旅の疲れ

 夕暮れ、カラスが鳴く頃、ニューモガ教会は喧しかった。


 初めは戸惑いと問い合わせ、それから一瞬静かになったと思ったら誰からか歌い出し、それが合唱となり、だけども続く毎に疲れが現れ、けれども心は折れず、今はただ嗚咽なのか悲鳴なのか嘆願なのかわからない祈りの連鎖となってあたりに響いていた。


 それは教会内部にも浸透し、二階奥底のパロスが休む部屋まで届いていた。


 何に使うのか広々とした部屋にあるのは小さな椅子と机、その上には半分まで満たされた水差しが、一番奥には真っ白いシーツのベッドが一つ、そしてその上にはパロスがいた。


 下半身だけ掛け布団の下に潜り込ませ、上半身は起して、笑顔の枯れた血色悪い表情で、両手で握る空となったガラスのコップの中を覗いていた。


 そして誰に聞かせるでもなく小さなため息、それから間接を軋ませるように動かして体を伸ばし、机の上にコップを置いた。


 と、外より別の騒ぎが聞こえてきた。


「パロス様は絶対安静だとなぜわからないのだ! スープも飲めないほどお辛い体調なのだぞ! それを君は!」


 ピコーの声をぶち壊すように、爆ぜるようにドアが開け広げられた。


 そしてのそりと入ってきたのはウォル、それを止めようとして叶わず引きずられるように続くはピコーの姿だった。


「申し訳ありませんパロス様、今すぐ出るようにお願いしますから」


 そう言って手を伸ばすピコーだったが、ウォルは背中に目がついてるかのようにそれを数歩でかわして見せた。


 そしてじっと見つめてくる眼差しに、パロスは微笑み返した。


「ピコーさん。ここは、大丈夫ですから」


「は? 大丈夫とは?」


「ウォルさんは、何か大事な用があって来られたんだと思います。ですから、大丈夫なんです」


「ですが」


「心配ありませんよ。こう見えてもウォルさんはちゃんと優しいですから。ほら、倒れた私を助けてもらいましたし、ね?」


 微笑みに、ピコーは言葉を飲み込んだ。


「……それでも長居は許可できません。どのような用事かは詮索しませんが、速やかに済ませて下さい」


 どちらに言ったのかあやふやな物言い残し、一礼してピコーが出て行く。


 ドアがパタリと閉じられると、それを合図にウォルが歩み寄り、ベットのすぐ横に立った。


「ウォルさん。お礼がまだでしたね。助けていただいてありがとうございました。命を狙われてないなんて言っておいて自分でこのざまとはお恥ずかしいです」


 テヘヘと笑うパロスの言葉に返事せず、代わりにウォルはポケットに隠していた赤い中身の瓶を、机の上、水差しの横に置いた。


「…………これは?」


 驚きの表情のパロスから、ウォルは視線を外す。


「あの爆発村での残り、というか背負ってたのを忘れてて出しそびれたやつだ。他にも全色揃ってるが、ここまで隠し持てるのが一個までだったからな」


 一言にパロスの表情が曇る。


 これが見えたのか、ウォルは鼻を鳴らした。


「お前みたいなやつ、中でたまにいたよ。重度の好き嫌い。特定のものしか食べられない。不味いのは確かだが、腐ってるわけでも、誰に取られたわけでもないのに、食べれないものは一口も絶対に食べないやつ。そしてどんどん痩せてって、最後は倒れて入院させられる。中でも医者はいるからな。ベットに縛られ口に筒突っ込まれてどろどろの食事を無理やり流し込まれる。病気の名前は摂食障害っつったか?  俺もよく覚えてないが、そこら辺はお前の専門だよな」


 ややうつむいて黙って聞いているパロスへ、ウォルは続ける。


「この旅の間、お前を見てたよ。全部じゃないが、あの茶会の時も、その後の食事も、まともに口に入れてるのはその瓶と紅茶だけだったろ? それも紅茶はあの魔法かけなきゃ飲めないんだろ? それもあれだが、近くにいて聖女様聖女様言ってる連中の誰一人も気が付かないとか、そっちの方が問題だろ。いや、やつらに隠してるってことは、食えないのはやつらのせいか」


「違います! 私は!」


 パロス声を荒げるも、口をパクパクさせるだけで次の言葉が出てこなかった。


 この反応にウォル、目をカッと見開くと右足を上げ、その踵でパロスの寝るベットを思い切り蹴り飛ばした。


 響く音、軋む音、大きく響いてベットの上のパロスが大きく揺れる。


「パロス様!」


「大丈夫です!」


 ドア越しのピコーへ、パロスは刹那に返事していた。


 そして改めて見上げると、ウォルもまたパロスを見下ろして、目が合った。


「誰のせいか、何が原因かなんて、俺にはどうだっていい。だがお前はこれしか食えなくて、食えなかったからそこで寝てる。だからこれを持ってきた。足りないなら追加で持ってくるし、他に見つかってなんか言われたら俺のせいにすればいい。毒物対策にそうしろと命じられたとでも言っとけば信じるだろう。これでだめなら、中方式だ。無理やり口開かせて中に流し込む。顎が外れるかもしれないが、まぁ餓死するよりましだろ」


 凄みから説得力のあるウォルの脅しに、パロスは大きく息を吸い込み、吐くのと同時にぱたりとベットに寝そべった。


「おい」


「よかった」


 不機嫌なウォルの声にパロスの安堵の声を重ねて、そしてぎゅいんとまた体を起こした。


「ウォルさん。あなたはやっぱり優しくて、素敵て、素晴らしい人です」


 そう言って今までにないほどに優しい笑顔を向けるパロスに、ウォルは一瞬戸惑うも、すぐに表情を引き締めた。


「俺の事なんかどうだっていい。それよりこいつだ。どうなんだ」


 ウォルは机の上の瓶を押し滑らせて差し出すと、パロスは笑顔で頷いた。


「その瓶、中身はイチゴジャムですが、頂きます。それと、夜で良いのでもう一つ、できれば茶色か黄色の瓶を持ってきていただけると嬉しいです」


「あーあー首輪もあるしなー。使われてやるよ」


 そう言ってそっぽを向くウォルにくすくす笑いながらパロスは瓶に手を伸ばしてベットの上へ、そしてひねるも、ビクともしなかった。


「……貸せ」


「お願いします」


 笑顔を取り戻したパロスから、ウォルは瓶を受け取った。


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