黄金色の夜明け
朝焼けの空が真っ赤に燃え、ゆらゆらと窓の向こうで広がっている。
「すっげー綺麗! こんなの初めて見た!」
少年は窓に手をついて、空に釘付けになっていた。
死神は用があると言って、席を外していた。しばらくして現れたのがこの少年だった。
「鬼さんはいつもこの電車に乗ってるの?」
「いや、全然。この電車自体、あんまり動いてないしな」
「そうなの?」
「こいつがもっと走りたがってたんだ。断るわけにもいかないだろう?」
「何それ」
「線路の上を走っている時を思い出したらしい。もう何年も前の話なんだけどな」
蒸気機関車が各地を走り、人々で賑わっていた頃の話だ。
一時期は車庫から姿を消すという怪談話で盛り上がった。
現役で走っている列車もあるが、ほとんどが電車と入れ替わった。
人々の記憶に留まらなくなり、忘れ去られていく。この少年も同じだ。
「これからどこに行くの?」
「コイツを公園に返しに行くのさ。
借り物だから、元にあった場所に戻さないと」
元々は公園にあった展示品だ。窓や扉は完全に閉め切られている。
冥界から現世に戻る電車に何の用だろうか。
「なあ、どこから来たんだ? 死神からは何も聞いていないんだけど」
「ごめんなさい。誰かいないかなって思ってたら、電車が走ってたから」
少年は気まずそうに目を逸らした。
もう少しすれば、死神も戻って来る。任された仕事は終わった。
少年のことは気になるが、ここから先は踏み込んでいいものか。
逡巡していると、死神が不機嫌そうな表情を浮かべて戻って来た。
「アンタ、何でこんなところにいるのよ」
少年は死神の黒い外套を見るや否や、後ろの席に隠れた。
「このままだと安定しないから、おとなしくしてろって何度も言ってるでしょ」
彼は交通事故で重傷を負い、病院で昏睡状態に陥っている。
いつ目覚めるかも分からず、生死の境をさまよっている。
自分の身に起きたことが未だに信じられないのだろう。
幽体離脱し、人間界をうろついている。
外で遊んでいるうちに、鍵がかかっている電車内の紛れ込んでしまったようだ。
彼もまた、現世にとどまり続ける幽霊だ。
猶予期間が残っているとはいえ、あまり長くはない。
「乗り込んじゃったからにはしょうがないから、病院まで送ってあげる。
公園まで遠回りになるけど、そんな大した距離でもないし」
彼はそこから動こうとしない。遊び足りないと顔に書いてある。
「帰りたくないってよ」
「そんなこと言われても困るんだけど」
彼には普段通りに生活してほしいらしい。
その気持ちは分からないでもない。浮遊霊なんて見せたくもなかっただろう。
しかし、わざわざ抜け出してきたからには何か理由があるはずだ。
「そうだな、何時までに病院に戻ればいい? それまで一緒に遊んでるけど」
「何言ってんですか。こっちの仕事に巻き込むわけにはいきませんよ」
「このまま帰したとしても、また脱走すると思うよ」
後ろの席に隠れたまま、出てくる気配がない。
帰りたくないから、必死に抵抗しているのだろう。
「悪いようにはしないし、何ならウチの神社で面倒見るよ。
わざわざこんなところまで来たんだ。少しくらい、いいんじゃないか?」
死神の視線と真正面からぶつかる。
譲らないのを悟ったのか、呆れたように頭をかいた。
「何が起きても責任は取れませんからね」
一言吐き捨てて、隣の車両へ移動した。
「大丈夫かな、あのお姉ちゃんすごく怖いんだよ」
「どうもそうらしいな」
思っている以上に融通が効かない。
もう少し余裕があるといいのだが、そうはいかないのだろう。未練のある死者はすんなりと冥界には行かない。今度は苦虫をかみ潰したような表情で戻ってきた。
「風紋の鬼が見張りについているのであれば、問題ないとのことです。
お昼ごろ、迎えに来ます。それまでその子をお願いできますか」
「分かった。俺に任せな」
少年は嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「……本来であれば、私たちの仕事です。
あなたを巻き込むような真似はしたくなかったのですが」
「俺が勝手に言い出したんだ。あまり気にするな」
「感謝してもしきれませんね、本当に。それでは、失礼します」
機関車は走り続け、公園の展示台に戻った。
梅雨が降車した途端、雨が降り始めた。
茜色の空は消え、灰色の分厚い曇天が姿を現した。
音を立てて雨が降り出した。外に出るだけでこれなんだよな、困ったもんだ。
「急に降ってきたね。さっきはあれだけ晴れてたのに」
「そうだな、綺麗な朝焼けだった」
あんな空、もうしばらくは見られないだろうな。鈍色の空を見て思う。車内だったとはいえ、冥界がどれだけ快適だったか今になって分かる。傘をさして、少年の手を引く。ここから神社はすぐそこだ。
「ねーねー、その服ってコスプレなの?」
「言われると思った。俺は正真正銘、本物の鬼だよ。梅雨っていうんだ」
「へー、そうなんだ。おれは拓也っていうんだ」
「拓也か、改めてよろしくな」
「よろしくね、鬼さん!」
彼はあふれんばかりの笑顔を見せた。
そのあとは雨音をかき消すほどの質問攻めにあった。
風紋神社鬼たちによって管理されており、町に住むバケモノたちを取り仕切っている。
人間の眼に入らない世界だから、厳重に取り締まらなければならない。
迷子になった幽霊を導くのも仕事のひとつだ。
拓也の場合、外に遊びに行く感覚で体から抜け出している。
幽霊である自覚がないのだろう。
「あんな夜遅くに何をしていたんだ?」
「……誰かいないかなって思って、外に出てきちゃった。
夜になるとみんないなくなっちゃうから」
夜の病院にいる人間と言ったら、見回りをする警備員か看護師くらいか。
ずっと眠っているらしいから、話すこともままならないのだろう。
神社の境内で隣に座り、話を聞いていた。雨の音が沈黙を破る。
「時間になると、みんな自分の部屋に帰って行くんだ。
変な奴もたまにいるけど、何も話してくれないし」
「そうか」
「死神のお姉ちゃんは外で遊んでいるとみんなに会えなくなるよって。
いつも言うんだけどさ。パパもママもみんなそこにいるのに、何でそっちに行っちゃいけないの」
幽霊だから全然気づかれないだけで、ずっとそばにいる。
目の前にいたら、会いに行きたくもなるか。
死神の言葉を無視しても、何もならない。雨は降り続ける。
「このあたりに住んでいるのか?」
「病院からそんなに離れてないと思うけど」
「さっきさ、ウチの神社に御朱印をもらいに来てくれるって言ってくれる人がいたんだ」
「ごしゅいん?」
「まあ、スタンプラリーみたいなもんかな」
「スタンプラリーかー……」
「好きか、そういうの」
小さくうなずいた。
「じゃあ、ここで待ってるからさ。元気になったら遊びに来な。
いつでも待ってるからさ」
少年はしばらく黙った。
これで少しは死神の言うことも聞いてくれるだろうか。
「じゃあ、約束しよう! 元気になったら遊びに行くから!」
「分かった。待ってるからな」
梅雨がそういうと、ガッツポーズして喜んだ。
これなら心配する必要もなさそうかな。雨は降り続いていた。
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