『みんなで歌おう慈愛のお歌』
熱狂の中の交渉
石造りの古い建物、高い天井に置くの壁にはステンドグラスには二重螺旋のホーリーシンボル、典型的なミーム教会の内装をしたこの『ゴシック教会』内、広い礼拝所には朝から熱気が溢れていた。
犇めくのは老若男女、みな首から同じデザインの二重螺旋のペンダントをぶら下げて、それなりにきちんとした身なりで参加しながらも、それらをかき乱すように声を上げ、立ち並び、足を踏み鳴らして正面壇上の少女の姿に熱狂していた。
少女の頭には黒い頭巾、その隙間からぴょこんと金色の一本前髪が飛び出て揺れている。その影には遠目でもわかる白い肌に輝く青い瞳、幼さ残る顔には満面の笑みが光り輝いていた。
小さく細い体を包むのは白襟の黒いエプロンのようなワンピース、一見すれば普通の修道女の服装だが、スカートの丈は膝までなのに袖は長すぎて、伸ばした指先全部が隠れるほどにブカブカだった。
総じてお人形さんのような少女が、その袖を振りつつ壇上で歌ったり喋ったりしていた。
そしてその一挙手一動作に合わせて老若男女は沸いていた。
白熱する建物内、その中で冷ややかに、大人しく席に座したままなのは、最後尾の二人だけだった。
「……殺してくれ」
その内ぼやいたのは、長椅子の右側に座る男だった。
歳は三十かその前後、頭には黄色いバンダナを、眉まで隠すように巻きつけ、頰には無精髭、眼差しは飢えた獣のように鋭かった。
服装はダボダボなズボンに前を止めてないシャツ、そこから覗く肌は日焼けで褐色、そしていくつもの傷跡が浮き出ていた。投げ出す手足は鍛えられていて、とてもではないが教会に赴く風貌ではなかった。
その首には他のように二重らせんのペンダントはなく、代わりに銀色に輝く太い首輪がはめられていた。
その恰好は一目でわかる部外者だった。
実際、興味が無いらしく、正面の少女とその前の熱狂をうんざりといった表情でダラリと見ていた。
「くだらん話、ガキ向けの歌、それに考えなしに盛り上がる馬鹿ばかり、挙句にこの不快感、これは遠回しの拷問だな」
そう言って男は自身の目の高さで左手を握ったり開いたり、子供のように手遊びを始める。慣れてるのか、巧みな指の組み合わせで形作ったのはオオカミだった。
「おや、寄付は初めてかね?」
ぼやきに応えたのは同じ長椅子の左側、きちんと座った老人からだった。
尖った耳からエルフとわかる。加齢からか細身で小柄な体、短い白髪は天辺からは剃られたように、地肌が見えていた。顔つきは童顔、けれども年相応に刻まれた深い皺と、その眼差しからは蓄えられた知性が溢れていた。
身に着けるは、黒のズボンにエプロンに、首には他と同じく二重螺旋のペンダントを吊るしていた。その姿、ミーム協会の修道士の標準的な格好だった。
その老修道士へ、男は自分の手から目線を外さずに返す。
「寄付? 奪取だろ? 魔力とか誤魔化してるが実際は生命力、命をだ。しかもそれをただいるだけで、無条件でとか、こいつは悪者のやることだとは、俺だって知ってる」
「そう言わないでくれたまえ。こうして集められた魔力は蓄積され、神聖魔法、その中でも回復魔法が用いられるときに回される。決して邪な目的のために行ってるわけではないんだ。それに、自分の余っている魔力で人助けができるんだ。素晴らしいじゃないか」
「そんな能書き垂れるためにわざわざ俺を連れ出したのか?」
「いやそうじゃない。ちゃんと説明しよう。だがその前に、君のことをウォルモア君、と呼んでもいいかな?」
「大悪党、極悪人、無期懲役囚、反省の欠片も見せない冷血漢、好きに呼べ」
「ならウォル君でもいいかな? ウォルテモアだとちょっと長いからね」
「好きに、呼べ」
「ではウィル君、君は『死神』と呼ばれる殺し屋を知ってるかね?」
「吐いて捨てるほどよくいる名前だ。中なら三人はいる」
「外には五人だよ」
「あ?」
睨みつけるウォルに、老修道士は静かに続ける。
「事の始まりは五日前、何者かが殺し屋の死神を雇おうとした。だが、この死神、同名の殺し屋が五人いたんだ。それがどういう行き違いかそれぞれに依頼の話が届いて、五人同時に話が進んでしまったらしい。そして五人ともそれぞれ別々に、依頼人との約束の場所である倉庫街に向かい、そしてばったりでくわした。そして悲しいことが起こったんだ」
「仕事の取り合い、名前の奪い合い、あるいは互いを殺しに来た殺し屋だと勘違いしたか、なんにしろ笑える話だ」
「あぁ笑ってくれても大丈夫だよ。五人とも大けがはしてるが、生きてはいる。治療を受けつつ事情聴取、その過程で雇い主はわからなかったけど、狙う相手はわかったんだ」
「それが、あれか?」
「そう彼女だ。シスターパロス、彼女は色々と問題を抱えてはいるが、まさか命を狙われるとは、信じられるかね?」
「知るかよ。俺がどこにいたかもう忘れたか?」
「あぁそうだったね。説明すると、彼女は信心深く、神聖魔法にも長けていて、経歴も綺麗だ。後足りない実績さえそろえばすぐにでも、あの若さで次期枢機卿と目されて、今では色々差し置いて『聖女』なんて呼ばれている。そうでなくてもどうだね。あの美声と美貌、単純な人気と知名度だけなら断トツだよ」
「鶏ガラのヒョロガキが美しい?」
「人の美しさは内面だよウォル君。だがそれをわからない人たちもいる。それ故に、悲しいけれど、敵も多い。嫉妬や妬み、あるいは教義に反するとの過激派もいる。ここまで話せば君に何をしてもらいたいか、わかるんじゃないか?」
「あの女を、殺す」
「……何でそうなるんだね?」
「札付きの凶悪犯を連れ出す理由が他に何があるってんだ? その後適当な遺書書いて口封じすれば万事解決、俺だって知ってる世界の裏側だ」
「それはなくなるべき裏側だよ。そしてそのための助力を君に頼みたいんだ。具体的に言えば、彼女の護衛を頼みたい」
「今日一番のジョークだ。笑える」
「我々は本気だよ。少なくとも、君はそれができるだけの能力と人格を有してると考えてる」
「二番になった」
「嘘をつくのは我々の教義に反することだよ。それに告白するけれど、こういっては何だが、我々にはこのような荒事を納められる人材のツテがないのだ」
「知るかよ。そういうのは俺を捕まえた連中に頼めばいい」
「それは真っ先に考えたさ。だが彼女が断るのだよ。国家権力が近くにあるとそれを恐れて近寄れない人も現れる、とね」
「それで凶悪犯を引っ張り出して社会奉仕、良い宣伝になるって俺にだってわかる。これでも俺は、外じゃあそれなりに有名人らしいからな。そいつが大人しく護衛に、罪滅ぼしに改心したとなれば、さっき言ってた実績にはなるんだろうな」
「実績など、そんなものは二の次だよ。彼女さえ無事ならばそれでいい。だから頼む。この通りだ。明日から始まる宣教の旅の間だけでいい。旅と言っても国内を二、三ヶ所周るだけさ。その間だけ、傍にいて、彼女を守ってほしい。この通りだ」
老修道士、頭を下げる。
これをウィルは鼻で笑う。
「頼む? 命じるの間違いじゃないのか?」
そう言ってウォル、首の金属輪を右手親指で弾いて見せる。
「なぁ賢いお前らに質問なんだが、囚人と奴隷の違いってなんだ?」
「それは、どうしようもなかったんだ」
老修道士、話ながら頭を上げる。
「君をあそこから出すための最低条件、逃がさぬための最後の鎖、外させることはできなかった。だけど心配しなくてもいい。勿論発動させる気は無いし、する必要もないなろ? それに、発動したところで痒くなるだけだよ」
「関係ないな。俺は囚人だが奴隷じゃあない。好きに命じて、脅せ、それで勝手に発動させればいい。俺は興味ない」
そう言ってウォルは興味を失くしたようにそっぽを向き、両手を組み合わせて影絵で鳥やら犬やらを作り遊び始める。
「ならば報酬の話をしよう。こんな無茶を善意だけでしてもらおうとは、流石に私たちも考えてはいないよ。だがその前に移動しよう。もう終わりみたいだからね」
そう老修道士が言うのとほぼ同時に、万雷の拍手が巻き起こる。
見ればパロスが一礼し、舞台より退場するところだった。
「さて、さしあたっては、とりあえず食事をご馳走しよう。外の食べ物は久しぶりだろ? 高価なものではないが、紅茶とサンドイッチを用意してあるよ。サンドイッチ、わかるかね?」
「それぐらい俺だって知ってる。だがその程度で」
「わかっているよ。これはここまで来てくれて、この年寄りの話を訊いてくれたお礼だよ。食べたからって契約成立ではない。どの道君だって何かは食べるんだろ?」
そう言って老修道士、歩き始める。
しかしウォルは座ったまま、両手で犬の影を作りながらその背をただ見送る。
「早く来たまえ! 紅茶が冷めてしまうよ!」
ほぼ外に出ている老修道士の声に、残されたウォルは少し考えてから舌打ちし、そして勢いよく立ち上がった。
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