第1話:俺の好きな人はレズビアン

 初恋の女の子は、同性愛者だった。一度は諦めた恋だったけれど、彼女は今、俺の妻として隣にいる。

 否。諦めたことなんてなかった。何度か別の女性と付き合ったことがあったけれど、それでも俺は彼女のことばかり考えていた。それはもはや恋ではなく、執着と呼ぶべきものだったのかもしれない。


 妻である鈴木すずきかいとは幼馴染だった。保育園からずっと一緒で、幼い頃から仲が良かった。当時の苗字は安藤。鈴木という苗字は俺の苗字だ。

 鈴木すずき麗音れおん。それが俺の名前。綺麗な音と書いてレオンと読む。平成生まれならさほど珍しくは無い名前かもしれないが、時代は昭和だ。名前の発音が外国人みたいだとよく揶揄われた。


「……なんでぼく、こんなへんななまえなの?」


 親にそう聞くと、DVDを見せられた。白百合しらゆり歌劇団かげきだんという、女性だけで構成される有名な歌劇団。俺の名前は、そこの役者から貰ったらしい。母がその人のファンだったようだ。その時は納得いかなかったけれど、ある日、一人の女の子がこう言ってくれた。


「ぼくはきみのなまえすきだよ。へんじゃないとおもう」


 それが、当時4歳の安藤海ちゃん。それがきっかけで俺は彼女と仲良くなった。家が近所だったこともあり、よく彼女の家に遊びに行ったり、彼女の方から遊びに来てくれたりしていた。


「かいちゃん、おおきくなったらぼくとけっこんしてください」


 初めてのプロポーズは小学校に上がる少し前。恋も愛も知らないくらい幼い頃だった。彼女はそれを受け入れて、小指を結んで俺と約束をした。この約束がある意味呪いだったのかもしれない。


 小学生になって話題が恋の話で持ちきりになり始めた頃に、彼女への恋心に気づく。この時は両想いだと信じて疑わなかった。


「ねぇ麗音。女の子なのにっていうの変かな」


 その頃彼女は自分の一人称のことで悩んでいた。クラスメイトだけではなく、担任や親さえも直した方が良いと言ったが、俺はクラスメイトや担任を説得した。その結果、彼女の一人称についてとやかく言う人は居なくなった。


「ありがとう。麗音」


「どういたしまして」


「……あのさ」


「ん?」


「……」


 何かを言いかけて、言葉に詰まる彼女。


「話せないなら無理して言わなくて良いよ」


「……麗音、僕のこと好き?」


「えっ。うん。好きだよ」


「それは……恋してるって意味?」


 そう問われて、ドキッとした。


「恋……なのかな。まだよく分からないや」


「そっか……」


「……もしかして海は、誰かに恋してるの?」


 その相手が俺じゃないことは、薄々気付いていた。その頃彼女は一人の女の子をずっと目で追っていたから。


「……恋って、相手が女の子でも、良いと思う?」


 恐る恐る、彼女は打ち明けてくれた。勘が的中したことに驚きを隠せなかった。


「一緒に調べよう」


「……うん」


 彼女を連れて帰り、母にパソコンを借りる。


「良いけど……何調べるの?」


「えっと……恋」


「恋?」


「女の子が女の子を好きになっても良いのかって、海ちゃんが」


 今考えるとこれはアウティングなのだけど、幸いにも、この時俺の母親は否定することも茶化すこともなく真摯に受け止めてくれた。そして、代わりに検索した。

 その時俺は、彼女の恋が否定されることを望んでいた。最低な人間だと自分でも思う。だけど、困るのだ。彼女が同性愛者だと、俺の恋は叶わなくなってしまうから。


「お。良さそうなサイト出てきた。ほれ、海ちゃん。読める?」


「レズ……ビアン?」


「女性を好きになる女性のこと」


「僕はこれなの?」


「それはおばちゃんには分からないな。海ちゃんが決めることだから」


「僕が?」


「うん。自分が何者なのかは、人が決めることじゃない。じっくり考えて、悩んで、君が決めなさい。私が言えるのは、女の子が女の子を好きになることは間違いではないってことだけ」


「……好きで良いんだ」


「うん。良いんだよ」


「そっか。……ありがとうおばちゃん。麗音も」


「……どういたしまして」


 彼女は嬉しそうに帰っていった。彼女が居なくなると、母は言った。


「麗音。あの子が何者であっても、自分が困るからって否定しちゃいけないよ。好きなら尚更ね」


 母は気付いていたのだろう。彼女が同性愛者であってほしくないという俺の醜い感情に。


「……海ちゃんが女の子しか好きになれなかったら、俺は彼女の恋人にはなれない?」


「そうだねぇ……さっきも言ったけど、それはあの子が決めることだから」


「やだ」


「それはわがままだよ。麗音」


「……分かってる」


「分かってるなら良い」


 これが俺の、最初の失恋。この時はまだ受け入れられなかったけれど、中学に上がると彼女から言われた。『好きな女の子が居る』と。


「……そっか。告白するの?」


「……うん。する」


「……そうか」


「うん」


「……海」


「うん?」


「……好きだよ」


 その瞬間、前を歩いていた彼女はぴたりと足を止めた。気まずい空気が流れ、彼女の顔を見たくなくて俯く。


「……それは、恋してるって意味?」


 俯いたまま頷く。涙が溢れた。


「ごめん。俺……海の恋を応援出来ない」


「……うん。良いよ。応援してくれなくても」


「……聞いても良い?」


「うん」


「……俺じゃ駄目?」


「……僕は多分、男の人を好きになれないと思う」


 そう言われることは覚悟していた。していたけれど、その言葉はナイフのように俺の心を抉った。だけど今思えば、性別を理由にはっきりと断ってくれたのは、俺に余計な期待をさせないための彼女なりの優しさだったのだと思う。


「じゃあ仕方ないね」


 そう。仕方ない。俺は男で、彼女は同性愛者だから。土俵にも立たせてもらえないのなら、諦めるしかない。そう何度も言い聞かせて、彼女にお礼を言った。「ちゃんとフってくれてありがとう」と。

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