第8話 キスシーンからはじめよう

 カクヨムアニバーサリーコンテスト2022(KAC2022)お題「焼き鳥」に投稿した作品です。一部、加筆修正してこちらに転載しました。


 ⭐⭐⭐⭐⭐


 両手を肩に伸ばして顔を近づけると、ユウカは微笑んで静かに目を閉じた。


 山の中だからか辺りシンとして、人のいる様子はない。聞こえてくるのは、小鳥の囀りと彼女のちょっと弾んだ息づかいだけ。


 俺はユウカのぽてっとした唇に、そっと自分の唇を重ねた。


 周囲が木の茂みで囲まれたその空間は、俺と彼女ふたりだけの世界だった。まるで俺達の周りだけ、時間が止まったみたいだ。


 唇を離すとユウカは静かに目を開き、潤んだ瞳で俺を見て笑みを浮かべる。


「もう、いっかい」


 そう囁いて、彼女は人差し指をぴんと立てた。

 思わず笑みを零して、俺は頷く。


 ユウカが目を閉じると、俺は彼女の頬に右手を伸ばした。なめらかで柔らかいユウカの頬の感触が伝わってくる。

 俺はユウカに顔を近づける。彼女の息づかいを感じた。


 つやのある薄紅色の唇が、早く早くとせがんでいる。


 その時――


 ガササッ!


 びびっくう!


「イエーイ! オレがいちばーん!」


 小学生ぐらいの少年が、飛び出してきた。

 俺達は、突然飛び出してきた闖入者に顔を向けた。


 少年と目が合う俺。

 彼は、目を丸くして俺達を見ている。


 バクバクと俺の心臓が早鐘をうつ。口の中に、じりりとした変なカンジの唾液が湧き出てきた。

 左手で俺の綿シャツをきゅうっと掴んでいるユウカ。右手で口を塞いで少年を凝視している。


 言葉もなく、時間が止まったみたいに固まる三人。


 やがて、はっと我に返った少年はバツの悪そうな表情で踵を返して、その場を去って行った。


 少年の背中を眺めながら、俺は「キミは悪くない、悪くないんだよ。ごめんね」とココロのなかで謝った。


 俺はユウカの手を引いて、いそいそと、その場を離れる。


 山を早足で降りていく途中、とうとう耐え切れなくなったのか、ユウカは手で口を塞ぎ亜麻色の髪を束ねたポニテールを揺らして笑いだした。


「ふっ、ふふふ……、ははははは。もう、やーだー」


「あははははっ、いや、もう、ガチでアセったって」


 事件現場からだいぶ離れたところで、俺達は腹を抱えて青空を仰いで笑い転げた。


 俺は小鳥遊マサヒロ、彼女は神崎ユウカ。同じ大学の3年生だ。俺達は、今年の4月に大学の教科書販売のアルバイトで出会い付き合い始めた。


 付き合い始めて半年余り。10月も半ばを過ぎた土曜日の今日、俺達は香嵐渓でデートすることにした。朝早く地下鉄の駅でユウカと待ち合わせて、俺の運転する車でやって来た。


 香嵐渓は、愛知県豊田市足助町にある紅葉の名所だ。

 この時期だと、紅葉にはちょっと早い。けれども赤や黄色に色づきかけたの樹々の葉は、透明感のある瑞々しい果物みたいに見えた。


 今日は天気も良くて気持ちいい。眩しくて青い空の下、近くを流れる巴川のせせらぎを聞きながら、俺達は手を繋いで歩いた。


 山から下りてきた俺達は、香嵐渓広場に立ち寄ることにした。


 なんだろう? どこからか焼けた肉の匂いがする。

 広場へ向かう道を歩いていると、入り口付近に人だかりが見えた。

 香嵐渓広場では猿回しの見世物がおこなわれていた。可愛らしい猿の芸に観客は時折笑い声を上げている。


「ねぇっ、みてみて、あれ!」


 猿回しに気を取られていると、ユウカが俺の袖を引っ張ってどこかを指さしていた。


「なに、アレ?」


 なんだか凄い行列ができている。行列は出店から続いているようだ。その店から肉の焼ける香りが漂ってくる。先ほどからしている香りは、この店からのモノと判った。


 店の看板に「猪肉フランクフルト・鹿肉フランクフルト」の文字が見える。


「ね、食べてみようよ」


 俺は行列というモノに並ぶのが、あまり好きじゃない。けれども、ユウカが食べてみたいというなら仕方がない。


 俺達は手を繋いで行列に並ぶ。15分くらい経った頃だろうか。ようやく俺達の番になった。

 やや白っぽい猪肉のフランクフルトと赤みがかった鹿肉のフランクフルト。どちらも一本600円。


「猪と鹿、どっちにするか選んでな」


 笑顔のおじさんが、俺達に注文を促した。


「あたしは、鹿肉がいいな。マサヒロは?」


「じゃあ、俺はイノシシにするよ」


 俺はおじさんの方に顔を向けて、指を立てて注文する。


「猪と鹿、一本ずつ下さい」


「はーい。猪と鹿一本ずつね」


 そう言うと店のおじさんは、二種類のフランクフルトを業務用の七輪で焙り始めた。肉の焼ける匂いが俺の鼻腔を満たす。


 フツウのフランクフルトよりも香りが強い。豚や牛、鳥とは違う独特の香りがする。


「はい。どうぞ。こっちが鹿で、こっちがイノシシ」


 俺はおじさんに1200円を支払って、二本のフランクフルトを受け取った。

 ユウカの手を引いて広場に置かれているベンチに腰掛ける。


 ユウカに鹿肉のフランクフルトを渡すと、俺は猪肉のフランクフルトにかぶりついた。

 皮がパチッと弾けて、なかからジュワっと肉汁が溢れ出す。少し香りの強い豚肉ようカンジだ。


「うまー!」


 鹿肉のフランクフルト齧ったユウカが、隣で声を上げる。そして俺の方を見て微笑んだ。


「ね、一口ちょうだい」


 俺は、ユウカに自分のフランクフルトを差し出す。彼女は、ぱくっと、一口齧ってもぐもぐする。


「ほあぁ、猪もうまいゾ」


 手で口を塞ぎながら、彼女は目を見開いて言った。そして、今度はオレに鹿肉のフランクフルトを差し出した。


 俺は彼女に促されるまま、ひとくち齧ってみた。

 鹿肉のフランクフルトは、サラミソーセージに似た味だった。口の中に広がる獣肉の香りさえ気にしなければ、なかなかイケる。ビールのお供にイイかもしれない。


 その後、俺達は巴川の河原で大きな石の上にふたり並んで腰かけながら、大学のコト、アルバイトのコト、就職活動のコトを話した。

 ごつごつとした岩の間を流れる川の水は、翡翠を溶かしたみたいな色をしていた。


 しばらくして俺達は、川に架かる朱色の橋「待月橋」へ向かった。橋を渡ってすぐのところに売店が立ち並んでいる。


 ふいに、ユウカが立ち止まり俺の腕を引く。


 彼女が、キラキラと目を輝かせる視線の先にあったモノ。

 それは「スズメの焼き鳥」だった。もちろん、鳥類の雀だ。


 ガラスケースのなかに、串を打ったスズメの焼き鳥がズラリと並んでいる。

 街中ではあまり見ることのない衝撃の光景に、俺は思わず息を呑んだ。


 お、おい、まさか?


「ふおおぉ、これ、これ買お!」


 ええええっ!?


 予感は的中した。ユウカは好奇心の強い女性で、新しいモノ、珍しいモノを見ると、いまみたいに目をキラキラ輝かせる。


「……で、できれば、他のヤツで。ほら、あっちのお店にジュラードが……」


「やー! もう、スズメしか、勝たーん!」


 俺の顔を見上げながら、ユウカは「スズメの焼き鳥」を強く主張する。


 スズメの焼き鳥は、魚のヒラキのような状態だ。いや、魚ならぬ鳥のヒラキ? 三本の櫛が打たれているそれは「ゆでガエル」みたいにも見えて、どこか哀愁が漂っている。思ってたよりも、平べったい。


 ユウカのキラキラ眼力に負けた俺は、仕方なく「スズメの焼き鳥」を買うことにした。


「お兄さん、このスズメの焼き鳥ください」


「二つね!」


 隣でユウカが指を二本立てている。


 え? やっぱ、俺も食うの!?


 ユウカの方を見ていると、お兄さんが俺達を交互に見て尋ねてきた。


「タレと塩どっち?」


 ユウカは人差し指を唇の下に当てて、俺の顔を見上げた。

 迷っているのだろうか?


 やがて、お兄さんの方に顔を向けて注文した。


「じゃあ、タレを2つ下さい」


「あいよ、1200円ね」


 俺が1200円を支払うと、店の兄さんはタレをつけた焼き鳥を七輪で焙り始めた。七輪から、焼けた鳥肉の香りが立ち昇る。


「どうぞー」


 しばらくして店の兄さんは、小さな白い紙袋に焼き鳥を入れてオレに差し出した。

 俺は袋を片手で受け取ると、彼女の手を引いて駐車場の方へと向かう。


 俺達は車のなかで、ソレを食べることにした。


 三本の櫛を打たれたソレは、見た目、魚のヒラキならぬ鳥のヒラキ。けれども、ぷらーんとぶら下がっている頭部が口に運ぶのを躊躇させる。瞼が閉じた目、くちばしがはっきりと判る。


 いくら好奇心の強い彼女でも、これを口にするのは流石にムリだろう。俺は、ユウカの方に視線を移した。


 ところがユウカの焼き鳥には、そこにある筈のスズメの頭部がない。なにかのはずみで落ちてしまったのだろうか? 


 俺はユウカの足元を、きょろきょろと探した。しかし、それらしきモノは見当らない。


「なぁ、ユウカのソレ、頭どうした?」


 ユウカはきょとりんとした表情で、オレを見て首を傾げた。


「え? 食っちゃったよ。旨かったゾ」


 頭から食っちまったのか!? すげぇな。勇者かっ!


 まさか人生のなかで、自分の彼女を「勇者認定」する日があるとは思わなかった。


 俺も思い切って頭から食べてみた。

 ぱりぱりとした食感のなかに、とろりとしたクリーミーな味わい。

 だが、それが何かは、聞いてくれるな。


 胴体部分に肉は、ほとんどない。どちらかと言うと、鳥皮を食べているみたいだった。小鳥は小骨ごと食べるものなので、ポリポリとした食感も楽しめる。

 見た目はともかく、味も食感も決して悪くない。


「……意外とイケる?」


「ねー。びっくりした」


 ユウカは俺の方を見て、笑みを浮かべた。そして手元のスマホに視線を落とした。

 スマートフォンを人差し指で下から上へと撫でながら、なにやら調べている。

 やがて指の動きを止めると、じっと画面を見つめた。


「ね、この近くにジビエ肉の専門店があるみたいだよ。行ってみようよ」


 そう言うと、スマホの画面を俺に向ける。

 そこは「猪鹿工房ヤマケイ」という名前のジビエ肉の加工施設兼直売所だった。


「へぇ。ジビエ肉の直売所か。面白そうだな」


 国道153号線を飯田市方面へ進み、新盛という県道19号線への交差点を左折。少し進んだところで再び左折。扶桑館という農産物の直売所の隣にあるようだ。香嵐渓からは10分ほどのところらしい。


「じゃ、行ってみようか」


 俺は笑みを浮かべて、アクセルを踏み込んだ。

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