3-1.蘇芳の守り袋

「嫌だ、イヤダ、いやだ!!! 兄者―――!!!!」


 ハヤテは、青い血をとめどもなく流しているシナトを抱き抱え、大声で叫んだ。

微かにシナトのまつげが揺れる。慌てて朦朧としているシナトを地面に寝かせた。


「兄者! 兄者! しっかりしろ!! 今、蓬を持ってきてやるから……」


 ハヤテは着ていた服を脱ぎ棄て、破り捨て、シナトの胸に当てて手で押さえていた。まだ、かすかにシナトの口から息がこぼれる。シナトの手が宙をさまよう。


「兄者! 守り袋か? 守り袋を探しているのか?」

「……おばばさま……」

「おばば? おばばがどうした?」

「……ありが……とう……」


 ハヤテの声を聴きながら、シナトは、朦朧とする意識の中、自分を守ってくれた婆のことを思った……。


 

 





◇◇◇


「お婆様、ご所望のもぐさをお持ちしました」

「おお。シナトか。はいれはいれ」


 婆の部屋の扉を開けると、浅黄色の布が一面に干してあった。部屋中が陽の光に包まれているようだ。シナトは思わず目を細めた。


「ハヤテの服を作ろうと思ってのぉ。あの子はすぐに大きくなる。もう、お前よりも頭一つ大きいかの?」

「いえ、私はハヤテの胸ほどの背丈しかありませんよ」

「そうかい? まあ、図体が大きくてもあの子は小鬼じゃからな。角も生えとらん」


「それは……」と言いかけて、シナトは黙った。ハヤテに角が生えていないのは、鬼として覚醒していないからだ。『ハヤテが十七になるまでに覚醒しなかったらお前の命を差し出せ』と言ったイナサの言葉がよみがえる。ハヤテが十七になるまであと十日ほど。猶予はあまりないということになる。難しい顔をして悩んでいるシナトに婆が、浅黄色の布の投げてきた。シナトは慌ててそれを受け取る。


「お前が育てたヨモギを使って、染めてみたのじゃ。この色だったら、ハヤテの髪もよく映えよう。よもぎと言えば、ハヤテも喜ぶだろうしな」


 ―― ハヤテの青い髪、青い目にはこのうすい黄色はよく映えるだろう。


 シナトもハヤテがこの布の服を着た時のことを想像して、頬を緩めている自分がいることに気がついた。


「しかし、ハヤテも十七か。あやつは、大人になりたくないとごねているそうだな」

「はい」

「誰に何を聞いたのか知らぬが、あやつは大人になったらお前がいなくなると思っているからな」

「……」

「それはそうと、お前はどうするか決めたのか? 今なら逃げられるぞ。わしが手引きしよう」

「そうなれば、お婆様に迷惑がかかります。それに……」


 シナトは浅黄色の布を婆に渡して、うつむいた。言葉が続けられない。


「それに、どうしたのじゃ?」


 婆は布を受け取ると、かわりに、机に置いてあった無花果をシナトに渡す。シナトは黙ってそれを受け取ると、半分に割り皮ごとしゃりっと食べ始めた。ねっとりとした甘さが口の中にひろがる。ごくりと飲み込むと、ぼそりとつぶやいた。


「……どうしたらいいのかわからないのです」

「ん?」

「鬼は屠るもの。動物も人間も鬼でさえも、弱いものの命は奪うべきもの。そう思って生きてきました。ですが、ハヤテは違う。生き物を殺すのをよしとしないし、いまだに死体を見ると涙しています。私は、そんなハヤテがうらやましい……」


 無花果の甘さのせいか、するりとシナトの本音がこぼれた。


「ハヤテにはないこのつのを見る度に、自分がとてもあさましく感じるのです」

「そうかの? お前はりっぱな鬼だ。この里でもお前が勝てない鬼はイナサぐらいじゃろ? 強い鬼であることを誇ってよいぞ。

 その角だってわしは好きだ。スオウの赤が入った黒紅梅くろべにうめ色は、お前がスオウの子どもだという証だ。


 ……、それにな、……、お前に鬼を喰らえといったのはわしじゃ。もし、責めるのならわしを責めろ」

「いいえ。お婆様は、いつも私を気にかけてくれていました。私を守ってくれました」

「わしは、スオウを守れなかったからの……。だから、お前にスオウを重ねていただけじゃ。そんなわしの気持ちを汲んで、お前が髪を伸ばしていることをわしは知ってる。お前は鬼にしては心根の優しい子じゃ」


 婆はシナトに近寄り、シナトの長い髪を触った。


「……して、何を悩んでおるのじゃ?」

「はい……、ハヤテになら喰われてもいいかと思う自分がいるのです。理由は二つあります。一つは、無垢なハヤテを私の血で穢したいという私のやましい気持ち、もう一つは、喰われたらハヤテの一部になることができるという私の身勝手な思い……」

「……、お前がハヤテを喰らうという選択はないのか?」

「それはありません。小さなころは大嫌いでしたが、こんな私を、毎日、毎日、兄者、兄者と慕ってくれたハヤテを喰らうことなどできません」

「そうか……。ならば、ふたりでどこぞへ逃げるという選択はないのか?」


 シナトは、静かに首を振った。父者と母者は逃げた。シナトが生まれてからは三人で逃避行の毎日だった。しかし、結局見つかって、二人は殺された。シナトはハヤテにそんな未来を望んでいなかった。


「そうか……」


 婆も机に手をのばして、無花果の皮を剥きだした。そして、しゃりしゃりっと小さな音を立てて、食べ始める。婆とシナトがしゃりしゃりっと無花果を食べる音だけが部屋に響く。


 食べ終わると、シナトは、首にかけていた蘇芳の守り袋を取り出した。


「……、お婆様、おそらく、これが最期になると思います。なので、これを……」

「それは、スオウがお前のために作った守り袋……」

「父者が母者と同じ名前の色だからといって、母者に贈った布だと聞いています。中には植物の種が入っておりますが、私の知識では何の種だか……」

「……そうか……」

「それでは、……無花果、とても甘くておいしかったです。ありがとうございました」



 シナトが、婆の部屋から出ると、そこにはイナサが立っていた。


「ふん。逃げ出さなかったことを誉めてやろう。これから、人攫いに人間の里へいく。付き合え」

「はい?」

「ハヤテの祝いの席だ。みなにも旨いものを喰わせなくてはならんからな」



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