蒼い月に咆える

一帆

1.逢魔が時 鬼の咆哮


 西の空を焦がしていた夕焼けが徐々に闇に押され、空は、赤紫色が藍色の空に混ざったような色を呈していた。逢魔が時だ。昼と夜がせめぎあい、空には、蒼い月と黄色い月が見え始めた。人間は鬼が出る時間だと外で遊んでいる子ども達を叱り、家の戸口をしっかりと閉じる。


 次第に、赤紫色の空は藍色に、そして、闇色に変わっていく。




 そんな時間、夜叉山の山奥深く、鈍くて重い剣と剣がぶつかる音が響いていた。


 ガキィィィイイイイイン。


 

 ところどころにかやの葉が揺れる荒れ地で、対峙している鬼が二匹。迫りくる闇の中、二匹の体から発せられる青と黒の鬼気ききが妖しく揺らめいている。

 黒い鬼気をまとった長い黒髪の鬼から振り下ろされてきた大剣を、青い鬼気をまとった青髪の鬼の剣が受け止める。青髪の鬼の左足からざざっっっと土ぼこりをあがる。二匹の鬼はしばらく睨みあった後、同時に後ろに飛んだ。


「兄者、剣をおさめてくれ!」


 赤褐色に鈍く輝く剣を持つ青い鬼気の鬼の声が響く。短い青髪。青い目。大きな体躯。がっちりとした胸。大鬼と言っても過言ではない。しかし、どこか優し気な顔には、鬼の象徴である角が生える額にこぶのような膨らみがあるだけだ。


「もう、私はあなたの兄者ではありません」 


 大剣を振り上げた黒髪を後ろで束ねた鬼が、持っていた大剣を力いっぱい振り下ろす。鬼と言っても華奢で、大剣を振り下ろす力はどこからでるのかわからないほどの細い腕。しかし、黒紅梅くろべにうめの目と立派なこれまた黒紅梅くろべにうめつのは、鬼であることを物語っている。


 真っ黒な鬼気をはらんだずしんと重い風が青髪の鬼に直撃する。青髪の鬼はよろめかないようにぐっと腹に力を入れて、吠えた。


「兄者は兄者だ! 俺にとってはシナトは大切な兄者だ!!」

「また、そのような駄々っ子のようなことを。もう、ハヤテ様、あなたは子鬼ではありません。鬼は奪うもの。鬼はなれ合わないもの。いつまでもみんながあなたを守ってくれていると思うのは間違っています。これからは、鬼として自覚をお持ちなさい」


 黒髪の鬼は大剣を持ちかえると、横に大きくふった。


「いやだ!!」


 青髪の鬼は、大剣が届かない場所に飛びのくと、駄々っ子の子どものように叫んだ。それをみて、黒髪の鬼が困った顔をして首をふった。


「お館様は、私を殺すように言ったのではありませんか?」

「言った。でも、俺は、……俺は兄者と争いたくないんだ」


 泣きそうな顔をして青髪の鬼がつぶやく。大きな体躯だというのに、小さな子どものように頼りない。


「ばかなことを。それでは、ハヤテ様はどうしてここへ来たのですか?」

「とっさまも里もすてて、兄者とどこかへ行こう!って言おうと思ってここへ来た。 兄者、そうだな、あの蒼い月はどうだ? あそこには、戦いもなく安穏に暮らせる場所があるとお婆が言って――」


 ブォォォォン


 黒髪の鬼は青髪の鬼の言葉を否定するように、切り裂くように大剣を振り下ろした。青髪の鬼は、黒髪の鬼の剣をよけると、後ろに飛びのいた。


「あの蒼い月に行けるわけがないじゃないですか。どうやって、空に浮かぶ月の世界へ行くというのです? 鬼には鳥のような羽はついていません」

「それは、月に向かって歩けば、いつか行けるさ。兄者と二人なら、なんとでもなる

!!」

「そんな戯言ばかり言って……。もう、子鬼ではないと何度言えばいいのですか」


 黒髪の鬼が大剣を一回転させて、振り下ろす。剣に乗せられた鬼気の圧力で地面が土ぼこりを立てて割れる。青髪の鬼は、器用にそれをよけると、黒髪の鬼に声をかける。


「と、とにかく、俺は兄者がいれば、それでいいんだ。俺にとって兄者が唯一の存在なんだ。兄者さえいればどんな世界だって、どんな試練だって耐えて見せる。だから、兄者、その剣をおさめてくれ!」


 青髪の鬼の青い瞳がまっすぐに黒髪の鬼を捉える。黒髪の鬼はその必死な瞳に耐え切れず、目をそらした。大剣を握る手の力がゆるみ、一瞬、動きが止まる。迷う心を映すかのように、黒髪の鬼の鬼気が揺らぐ。青髪の鬼は、自分の想いが通じたと思い、黒髪の鬼の元へ歩き出した。しかし、ふと、目に留まった黒髪の鬼の胸を見て、足を止める。


 ―― 何だ? この違和感。


 よく見ると、黒髪の鬼の大きくはだけた胸元にいつも首からぶら下がっていた蘇芳色の守り袋がない。

 鬼の里では手に入らない蘇芳という植物から取った色で染め上げたというその袋は、黒髪の鬼が大切にしていたものだったはずだ。


「……、兄者、守り袋はどうしたんだ?」

「……」

「誰かにあげたのか?」


 青髪の鬼は胸がチリリと痛むのを感じながら聞いた。

 

「……、私が誰に渡そうともハヤテには関係ない話です」


 黒髪の鬼が青髪の鬼から目をそらしたまま言った。黒髪の鬼と自分の間にはいつも見えない壁のようなものを感じていた青髪の鬼は、その言葉を強い拒絶と受け取った。青髪の鬼の心はざわざわし始め、さっきまでの黒髪の鬼を信じ切っていた心が乱れていく。かわりに、猜疑心が青髪の鬼の心をとらえ始めた。


「……、とっさまは、兄者が牢屋にいた人間の女を逃がしたと言っていた。それは本当か?」


 ―― お願いだ。違うと言ってくれ!


「……本当だ」

「なぜだ? なぜ、そんなことをしたんだ???」


 青髪の鬼は語気を荒げて、黒髪の鬼に詰め寄った。黒髪の鬼は視線をそらして黙ったままだ。





 

 攫ってきた人間の女が牢屋からいなくなった。鬼の当主は、「シナトが人間の女を逃がしたのだろう」とみんなの前で言った。「そんなことはしない」とハヤテが言っても、誰も信じない。所詮、鬼なのである。人間のような心は持ち合わせていない。それでも、ハヤテはシナトを信じていた。

 「あいつは所詮、混ざりものの鬼だから人間の女に惚れたのかもしれんなぁ」という鬼の当主の言葉にも、「俺はとっさまの言葉より兄者を信じる!」と言い切った。


 それが、音を立てて崩れていく。


「もしかして、兄者は、その……人間に惚れたのか? それで、大事な守り袋を渡したのか?」


 ―― どうか、違うと言ってくれ。


 ハヤテはすがるようにシナトを見た。シナトは、下唇をなめ、噛み、なかなか答えなかったが、ぶぉんと大剣をふると、ハヤテを睨みつけた。そして、絞り出すような声で「……そうだ」と答えた。


「なぜだぁああああ?」


 吠えるようにハヤテは叫んだ。体中が熱い。裏切られたという思い。シナトの唯一の存在は自分ではなかったという失望。いつもシナトと自分との間には見えない壁があって、どうしても入り込めなかったシナトの心にいとも簡単にはいりこんだ人間の女に対する嫉妬。いろんな感情が、ハヤテを捉え、鬼気がめらめらとたちのぼる。


「俺は兄者を信じた」

「…………」

「誰がなんと言おうとも、兄者が村のものが攫ってきた人間の女を逃がすようなことはしないと信じてた」

「…………」

「それなのに、……それなのに、……、俺の信頼を裏切った……」


 ハヤテは血走った目でシナトを睨みつけた。ハヤテは、自分の剣に青い鬼気を纏わせるとぶんと振った。ものすごい速さの風がシナトを襲う。シナトは慌てて飛びのく。


「そのうえ、俺には触らせてもくれなかった守り袋を女にやってしまった」

「…………」

「俺より、そいつのほうがいいのか? なあ、兄者、…… 人間の女はそんなにいいのか……? 俺は兄者が唯一の存在だったのに、兄者さえいればいいとさえ思っていたのに、……、兄者は、俺よりそいつの方が好きなのか? なあ、とっさまの言う通り、惚れたのか? なあ、どこが、いいんだ? 胸か? 尻か? 匂いか? なあ……兄者……、答えろよ!!!」


 ぶおん、ハヤテは片手で額を抑えながら剣を振り回す。ハヤテの頭の中はもうぐちゃぐちゃで、がんがん太鼓がなっているような状態だった。しばらく、剣をふりまわしてのたうち回っていたが、ハヤテはぐっと剣を地面に突き刺した。そして、柄を両手で強く握りしめて、シナトを血走った目で睨みつけた。


「やっと、鬼として覚醒したということですか……」


 シナトは寂しそうにつぶやくと、わずかに口角をあげた。顔をあげたハヤテの今までたんこぶ程度の膨らみしかなかった場所に、5寸ほどの角が生えていたからだ。

 

「…………これで、最後ですね」


 シナトが全身の鬼気を大剣に込める。闇夜より真っ黒な闇が大剣にまとわりつく。そして、シナトは構え直すと、ハヤテに襲い掛かってきた。頭がぐわんぐわんして何も考えられないハヤテは咄嗟に剣を突き出す。

 

 どすっ。


 肉を突き刺す嫌な音がハヤテの耳に届いた。ハヤテの剣が何かにからめとられる。ずしりとした重さがハヤテの手に伝わってくる。


 ぬるり。


 ハヤテの手に生暖かい液体があたる。ハヤテははっとして、自分の持つ剣を見る。青い血だ。


「……あ、あ、兄者……?」


 ハヤテは目を見開いて、自分に覆いかぶさるように立っているシナトを見る。シナトの胸には、ハヤテが突き出した剣が背中まで突き抜けている。ハヤテはあわてて、手を離した。自分の手にはシナトの青い血がべったりとついている。


「あ……あ……ああ…………」


 ハヤテは声にならない声をあげる。シナトはハヤテから数歩離れると、自分の胸に刺さった疾風の剣を勢いよく抜いた。どしゃっという音をたてて血が地面に落ちる。シナトから流れる血は止まるところを知らない。


「ぐふっ……」


 地面に突き刺した大剣に縋りつくようにして、シナトは膝をついた。


「あに……、兄者……?」


 ハヤテはあわてて、シナトに近寄り、流れ出る血を少しでもせきとめようと、自分の手をシナトの傷口に当てる。いくら手を当てても、青い血は水のように、ハヤテの手の間からすり抜けてしまう。それでも、ハヤテは必死で抑えた。


「……ハヤテ様」

「なぜ? なぜだ??」

「今日のハヤテ様は『なぜ』とばかり聞いてきますね。まるで、子どもです。やっと、覚醒したというのに、鬼としての自覚を持たなくては……」

「だって、兄者、……わざとだろ? わざと俺の剣に胸をあてた……」

「ぐふっ……、そんなことはありません。ハヤテ様が強かったんです。私が弱かったんです。それだけです……」

「兄者、しゃべるな! そうだ! 横になれ。血を失わないよう俺が手当てを……」


 青白い顔をしたシナトが力なく首をふる。


「……、鬼は屠るもの。鬼は奪うもの。…… ハヤテ様、あなたは私を屠り、……私の命を、能力を奪うのです。そうすれば、……、あなたの憂いはなくなり、私は、ハヤテと……永遠に……一緒に……」

「嫌だ、イヤダ、いやだ!!! 兄者―――!!!!」




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