第6話 憲法記念日は課題をするに限る

 ゴールデンウィークを楽しめるのは、小学生、中学生、高校生、とんで社会人。大学生、少なくとも僕のいる涼夏りょうか大学の学生は楽しめない。なぜなら、祝日という概念がない――すなわち、祝日にも授業があるからだ。

 今年の憲法記念日、5月3日は土曜日である。高校生だったら、あるいは社会人になったら、「立ち上がれ祝日!」「土曜日なんかに負けんじゃねえ!」などと土曜日のほっぺをパーンとたたいてやりたくなっていたであろう。だがあいにく今の僕にとって祝日は崇める存在でもなんでもない。

 そもそも、祝日くんはなぜ土曜日ちゃんに負けちゃうのかな、日曜日さまには勝てるのに。土曜日ちゃんの包容力、おそるべし。


 そんなこんなで、今日は憲法記念日といえど、ありきたりな土曜日。だからと言って、簡単に消化できるほど暇なわけではない。今日は今日の風が吹き、明日は明日の風が吹く。それと同じように、今週は来週までの課題が積もり、来週は再来週までの課題が積もる。涼夏大学生国際関係学部1年生は、課題と切っても切れない糸で結ばれている。


 ゆえに、今日は課題をやります。

 でも家にはいろんな誘惑があるし、目白の駅前にあるカフェにでも行ってこようかな。


 準備完了、戸締り良し、自転車の鍵良し。めんどくさいけど、駅前に参ります。

 めんどくさい課題をするために、めんどくさいけど、駅前までチャリを走らせる。


 世界は「愛」でできているとか、詭弁です。

 世界は、「めんどくさい」でできています!


 ♦


 駅前まで来て、予想以上の賑わいがあることに気づく。

 やっべ、今日土曜じゃん。

 やっべ、今日祝日じゃん。


 スマートフォンで時間を確認すると、液晶には14:25と浮かび上がる。

 あいてなかったらどうしよう。おとなしく帰るか。

 そんなことを考えながら、ダメもとで店に入った。


 幸運にも、知っている人――しかもそこそこ親しい人がテーブル席を1人で使っているのを見つけた。

 でも、どうやら勉強しているようすである。そんな中で、こっちから声をかけて、さらには相席を頼み込むとはなかなかやべえやつである。親しき仲にも礼儀あるべし。見なかったことにして、空席を探そうとする。


 そのとき、ノートパソコンに目を凝らしていた彼が、僕を見た。すぐさま僕のことを視認して、笑顔で手を挙げた。


「よー、そら!」


 呼ばれてしまってはしょうがない。彼のもとへと小走りで移動する。

 べ、べつに、声かけられるのを待ってたわけじゃないんだからねっ!

 勘違いしないでよねっ!


「久しぶり、たく


 僕はそう言って、空いている椅子を引いて、遠慮なく座った。


 僕、青葉 恵あおばめぐみ寺島 清花てらじまきよかの3人は、同じ船田ふなだ高校の出身であり、また同じ哲学サークルに所属している。僕の前に座る彼――久保くぼ 拓も、同じ船田高校の出身ではあるのだが、彼だけは入学前から決めていたソフトボールサークルに入った。

 違うサークルに入ったからといって除け者にするほど僕たちは幼くない。ただ、少し疎遠になってしまっていたことは否めない。拓が大学で心機一転新しい交友関係を構築しようとしているのなら、それを邪魔してはならないと考えていたからだ。まあそもそも、連絡を取る口実がないし。そんな上っ面だけのやり取りをする仲でもあるまいし。


 ただ、こうやって久々に、偶然会っても、元気そうで、なおかつ芯の部分は変わっていなさそうで、少しほっとした。

 そんなセンター分け、高校時代はしてなかったはずだけどね!


「ソフトのグラウンドは目白って言ってたもんな。その帰りに課題やりに来たって感じだろ」


 センター分けは、小さめの拍手をする。その姿が、小さいころに見た覚えのある、シンバルを持った猿のおもちゃと重なるので、笑いそうになるのをこらえる。


「お見事お見事。今日は冴えてるじゃないかぁ、たきがわぁ」


 拓は、高校時代の数学教師のモノマネをしてくる。相変わらずのハイクオリティーで、馬鹿だなあと思う。相変わらずそれで笑っちゃう僕も、やっぱり馬鹿だ。


 机上には拓の黒いノートパソコンと、アイスコーヒーが置いてあった。あれ、コイツこんなの飲めたっけ、でも1人で課題やりながら背伸びした注文すんのもおかしな話だし、と考える。それと同時に、自分が何も注文せずに席についていることにも気づく。そう気づいてしまった瞬間から、罪悪感のようなものが源泉みたいにこんこんと湧き出てくる。だから僕は財布だけ持って、レジに繋がる長い列の最後尾に並んだ。


 冷房は効いていたが、じめじめした外をチャリで爆走してきたこともあって、僕の体温は依然最高にハイってヤツだった。こんなときにホットを頼めるひねくれた根性は僕にはないから、おとなしく無難にアイスカフェラテを注文。あと、再会を祝して、シューアイスを2つ。


 品物を持って拓の元に戻る。


「あいよ」


 僕はシューアイスの片方を渡す。そして感謝のセリフを待つ。


「なあ、『経営学入門』ってとってる?」


 ところが彼のセリフは予想と全く異なるものだった。しかもしれっと――多分無意識に――僕が置いたシューアイスをちゃんと回収してやがる。

 でも、恩着せがましい人にはなりたくありません。


 感謝とは、求めるものでも、求められるものでもありません。何もない場所から生み出されるものなのです。


 だれかはわからないけど、だれかしら言ったことありそう。やだよ!自分の知らないものの二番煎じとかパクリとか思われるの!


「ああ、経営学入門ね……とってねえや」


 質問に対しては真面目に答える。拓はそれを聞くとがっかりしていたが、ここで嘘ついたってしょうがないし、いつかボロが出るに決まっている。だからここは心を鬼にして、「手伝えないよ」の意思表示。そして、渇いたのどにカフェラテを届ける。


「じゃあ……寺島と青葉のどっちが好きなの?」


 口の中でカフェラテが暴れだす。忘れていた。こいつは、こういう話が大好物だったな。

 右手の甲で口元をぬぐい、その流れで僕は答える。


「別に……そんなのねえよ」

「はは、そうかそうか」


 拓は満足げに笑う。


「でも逆はどうなんだろうね」

「逆?」

「寺島はわざわざお前とそのサークル入る必要なかったろ、だって。青葉のリハビリっていう名目なら」

「あいつには並外れたコミュ力があるはずだもんな。確かに、もっといいサークル入るべきだとは思う」

「青葉だってそうだろ。わざわざサークルで――空のいるサークルでリハビリする必要はないはずじゃねえか」

「お前なんで全部知ってんだよ。サークル入る理由まで筒抜けかよ」

「そんなん寺島ルートから仕入れた情報に決まってるだろ」


 そこまでをテンポよく繰り広げた後に、僕は大きなため息をつく。


「で、何が言いたいのさ」

「いやぁ?別にぃ?」


 拓はわざとらしく語尾をつりあげる。腹立たしいはずのに、イライラすることはない。たぶん体と心がもう慣れているんだろう。彼独特の雰囲気とか、話の進め方とか、そういったものに。


 思えば高校の時から、話しかけてくるのはいつも彼のほうからだった。それは僕の話題メイクのセンスが絶望的なのも一因としてあるとは思う。でも、彼の気さくな性格に助けられたのは紛れもない事実だ。


 こんなときに、改まって礼を言うのも照れくさい。だから僕は、リュックにしまっていた自分のパソコンを取り出して、机上に広げる。

 憲法記念日は課題をするに限る。


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