伸ばした手③
長きに渡る年月の間、採掘場となっていた『アイゼン鉱脈』には使用されていない坑道が多数存在している。その中には都市の外に繋がるものも少なからず存在していた。
その一つからアーガムは外に出る。暗闇に慣れていた目に太陽が些か眩しい。
小脇には気を失ったままのアルフェリカが抱えられている。
魔術により深い眠りにつかせたため、丸一日は目を覚まさないだろう。転生体の彼女にどれほどの効果があるかは不明だが、少なくともすぐに起きるということはあるまい。
アルフェリカの引き渡し場所は都市の外。もう少し歩くことになるが大した距離ではない。
アーガムは努めて感情を殺し、目的の場所に足を向けた。五分も歩かないうちに陽光に似た膜のある場所に辿り着いた。
ティアノラ博士が開発した『退魔結界装置』による障壁だ。魔獣だけではなく、転生体や覚醒体の力も阻むことができる画期的な障壁システム。
アーガムはその膜に手を伸ばす。素通りできる。そのまま通り抜けようと試みて、アルフェリカが膜に触れた瞬間、電撃が走るような音と共に弾かれて踏鞴を踏まされた。
「やはり、彼女を抱えながらでは通り抜けられませんか」
パキンッ。
何かが壊れる音がした。懐を漁って見ると夕姫に使用した十字架の術式兵装が折れている状態で見つかった。
簡単に壊れる代物ではないのだが。
気になって術式兵装を軽く解析すると、そこに刻まれていたはずの術式が綺麗に消えていた。
否、まるで最初から何もなかったかのように、術式を刻んだ痕跡すら見当たらない。
そもそもどのような術式を刻んだのだったか。
「なっ、馬鹿な!?」
思い出そうとしても思い出せなかった。
そんなはずはない。自分が作成した、それも使用したばかりの術式兵装に、どのような術式が刻まれていたのか思い出せないということがあり得るはずがない。
しかし事実として思い出せない。これは一体どういうことだ。
「おうどうした? 随分とマヌケな面になってるが」
自分の影から声が聞こえて、アーガムは一度その思考を打ち切った。
「気になさらず。手持ちの術式兵装が破損しただけだ」
「まあ壊れるときは壊れるからな。しかたねぇと思って諦めろ。お前なら同じもん作り直せんだろ?」
影に絵の具を落としたような赤い目は、アーガムを見つめてニタァと笑う。
「ええ、まあ」
「で、首尾よく捕らえたみてぇだな。さすがは
「……貴重なサンプルなのでしょう。まさか手をつけるつもりで?」
自身の肉親にまで下劣な感情を向けられ、アーガムは不快に眉をひそめた。
「そうしたいのは山々だけどよぉ、んなことして実験に影響が出てみろ。上の連中に始末されちまう。さっさと狂人どもの研究が終わって、そのサンプルを譲ってもらえることをせいぜい期待してるとするさ。ヘッヘッヘ」
「それが賢明だ」
「それよりもそのサンプルを影に落とせ。あとはこっちで本部まで運ぶ」
「あいわかった。くれぐれも丁重に扱ってください」
「おうよ」
アーガムがアルフェリカを影の上に横たわらせると、彼女の身体が沈んで影に飲み込まれていく。
「そういや、お前はどうすんだ?」
「もうこの都市に留まることは難しい。私も本部に戻るとするさ」
「そうかい、なんならついでに送ってやるぜ?」
「それには及ばぬよ。貴方の影の中は正直苦手なのだ。自力で戻る。なに、数日程度の差だ」
「あいよ、じゃ、先行くぜ」
挨拶もそこそこに影から目が消えた。かと思えば少し離れた場所で電撃が弾けるような音が聞こえた。
「うぉっ、マジか!? この障壁、影の中にも反応すんのかよ!」
再びアーガムの影に赤い目が現れた。目を丸くして驚きを表している。
「そのようだ」
「チッ、しゃーねぇな」
アーガムの影が形を変え、岩の影へと伸びていく。何をするのかと目で追っていると岩陰から爆発音がと共に煙と炎が上がった。
『退魔結界装置』の障壁が消失する。
「おー消えた消えた。やっぱあれが障壁を発生させてる装置だったか」
「……まったく、なんということを」
影は障壁がなくなって満足げにしているが、『退魔結界装置』の解析を行って仕組みを理解しているアーガムは天を仰いだ。
「どうしたよ?」
「装置の異常を報せるための機能があるのだよ。破壊などしたらすぐに誰かがやってくる」
「あー、なるほど。魔獣から都市を守るための装置だもんな。そりゃあ異常を検知する機能くらい組み込むよな。こりゃ失敬」
「どうするつもりで?」
「さっさとトンズラこくに決まってんだろ。お前も上手いことやれよ。じゃな」
反省する様子もなく影はそそくさと消えていく。
何か言おうとしてもすでに影はおらず、アルフェリカの身柄もこの手を離れた。
もうここから先のことは自分には関係ない。彼女がどうなろうとも我関せずを貫けば良いだけの話。
自分の目的は妹を残酷な運命から救い出すこと。アルフェリカを捕らえる過程で、有用なデータは取れた。首輪を
もうこの都市に用はない。データを持ち帰り、早く研究を進めなければ。
一刻も早く立ち去ろうと動かした足は、地面に縫いつけられたかのように前に進まなかった。
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