と梓が同時に同じ幻覚を見ていた」

「可能性はゼロじゃないけど、ありえない。同時に同じ幻覚を見るなんて事前の下準備か、それなりの霊障じゃなきゃ無理。そんな霊障を私が見落とすことは絶対にない」


 翔太の表情は、梓のやり取りの都度、険しくなる。


「私と翔太の現実と、他人の現実が違うことは、十年前に化け物が翔太に巣食った時に体験済み。でも、あの化け物がたくさんいるはずない、いて欲しくない」


 無表情の梓の顔にも翳りがあった。

 翔太の内側に『世界喰い』は眠っている。出て行ったり、消えた気配はない。

 だが、トンネルで起きたタカマサと対峙して現実が、そっくり消え去っている事象は、『世界喰い』が存在を喰らった時に起きた事象によく似ていた。


「タカマサが『世界喰い』に喰われずに生き延びて、『世界喰い』に喰われた時に起こるような、歴史改変をする異能力を開発したのか……」

「ありえない。歴史を改変するような異能力なんて、ヒトの身に余る。ヒトの身で、神と呼ばれる存在に匹敵する様なことは出来ない」

「現に近い現象が起きてるんだ、あり得るあり得ないの判断は、俺たちがすることじゃなくなってる、気がする。……また、面倒なことになりそうだな」

「大丈夫。何があろうと私が翔太を守るから。たとえ全ての四肢を『世界喰い』に食いちぎられたとしても」


 そう言って、梓は右腕を曲げて、力こぶを作ってみせる。強い意思の感じられる梓の瞳。しかし、梓の白い細腕から感じる頼りなさが、アンバランスで翔太の笑いを誘う。

 翔太は小さく笑いながら、ポンポン、と梓の頭を優しく撫でる。

 梓は猫の様に、目を細めて気持ちよさそうに頬を緩ませる。


「次に何かあっても、また生き延びるぞ」

「……うん」


 翔太の言葉に梓は力強く頷く。


「あら、鬼灯くん。こんな時間に鬼灯くんが校舎にいるなんて珍しいですわね」


 不意に掛けられる少女の声。

 翔太が振り返ると、腰まで伸びた緩やかなウェーブがかった亜麻色の髪を揺らしながら、近づいてくる女子生徒――白木しらき芹香せりかの姿があった。

 面識のない女子生徒に警戒して、梓は半歩下がり翔太の影に隠れる。


「白木か。久しぶりだな。クラスが一緒の時は毎日挨拶くらいはしてたのに、クラスが分かれると接点がなくなるもんだな」

「そうですわね。最後に鬼灯くんとお話ししたのは、いつだったかしら。春休み前……確かそうですわ。春休みに何をするか雑談したのが最後だった気がしますわ」

「そーいやそーかもな。えーっと白木の春休みに実家の茶店の手伝いするって言ってたよな。バイト三昧で終わったのか?」


 芹香は嘆息しながら、肩をすくめて見せる。ちょっとした仕草だが、彼女の育ちの良さを窺わせる。


「ええ、遺憾ながら、遠出をする機会もなく、お父さんの手伝いで終わってしまいましたわ。もっともバイト代はキッチリいただきましたので、懐は温かくなりましたけど」


 芹香は「ふふふっ」と口元を手で隠しながら上品に笑う。

 梓より、頭半分ほど背が高く、制服の上からも分かるほど、ふくよかな双丘が目を惹く。

 整った容姿は梓に引けをとらず、美少女と断言できる。

 芹香は少しタレ気味の大きな瞳に柔らかな雰囲気、抜群のプロポーション。街を歩けば、アイドルかモデルと思われるような容姿をしている。

 誰にでも平等に接する姿と、女神のごとき微笑みから、神咲学園では絶大な人気を誇る。

 そのため、『白木芹香非公式親衛隊』なるファンクラブまで存在する。噂では生徒だけでなく、教師も所属している。

 翔太は柄にもなく、久々に向き合ったクラスメイトに緊張していた。芹香と遭遇する想定はしていなかったし、芹香はアイドル顔負けの美少女だ。緊張するなというのが難しい。

 翔太は努めて平静を装い、言葉を続ける。


「懐があったまるのはいいこった。結局のところ、先立つものがなけりゃ生きていけねーからな」

「そうですわね。異能力があっても、一般社会の就職に有利になるわけでもないですし、かといって神咲かみさき学園が進学に有利な学校でもないですし、お先真っ暗ですわ」

「白木ほど優秀な異能者なら、協会から勧誘スカウトがあるだろ。異能力のレベルが高いほど高給取りって聞――ッタァ!」


 唐突に声を上げる翔太。後ろに隠れていた梓が細い指で、翔太の耳を捻ったからだ。

 反射的に梓の手を払う翔太。しかし、それより早く彼女は手を引っ込めていた。


「いきなり何すんだよ、梓!」

「……鼻の下、伸ばしている翔太が悪い」

「伸ばしてねーだろ! ふつーの会話しかしてねーよ」

「してた。絶対してた。動悸も速くなってた」


 無表情だが、頬を膨らませて翔太を見上げる梓。

 何故かわからない罪悪感が翔太の良心をチクチクと責める。


「ふふふっ、お二人は仲がいいのですわね。噂は常々、伺っておりますわ。神代梓さん。私は白木芹香ですわ。芹香と呼んでくださいまし。去年、鬼灯くんとクラスが同じでしたの」

「……私は神代梓。梓と呼んで構わない。芹香の噂は、いろいろと聞いている」


 二人は、どちらからともなく、右手を差し出し、握手を交わす。

 笑顔で握手を交わす美少女。映画のワンシーンと錯覚するほどさまになっているのだが、翔太は何故か悪寒に身を震わせる。


「翔太、気をつけた方がいい。私の直感は外れない……」

「おい、初対面で失礼だろ。すまんな、白木。梓は人見知りが激しくて」

「別に構いませんわ。梓さんとは、これから信頼関係を気づいていきますから。お二人は部活をされていなかったと思うのですが、こんな時間まで何をされていたのですか?」

「昨日、霊実の一回目だったんだよ。それでなずなちゃんに確認のために呼び出されたんだよ」

「なずなちゃん? ああ、玄谷先生のことですわね。それで、呼び出されたということは、想定レベル以上の霊障が発生していたのですか?」

「違う違う。雑魚すぎて一瞬で終わった。雑魚すぎたから呼び出し確認があったんだよ」

「ああ、梓さんは学園でも上位の異能者ですものね。低難易度すぎる霊障は実習になりませんわね」


 梓の言葉に芹香はウンウンと頷く。芹香も異能者として実力が高いため、同じように霊障駆除実習は難なくクリアしたのだろう。

 他愛もない会話をしながら、三人は昇降口へ向かった。

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