殺人病

紫田 夏来

第1話

「祐実、ちょっと入るわよ」

「入るわよ」ということは、入ってもいいか確認をとるつもりはないということ。伯母さんはもう入るつもりでいるから、入らないで欲しいという私の気持ちは分かってもらえるはずがない。十七歳の姪の部屋に許可なしで入るなんてあり得ないって、こいつは分からないのかよ。

 足の不自由なお婆ちゃんと、お母さんの姉と、私。ド田舎の小さな集落で、私たちは暮らしている。父は十何年も前に死んだし、母は八百屋に行くと言って家を出たきり戻っていない。私は天涯孤独。このババアと顔を合わせる度に痛感する。結婚に失敗した出戻りクソババア。

 これでも、私は東京の大学に進学するために勉強に励んでいるんだ。高校を卒業したらすぐにでも自立してやる。家の中なのにケバい化粧をして、くさい香水の臭いをプンプンさせているババアは邪魔でしかない。大っ嫌い。

 このうっぷんを吐き出そうと、私は将人に電話した。


 スマホが震えたので確認すると、二宮祐実と表示されていた。なんと間の悪い。やっと千夏とデートにこぎつけたというのに。

「悪い、電話だ。」

「誰から?」

「先輩」もちろん嘘。デート中に他の女からの電話に出るなんて、絶対千夏に嫌われる。

 あいつは何かあると必ず俺を頼ってくる。やっとあのクソ田舎から抜け出したというのに、祐実と話した途端現実に引き戻される。俺は田舎者。この場所の人間じゃない。頭の中に住み憑いた何かが、俺に訴えかける。

「なんだ?」

「ババア。また襲ってきた。」

「それだけか?切るぞ」

「押し入れを漁られてる。」

「俺、今デート中なんだよ。後にしろ。」

「待ってよ。切らないで!あんたに見放されたら、私、」

「とにかく、後で聞く。今は無理だ。」

「将人!ねえ、将人!」

俺は、祐実の叫びが聞こえなかったかのように、電波のつながりを切った。


 将人に見捨てられた。将人に捨てられた。

 お婆ちゃんは動けない。誰も助けてくれない。

 私の居場所なんてない。ここは私の場所じゃない。ババアのテリトリーだ。

 秘密のものをまとめて仕舞ってある天袋を開けられた。無駄に背の高いババアは、脚立なしで手が届く。自分の気持ちを吐き出した日記帳はガムテープでぐるぐる巻きにしてあるけど、あんなものが見つかったらどうなることか。

 ババアへの不満。ババアが嫌い。学校が嫌い。会話が嫌い。この場所が嫌い。人間が嫌い。どこでもいいから、ここ以外の場所に行きたい。私が私でいられる場所に。

「あんた、ここにあった壺知らない?」

「壺?知らないわ。」確か、屋根裏に置いてあったはず。もう出すの?祭りはもう少し先でしょ。

「あんたが小さいとき、中身を見ちゃってさ、食べ物だって教えてやったら食べてみたいってうるさかったんだよ。覚えてるだろ。ほら、どこにある?」

「屋根裏じゃないの。大掃除の時に置き場を変えたじゃない。」

「態度悪いね。さっさと言いなさいよ。」

 ババアは腹の贅肉を揺らしながら、天袋に入るために脚立を取りに行った。

 まずい。隠してあるものが見つかっちゃう。そんなの、困る。私はどうなっちゃう?

 手が小刻みに震える。

 あいつのガラクタが多すぎるせいで、長いこと使い続けていた棚はババアに占拠され、もともと鍵付きの引き出しに仕舞ってあった秘密たちはすべて追い出された。仕方なく天袋に置いておいた。何もかもあいつのせいだ。お婆ちゃんと二人、幸せな生活を奪い、平和な日常を、破壊して。それでもあいつは不満足らしい。

 私は、持ち前の勉強机の椅子を伝って天袋に入った。壺の中身を食べてやる。あいつへの復讐だ。持ち前の運動神経で素早く事を済ませると、壺を持ったまま、床へ飛び降りた。ちょうどババアが戻ってくる。

「お前、なにしてるんだ!壺!」

 思った通り、ババアは激昂する。私はババアに襲いかかる。私の理性は、もうどこかへいなくなった。

「祐実!やめろ!祐実!」

 あおえあんえいああいあおえあんえいああいおんあおおおあいああおんあおおおあいああおんあおおおあいああおんあおおおあいああ

自業自得なんだよ。私の幸せを奪うから。

「祐実……やめて……お願い……祐実……」

おんあおおおあいああおんあおおおあいああおんあおおおあいああおんあおおおあいああおんあおおおあいああおんあおおおあいああおんあおおおあいああおんあおおおあいああおんあおおおあいああ

もう一人の私が、私に囁いた。

ババアは悪魔なんだよ。要らない奴だよ。人でなしだよ。あいつなんて要らない。

おんあおおおあいああおんあおおおあいああおんあおおおあいああ

ババアはもう何も言わなくなった。

おんあおおおあいああおんあおおおあいああおんあおおおあいああおんあおおおあいああおんあおおおあいああ

「だから、みちゃダメって、言ったのに。」

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