夜行バスの告白
雨弓いな
夜行バスの告白
真冬の東京は、雪は降らないが凍えるような冷たさの雨は降る。健介が住んでいる大塚は、何度目であったか、もう両手では数え切れないほど何回も訪れている街だが、彼のマンションまでの道のりを覚えることはできそうにないほど入り組んでいる。冷たい雨に打たれながら、健介と二人、大塚駅まで歩いていく。傘をさして歩いているため、少し離れたこの距離がひどくもどかしい。
「次は、いつ来れるかなあ。健介は、二月は仕事、忙しいんだよね?」
「うん、来月は難しいかもなあ。そうすると、次は三月か」
「そうすると、もう春かあ。下旬に来たら、桜見られるかな。目黒川とか有名だよねえ」
「そうだねえ。花見とか、したいねえ」
大塚駅に着き、山手線のホームに向かっていく。階段を登りきると、ちょうど電車が来たところであった。真冬の日曜夜の山手線は、家路に急ぐ人たちで混みあっている。皆コートを着込み、体を震わせながら乗り込んでくるが、五分もすればマフラーを外し、コートを脱ぐ人もいる。
健介と並んで立っていると、電車が揺れるたびに少しだけ体がぶつかり合う。池袋駅では多くの人が下りていき、一つだけ席が空いたため、私が座り、健介が目の前に立つ。私は、少しだけ残念な気持ちになった。
「バスの時間、何時だっけ?」
「八時半に出発。だから八時くらいにはバス乗り場に着いてないと」
「わかった」
二人の会話は、電車の音に遮断され、そこで止まってしまった。
私は、下から健介の顔を見つめた。吊革にぶら下がりながら、ドア上の広告を眺めているのか、斜め上を向いて小さく口をとがらせている。学生時代よりも少し瘦せた気がするが、慣れない東京での生活や、仕事でのストレスのせいだろうか。少し心配になりながらじっと見つめていると、こちらに気が付き「どうかした?」と小さく問いかけた。
「何でもない。新宿まであと何駅だっけ」
「今高田馬場を出たところだから、次の次だな」
「分かった」
離れて暮らしている期間が長くなると、こんな何でもない会話がいとおしく感じられるようになる。私は、少しだけ熱くなった頬を隠すように、うつむいた。
新宿駅で電車を降り、バスターミナルに向かう。時刻は七時四十五分だ。新宿駅は広いだけでなく、多くの人が行きかっており、何度来ても道に迷いそうになる。私は、まだ健介と離れたくなくて、バスターミナル入り口の看板を見逃して少しだけ道に迷ったようなふりをした。
「何回も来てるんだから、いい加減覚えろよな」
小さく笑いながら健介が小突いてくる。私は、少しすねたふりをして、健介のコートの袖をつかんだ。離れたくない。そう思っていても、夜行バスの受付時間が迫っている。
「いじけてないで、時間だろ? ほら、いくぞ」
私の手を引いて、健介が歩き出す。彼の足は、まっすぐとバスターミナルに向かって進んでおり、少しだけ寂しい気持ちになった。
八時になってしまった。バスの乗り場近くまで来て、健介が私から手を放す。ちっとも名残惜しさを感じない放し方に、私は少しだけ苛立ちを覚えた。
「じゃあ、時間だから。また二か月後ね」
バイバイ、と小さく手を振りながら、バス会社のスタッフのもとに歩いていく。受付をすまし、バスに乗り込む時に振り返ると、健介は笑顔で手を振っていた。
バスに乗り込んで一時間ほどすると、健介からメッセージが届いた。なんだろう、忘れ物でもしたかなと思ってメッセージを開く。私は、目に飛び込んできた文字列に、小さく息をのむ。
「結婚、しようか」
私は、慌てて返信をする。
「さっきまで一緒にいたのに、なんで直接言わないの笑」
またすぐに、健介からメッセージが届く。
「家に帰って電気付けたら、誰もいなくてさ。急に寂しいなーって思った」
先ほどの健介の様子を思い出す。特に寂しそうなそぶりは見せず、笑顔で手を振っていた。そんな姿に、むしろ私の方が寂しさを覚えたくらいであった。
「なにそれ笑」
それだけ返信して、メッセージアプリを閉じる。目を閉じて、背もたれに身を預ける。小さく息を吐いて、これまでのこと、これからのことを考えていた。結婚したら、私も東京に引っ越して、大塚に住むのかな。こうして何度も深夜バスに乗って、健介に会いに行くこともなくなるのかな。
小さくカーテンをめくり、窓の外に目を向けると、東京のビル街からはすでに離れて、住宅街の中を走行していた。高速道路のライトに照らされた道路の向こうには、静かに眠りにつこうとしている街がうっすらと見える。ひとつひとつと一瞬で通り過ぎていく街の明かりたち。私も、この一部になるのだろうか。
はっきりとした返信をできないまま、バスは最初の休憩地点であるサービスエリアに到着した。携帯電話を手に、バスを降りる。雨はもう上がっていたが、夜も深まってきたため外の空気は切り裂くような冷たさだ。
自動販売機でホットココアを買って、外のベンチに座る。夜空に輝く星を眺めながら、小さくココアをすすった。温かいココアが全身にしみわたっていく。ほうっと白い息をひとつ吐き、携帯電話を取り出す。
「いいよ。結婚、しよう」
簡潔に返信したら、すぐにまたメッセージが送られてきた。
「なんで微妙に時間を置いたの笑」
「一人で夜空を眺めてたら、急に寂しいなあと思って」
それだけ返信し、私はバスに向かって歩き出した。
夜行バスの告白 雨弓いな @ina1230
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