近くて遠い②
それは現存最高位の魔術師である
そしてアーガム=カロライナが所属している組織といえば。
「
アルフェリカにトラウマを刻みつけた魔術機関が王である輝に声をかけてきた。それだけでも警戒するに足る。
そんな魔術師が、なぜ
警戒心を剥き出しにする輝に、しかしアーガムは貼りつけた笑みを崩さない。
「なに大した話ではないよ。先王よりティアノラという博士が製作した退魔結界装置という術式の解析を依頼されて、かれこれ一年ほど前からこの都市に滞在していてね。依頼主が亡くなってしまったのでもう依頼自体が存在しないが、
「なっ――!?」
アーガムの物言いに輝よりも早くレイが反応した。初めて見るレイの怒りの発露。
「嗚呼、お嬢さん。そのように情熱的な目を向けるのは、できることならご遠慮願いたい。私は紳士的な振る舞いに努めているが、それでもやはり男なのでね。お嬢さんほど美しい女性に見つめられてしまっては
レイの瞳を正視していながらアーガムは涼しい顔のままそう言った。
目を合わせてなおレイの【魅了】に抗えるという事実は、そのまま彼の魔術師としての技量の高さを物語っている。
「現王、黒神輝よ。貴方はあの首輪の呪縛から奴隷たちを解放した。アレの術式を
「お前の好奇心を満たす必要は俺にはないな」
しかも『魔導連合』の魔術師。関わってろくなことはない。できることならこの場で
「然り。しかし私はこの知的好奇心を満たしたい。満たさなければならない。故に二つほど、貴方に有益な情報を進呈しよう」
「情報?」
「あの首輪の基礎理論を構築したのは私であるということ。それとあの首輪を開発した目的は神名の侵食を抑えるためということだ。私の知的好奇心を満たしてくれるなら、私が持つあの技術に関する資料を提供することを約束しよう。
笑みを絶やさず、アーガムは試すように輝に提案する。
本当なら確かに無視できない。あの首輪の開発者。しかも神名の侵食を抑えることができるとすれば、間違いなく転生体の迫害をなくす一助となる。
だが――
「あの首輪は転生体をいつでも殺せるように造られていた。殺意があった」
「あれは欠陥品なのだよ。あんなものが出回ってしまっているのは私としても不本意なんだがね」
「それでも、あの首輪を作ったのはお前なんだろう?」
どれほど崇高な目的があったとしても、初めから殺して処分することを目的としたモノを作った者の言葉など信用できるはずがない。
しかしアーガムは、輝の疑念に対して首を横に振った。
「そこは明確に否定させてもらおう。私はあくまで基礎理論を構築しただけだ。まだ穴だらけの技術に手を加えて世に送り出したのは、金に目が眩んだ『魔導連合』の欲深共なのだよ。あれが転生体の抑止力という点で優れていることは事実なのでね。しかし私が作りたいものは転生体を殺すものではなく神名の侵食を抑えるものだ」
「それを証明できるのか?」
「簡単だとも。〝断罪の女神〟殿に御目通りが叶うのなら」
笑みを消さないアーガムの目を凝視しても言葉の真贋は窺い知れない。目的も思惑も読み取れない。
まさか本当の目的はアルフェリカか。実験体として扱われていた彼女を狙ってきたとするなら、そちらの方がまだ意図が理解できる。
「ふむ、要らぬ誤解を招いたようだ。それではこれはどうだろう?」
差し出されたのは羊皮紙の巻物。見てみればそれは契約書だった。
「……
契約履行を強制する魔術的契約書。ここに己の血でサインをすれば、その者は契約書に記載されている内容を必ず履行しなければならなくなる。仮に履行不能な状況に陥れば、そこに記載されているモノが契約相手に移譲される。自身の所有物、能力、時間、命までも。
契約書にはすでに赤い血文字でアーガムのサインが書かれていた。
契約内容はこうなっている。
黒神輝が首輪をどのように
アーガム=カロライナは前述の条件が満たされた場合、アーガム=カロライナが知り得る神名の侵食を抑制する技術に関する全ての資料と情報を黒神輝に嘘偽りなく提供すること。期日は契約が成立してから六十日以内とする。期限内に履行されなかった場合、アーガム=カロライナは黒神輝にアーガム=カロライナの裁量で移譲可能な財産のすべてを譲渡する。
「無論だとも。私はこの技術をどうしても完成させなければならない。そのために、私は己の全てを懸ける所存なのだよ」
この男の言うことがどこまで本当なのか輝にはわからない。しかし
感じてなお、輝は契約書を突き返す。
「受け入れてはもらえぬ、ということかな」
「そうだ。
「では、これで如何だろうか」
突き返した契約書に、アーガムは筆を走らせると再び輝に手渡した。
追記された内容に輝は絶句した。
尚、黒神輝は本契約に関して、黒神輝の意思によっていつでも無条件に契約を破棄することができるものとする。
「これで貴方が負うリスクはなくなるはずだ。貴方の一存で、いつでもこの契約を終了させることができる」
「……何を企んでいる?」
「何度でも申し上げよう。私はこの技術を完成させたいのだ。そのためならば私の全てを懸ける」
アーガムから笑みが消えた。漆黒の瞳から垣間見える感情に先程までの演技じみた雰囲気は微塵も感じられない。
鬼気迫る何かがそこにある。本気を疑うことはできなかった。
「いいだろう」
犬歯で人差し指の腹を食い破り、滲み出た血をインクに文字を走らせる。レイは止めようとしたが、その時にはもうサインは書き終わっていた。
すると火種もないのに契約書が燃え出し、宙空に浮かび上がった魔法陣から何かが造形された。
それは二本の杭。色のない杭が輝とアーガムの胸に打ち込まれる。
痛みも傷もない。あるのは魂を縛られたかのような不可解な感覚。それも次第に溶けてなくなった。
「感謝する、黒神輝よ」
「こちらとしてもお前の情報は欲しいからな。拒否する理由がなくなっただけだ」
深々と頭を下げるアーガムに輝はそう言った。
『魔導連合』の魔術師を信用することはできない。それでも
「では、早速だが首輪を
アーガムが顔を上げたとき、そこには少年のように輝いた目があった。
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