贖罪のブラックゴッドⅢ ~秘めたる想いは絆となりて~

柊 春華

序章:通り過ぎた陽だまりの時間《サンセットメモリー》

通り過ぎた陽だまりの時間


 入学式だった。


 魔術を学ぶ魔導専門学校。就職よりも進学することをずっと前から決めていた神楽夕姫はこれから始まる新生活に浮き足立っていた。高校と違い、制服ではなく私服というのも新鮮だ。


 理想郷『アルカディア』では魔術の知識があれば将来の選択肢が驚くほど増える。


 たとえば機械技術者。


 今の時代、魔力と電気で動く機械はあって当然。それを作ったり直したり。そういうことができるようになればたくさんの人の役に立てる。


 それとも、もっと掘り下げてエネルギー技術者を目指してみる?


 あまり実感はないけど世界にはエネルギー問題があるらしい。世の中のほとんどの機械は魔力や電力で動くけれど、魔力はともかく電力は火力や風力に頼っているところが多いと教わった。火力は大量の資源を必要とする上に空気を汚し、風力は供給があまり安定しないと聞く。そういう問題を抱えている地域で何か一役買えるとなれば立派になれそうだ。


 はたまた研究者というのはどうだろう。


 魔術を用いた新しい技術の開発。それができればいまの暮らしはもっと便利なものになるに違いない。世の中には天才と呼ばれる研究者もいるらしく、そんな人と肩を並べられるようになったらきっと自分を誇れる。



「ってさすがに夢見すぎかな」



 あまりにも壮大な妄想に堪らず頬を掻いてしまう。自分がそんな大それたことができるとは思えない。


 まずは〝第五階級魔術師〟フィフスメイガスの資格を取ること。将来をどうするにしても一歩一歩だ。


 どのような職に就くことになれ、こんな自分を育ててくれた両親に恩返しができればそれでいい。


 紫色の長髪を揺らしながら、鼻歌交じりに新しい通学路を歩いた。


 程なくして校門に到着。


 新しい学び舎。新しい学生生活。新しいこと尽くしでウキウキワクワク。これからが楽しみで仕方がない。


 自分と同じように校門をくぐって行くのはこれから同じ時間を過ごす新しい仲間と先輩たち。


 良い人たちに出会えたら良いなと思う。高校生活の仲間ももちろん良い人たちだったけれど。


 そわそわ。きょろきょろ。


 目に映るもの全てが新鮮でつい余所見をしながら歩いてしまう。


 そんなことをしているから、前に立ち止まっている人がいることにも気づかずにぶつかってしまうのだ。



「んっぷ!?」



 我ながら随分と間の抜けた声が出たものだ。あまつさえぶつかった反動で尻餅をついてしまう。


 ぶった鼻がツンとする。打ったお尻もヒリヒリ痛い。


 若干涙目になりながら見上げると立っていたのは男の人だった。


 自分よりも三つくらいは年上な印象。この学校の先輩かも知れない。


 そんな彼の髪の毛の色は真っ白。こちらを見下ろす瞳は蒼く輝いていた。


 ファッションかな? 目はカラーコンタクト?


 自分の髪と目も珍しい部類だということを棚上げして、変わった身なりだなと漠然とそんな感想を抱いた。



「悪い、ぼうっとしてた。大丈夫か?」



 ぶつかったのはこちらなのに彼は謝りながら手を伸ばしてきた。


 見た目も珍しければその行動も物珍しい。転んだ女の子に手を差し伸べるなんてフィクションの中だけだと思っていた。


 手を取るべきなのだろうか。でも少し気恥ずかしい。でも手を取らなければ彼が間抜けな人みたいになってしまう。


 転んだから手を貸してもらうだけ。恥ずかしくない。照れる必要はない。おかしいことなんて何もない。


 努めて平静を装って、差し出された手を取った。ぐいっと力強く引き上げられる。



「わわっ」



 線が細く見えるのに意外と力が強い。また変な声を出してしまった。



「あ、悪い。力強すぎたか?」


「あはは、ちょっとびっくりしたかも……です」



 先輩だよね? 周りの人たちと違って落ち着いてるし。堂々とした立ち振る舞いが大人っぽい。



「今日からここに通うことになったんだけど、学校っていうのは初めてなんだ。校舎を見上げてたらつい立ち止まってた」



 なんと自分と同じ新入生でした。え? え? 大人っぽすぎない? 同い年に見えないんだけど。


 馬鹿騒ぎしていた母校の男子と比べると、なんかこう――オーラが違う。


 上手く言えない。だけど言い表せないのだからしかたがない。とにかく何か違うのだ。


 でも同じ新入生なら敬語はいいよね?



「そうだね。私もいろいろ目移りしちゃってたからわかるかも」



 今しがたの醜態を思い返してなんともお恥ずかしい。スカートについた砂埃を払いながら笑って誤魔化すことにした。



「今日は兄か姉の入学式を見に来たのか?」



 ん? いまなんと?


 こてん、と首を傾げる。自分は一人っ子。兄も姉もいない。というか入学するのは私だ。


 彼も首を傾げた。



「見たところ中学生くらいだろ? 身内を見に来たんだと思ったんだが、違うのか?」



 そこまで言われてようやく理解が追いついた。


 この人も自分と同い年だと思っていない。しかも幼く見られた!



「違うよ!? 私これでも十八なんだからね!」


「そ、そうだったのか。小さかったからつい……悪い」



 確かによく小さいと言われるけども。小さい小さい言われるけども。高校の女友達にはマスコットみたいに扱われていたけども。



「むぅ」



 初対面だから悪気はないだろう。だけどそれが余計に傷つく。


 コンプレックスとはそういうものだ。


 さすがに口には出さないけれども、頬を膨らませて不満を表す。



「悪かったよ。だからそんな顔しないでくれ」



 彼は困ったように宥めようとしている。なんだか結局は子供扱いされている気がする。


 ふと気づけば周囲から生温かい視線が。通り過ぎる人たちが微笑ましいものを見るようにクスクスと笑っていた。


 気づいてしまえば湧き上がってくるのは羞恥心。顔が熱くなってくる。



「……わかってくれたなら、いい」



 もそもそ。そう言うのが精一杯だった。


 彼は胸を撫で下ろして、ありがとう、と言った。


 許したことについて感謝されてしまった。大人な振る舞い。そうか。そういう立ち振る舞いが雰囲気に滲み出ているのか。


 自分との差を見せつけられたようで何となく悔しい。


 いつか自分も大人な女に……。



「せっかくだ。一緒に行かないか?」



 誘われた! 友達第一号。しかも割とカッコいい男の子! ううん、男の人。


 恋愛も学生生活の醍醐味だ。いや、この人がそうかはわからないけども。


 あれ? もしかしてこれフラグ?


 いやいやそんなまさか。入学式だから。新しい学校生活だから。浮き足立ってるだけ。この高揚感はそれが原因。それが理由。吊り橋効果みたいなもの。



「俺は黒神輝だ。お前――いや、えっと……君は?」



 わざわざ言い直す。確かにお前と呼ばれることを嫌う子は多い。それを知ってのことだろう。


 過去に誰かに注意されたのかな?


 頬が緩んでしまう。こういう辿々しいところがあるとちょっぴり親近感がわく。


 見た目同様、名前もこの都市では珍しい。しかしそれは自分も同じ。もしかして同じ地方出身だろうか。ちょっと親近感。



神楽夕姫かぐらゆうきってゆーんだ。よろしくね、黒神くん」


「ああ、よろしく。けど出来れば輝と呼んでほしい。黒神と呼ばれるのはあまり好きじゃないんだ」



 なんてハードルの高いことを言うんでしょうか。出会って間もない男性をファーストネームで呼ぶなんて。


 もしかしてこれは駆け引き? 向こうから距離を縮めようとしてくれている? ということは、彼は自分を口説こうとしているのか?


 いやいやそんなまさか。それは思い上がりというものだよ神楽夕姫。いくら少しばかりかっこいい男性とはいえ飛躍させるのは良くない。


 勘違いして小っ恥ずかしい目に遭うのは自分だからね?


 ぶんぶんと頭を振って馬鹿な考えを追い出した。とはいえ考えてしまった以上、少しばかり意識してしまうわけで。



「じゃあ、私のことも夕姫って呼んでくれたらいいよ」



 照れ隠しも兼ねてそんなことを提案。逆の立場になればどう考えるか。きっと彼も気恥ずかしくて躊躇うに違いない。彼が二の足を踏めば、こちらも逃げ道を作れるというもの。


 小賢しい? 知ったことではないのだよ。恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。



「そうか。じゃあ遠慮なく夕姫と呼ばせてもらうよ」



 そんな思惑は通じなかった。何の抵抗も見せず普通に名前を呼んでくれる。


 嬉しいけども! 嫌ではないけども! もうちょっとこう、なんというか、あってもよいのではないだろうか!


 こういうのを策士策に溺れると言うのだろうか。退路を断たれてしまった。



「どうかしたのか夕姫?」



 何の躊躇いもなくまた名前を呼ばれた。じんわり暖かくてくすぐったい。口がもにょもにょ動く。


 覗き込んでくる彼の顔がまともに見れない。



「な、なんでもないよっ。えっと……その……」



 大丈夫。ただの名前。新しく出来た友達を呼ぶだけ。それだけ。なんでもないことなんでもないこと。普通のこと普通のこと。



「ひ、輝……くん」



 蚊の鳴くような声で彼の名を口にした。


 これが精一杯。彼みたいに呼び捨ては難しい。だってそんな呼び方したことないもん。


 けれども彼は目を細めて穏やかに笑った。



「ああ、ありがとう、夕姫」



 名前を呼んだだけ。それだけなのに彼は――輝は嬉しそうに笑う。


 つられて自分も嬉しくなった。



「さて、じゃあ行こう。早く行かないと良い席がなくなる」


「入学式に良い席なんてあるのかな?」



 後ろの席なら眠りこけていても見つからなさそうだけど。もしかしてそういうおつもり?



「最前列がそうだと聞くけど違うのか? 席を確保するのに高い金を払う必要があるって聞くぞ? 入学式は自由席な上に無料だからすぐに埋まってしまうと思ってたんだけど」


「それはコンサートとかライブの話だと思う」



 学校行事で率先して最前列を取ろうとする学生はいなくもないが多くはない。



「違うのか?」


「違うかな」


「でもせっかくだ。最前列で鑑賞しよう」



 そういうものでもないと思うけど、と夕姫は苦笑した。


 なんだかちょっと変わったところもあるんだなと思いながら彼の隣を歩く。


 新しい生活のスタートとしては悪くはない。


 学び、遊び、励み、悩み、努め、恋し、恋され、良いことも悪いことも、いろいろなことが起こるだろう。


 これからどんな出来事が待っているのか楽しみで仕方がない。


 とりあえず希望を述べるなら一つだけ。


 輝くんと同じクラスでありますように。


 そんなことを考えている自分にはこのとき自覚はなかった。


 フラグが立っていたと自覚したのは――輝が学園を去ってからだった。


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